灰色の殴り書き

昔の言葉で言うならチラシの裏です

一歳になったむすこへ

本日8月21日、我が家のむすこが満一歳の誕生日を迎えた。

 

あっという間の一年間だった。明け方にタクシーで病院に向かい、出産に立ち会ったのが本当についこの間のように思う。

 

たった一年でも、写真フォルダで振り返るとどんどん顔つきが変わってきたのが分かる。頭以外はほっそりして折れそうだった新生児期、産まれたことに気付いて表情が出てきた頃、ふくふくと顔が丸まってきた頃、笑顔が増えた頃、髪がもさもさ増えてきた頃、活発に動き回るようになった頃。今ではつかまり立ちとつたい歩きの名人で、家のあちらこちらに手を伸ばしている。ちょうど今日、温存していたかのように数秒間のひとり立ちも見せてくれた。その後怖くなったのか大声で泣いちゃったけど。

 

むすこは可愛い。もう、本当に言葉にできないほどかわいい。しかも、大変に元気いっぱいだ。一歳になる今日まで、ほとんど熱を出すこともなければ、派手に吐いたりといったこともなく、食べ物へのアレルギー反応もなく、本当に健康そのもので過ごしてきた。自分の子供が産まれてから、これがどれほど貴重でありがたいことかを実感している。助かっている、という言葉は不適切かもしれないが、本当に健康でいてくれることは何よりありがたい。

 

一方で父はというと、産まれてから2ヶ月育休を取り、その後は在宅勤務しつつ何とか頑張っていたが、5月からメンタルを崩して仕事を休んでおり、今に至る。理想の父親というものには程遠いだろう。バリバリ働いて家族のことも完璧にケアして、というのは当面できなくなってしまった。

 

メンタルが参った原因は仕事と家庭の両立が厳しくなったからだが、正直に言うと家庭の要因の方が大きかった。薬を飲み始めてしばらく経つ今でも、疲れやすいのは治っていない気がするし、その日の体調の波によって、同じように子供と遊んでいてもすぐクタクタになるときも多い。妻に対しては、まだ以前のような気持ちには戻れていないし、この先どうなるかも分からない。というような有様なので、やっぱり理想の父親とは到底言えない。

 

ただ、休職したおかげで毎日保育園の送り迎えができるようになったし、毎晩お風呂にも一緒に入れている。保育園に迎えに行くと「ぱっぱ!」と手を伸ばしてくれるし、お風呂では水を跳ねさせて笑ってくれる。そういうときに感じる幸せを思うと、休職したのもむしろ悪くないかな、と思えるようになってきた。仕事でクタクタだったら、子供と満足に接することもできなかっただろう。結果として、1年間の成長をしっかり毎日見届けることができた。

 

この間メンタルクリニックに通院して、どうしても家族と長時間接すると疲れる、という話をしたとき、あくまで一つの可能性と前置きした上でだが、先生は「父性的な愛情があまりなくて、他人の子供のような感じに思っているのかもしれない」と言っていた。ショックだったし「かわいいとは思う」とだけ答えたが、もしかしたら当たってるのかもしれない。だから疲れるのかもしれない。

 

だけど、それを殊更に悩んでも仕方ないのかな、と思い始めた。自分の脳が父性不足なら、もうそれで仕方ないだろう。あるいは、むすこも自分も年月が経つ中で、そのうち変わるかもしれない。

 

何より、むすこがかわいいのだ。とても愛らしい。向こう側が透けて見えるカーテンに隠れて、見失ったフリをする両親を見てシシシと笑ったり、まるで保育園で今日あったことをしゃべるように赤ちゃん語で長話をしてくれたり、そのかしこさや集中力にはいつも驚かされる。眉毛が濃くキリッとしていて、目つきはやたら鋭いのだが、ほっぺたは大福みたいだし手足はコッペパンみたいだし全身ふっくらモチモチで、目元とのギャップがすごい。表情豊かで、喜怒哀楽が激しくて、とてもかわいいやつだ。俺に父性が足りなかろうが脳が病気になってようが、このかわいさは本物だ。

 

自分は理想の父親に程遠いかもしれないけれど、この子は最高のむすこだ。第一子が彼で本当に良かったと、日々思っている。掛け値なしに、自分はむすこのことを愛しているし、大切だと思う。これから先、自分や彼に何があるかは分からないけれど、まずは一年間元気いっぱいで生きてきた彼を祝福し、そしてダメなりに頑張ってきた自分をちょっと労う意味でも、ここに記念の日記を書き留めておく。

 

むすこよ、うちに来てくれて本当にありがとう。そして、誕生日おめでとう。これからもよろしくな。