灰色の殴り書き

昔の言葉で言うならチラシの裏です

アーサー・C・クラーク「幼年期の終わり」が面白すぎて卒倒しかけた

タイトルの通りです。かすかにネタバレあります。

 

フォロワーから、お互いがハマっているゲームを含めて多くの作品のオマージュ元になっている作品なので是非読んだ方がいい、と言われたのをきっかけに、今日文庫を買いました。

 

もう、冒頭20ページから引き込まれました。あまりにも面白すぎて、そのまま半日で読み切って、放心状態のままこの記事を書いています。

 

あらすじや概要は省略しますが、簡単に言うと宇宙からの超高度知性と接触した人類がどうなっていくかを描いた話…ということになるのかな。

 

驚くべきことに、アメリカ本国で出版されたのが、1952年。なんとほぼ70年前です。にも関わらず、古臭さを感じないどころか、その独創性、先見性、豊かな描写は今読んでも全くもって色褪せないどころか、目が眩むほどの輝きを放っています。それでいて非常に読みやすく、ページをめくる手が止まらない止まらない。これについては訳者の手腕の素晴らしさもあろうかと思います。

 

特に、戦争や犯罪が撲滅され、物質的にほぼ完全な充足がなされた世界においては、娯楽が氾濫し一生かかっても見切れないほどのコンテンツが世に溢れる…というくだりには背筋が凍りました。平和という観点ではまだまだ及ぶべくはないものの、可処分時間を巡るコンテンツ供給過剰の現状を思い起こさずにはいられません。

 

また、新世代の芸術として、作中では「完全一体化」という言葉で表されていますが、拡張/仮想現実技術の登場をもクラークは予見しています。作中ではまだ完成を見ていないものの、その先見の明たるや。彼自身、時間を超越した未来からの像を受け取っていたのではと思うほどです。

 

読み始める前は、「古典的名作らしいし、折角だから読んでみるか」くらいの気持ちだったのですが、そんなことは関係なく、純粋にエンターテイメントとしての面白さがとんでもないです。感情移入というのとはまた少し違いますが、眼前に次々と現れる謎に対して登場人物と読者が同様に疑問、疑念を抱く作りになっているので没入感が凄まじく、また一方ではその端々に見える不穏な響きが徐々に音量を増してくるので、好奇心と恐れとでとにかく1ページでも先が気になります。これを面白いと言わずして何と言いましょうか。もう、取り憑かれたように最後まで読んでしまいました。物語の展開もテンポ良く、次々とこちらの想像を超える方向にストーリーが転がっていきます。それでいて、情景描写が実に丁寧で、終始脳内では映像を鮮明に描き出すことができました。そして、加速する物語の中で明らかにされるタイトルの意味。

 

もう、これほどの読書体験ができたのは、ただただ幸福であったとしか言いようがありません。哲学的な素養はないので、深い考察などはなかなかできないのですが、それでも非常に豊かな示唆に富んだ作品であることはハッキリと感じ取れました。おそらく、これから先読み返すたびに新たな発見があるのだと思います。

 

でもって、今は完全にSF小説というジャンルへの興味が自分の心を鷲掴みにしています。一応人並みの想像力と言語能力がありながら、なぜ30年以上もこの鉱脈にノータッチだったんだ、と過去の自分を責めたくもなりますが、それ以上にワクワクが止まりません。

 

月並みですが、古典的名作と言われるものには、やっぱりそれだけの理由があるなと強く感じました。しかも、そう呼ばれる作品だけでも世には数多くある上に、今も新しい作品が次々と生み出されています。これは大変だ。何から手をつけようか、めちゃくちゃに楽しみです。もしフォロワーの中にSF作品のオススメをお持ちの方がいらっしゃったら、是非お声がけください。よろしくお願いします。