灰色の殴り書き

昔の言葉で言うならチラシの裏です

星野智幸「夜は終わらない」に飲み込まれた話

無我夢中になってページをめくる、という体験は、本を読む人なら誰でも身に覚えがあるだろう。それは小説に限らず、ノンフィクションかもしれないし、漫画かもしれない。

 

自分も、その内容がファンタジックなものか、あるいはリアル志向なものかを問わず、作品の世界にのめり込み、沈み込むように、深く潜るように、外界からシャットアウトされるように夢中になって本を読むことはしばしばある。その至福の時間を過ごすことが、現在の人生における最大の楽しみの一つになっている、とまで言ってしまってもいいくらいだ。

 

ただ、今回の読書は、それらとも異質だった。夢中で読む、というより、長い長い夢を見ているような感触。物語の中に取り込まれて、浸かって、帰ってこれなくなるような不安と、浮遊しているような漂流しているような気持ちよさとが入り混じる感覚。自分がいま物語のどこにいるのか、この物語がどこに着地するのかが全く見当もつかず、けれど目を離すことはできなくて、空想の水の中を先へ先へと泳いでいくような、そんな体験をした。物語の中に取り込まれるような気分になって、500ページ超をほぼぶっ続けで7時間近くも読み続けてしまった。(シンプルに読むのが遅いというのはご容赦いただきたい)

 

前置きが長くなりすぎてしまったが、そんなわけでタイトルの通り星野智幸「夜は終わらない」を読んだ。もともと、杏&大倉眞一郎の「BOOK BAR:お好みの本、あります。」で取り上げられているのを読んだのがきっかけで、その奇怪な紹介が記憶に残っており、新規開拓にこれ幸いと手を伸ばした。

 

ここから簡単にあらすじ、解説じみた感想、個人的な感想、という感じで続くので、断固ネタバレを避けたいという方はいつも通り随時閉じていただければ幸いだ。ただ、今回はあんまりネタバレ要素ないと思う。バレのしようがなかったというか。(ラストまで書いたところで加筆しました)

 

 

 

いきなりだが、本作の主人公は連続殺人鬼の女性である。といってもこれは重大なネタバレではなく、開始早々にそのことは明かされる。女のある異常性と共に。

 

女、玲緒奈は(主に)金のある男の心の隙に入り込むように接近し、自分に夢中になるよう手練手管の限りを尽くし、結婚まで匂わせて金を搾り取った挙句、男を殺害し、証拠を隠滅する。と、ここまではよくある話なのだが、こいつの異常さは相手を殺害するその直前にある。

 

玲緒奈は、昏睡させて抵抗能力を奪った男に語りかける。私の気持ちを懸命に想像し、私が夢中になれるような素晴らしい物語を聞かせろ。私が満足すれば、お前の生きる価値を認める。満足できなければ、お前はそこで終わりだ、と。

 

まるで「千夜一夜物語」のようだが、死に直面した男からそうそう見事な話が出てくるはずもなく、玲緒奈は今回も不合格か、という落胆と共に哀れな男を手にかけていく。

 

次なるターゲットは、同棲相手の男クオン。いつものように睡眠薬を飲ませて拘束したクオンに、玲緒奈は生き延びたければ物語を紡げと迫る。しかし、そこで飛び出したクオンの物語は世にも不思議で、とても魅力的な内容だった。

 

玲緒奈は夢中になって聞き入るが、「物語の時間は夜だけ」というクオンは、夜明けと共に話をやめてしまう。憤る玲緒奈と、しかし頑なに譲らないクオン。こうして、初めて玲緒奈は「続きはまた今夜」という展開を迎えることになった。そしてそこから、クオンの口より流れ出す物語は、玲緒奈をどんどん強く引き込んでいく……。

 

というのが、本作のあらすじである。

 

それでは改めて、軽い説明じみた感想に移りたい。

 

まずは何と言っても、主人公の玲緒奈だ。あらすじで書いた内容だけであれば、ただのサディスティックな異常殺人者なのだが、作者はそれだけでなくこのキャラクターをリアルな質感のある人間として描くために、内面や行動の描写に工夫を凝らしている。たとえばそのうちの一つが生活感だ。玲緒奈は男を取り込む手段として以上に料理に対して強いこだわりを持っており、何度か食事を作るシーンが出てくるのだが、それが実に詳細に描写されており、美味そうな様子がこちらにまで伝わってくるのだ。料理へのこだわりと殺人者としての異常性というアンバランスさは実に奇妙なアクセントで、たとえばそれは「殺人に使う木炭の扱いに慣れるために七輪を買い、自宅で炭火焼き料理を繰り返して、念願だった焼き鳥やうなぎの蒲焼きを習得することができ、一石二鳥だった」というエピソードの異様さにも表れている。

 

加えて、スーパーで買い出しをするシーンでも、生鮮食品を買うだけに留まらず、マルちゃん正麺の豚骨味だとか、にんべんのつゆの素だとか、永谷園のあさげ徳用十食パックだとか、フジパンの「本仕込」だとか、買うもの一つ一つがいちいち細かく、凄まじいリアリティを感じさせる。自分は化粧品に明るくないので詳しくは分からなかったが、たとえば洗顔をして保湿するシーンでも同様にどのメーカーの何を使うかが事細かく描写されており、まるで実在する人間かのように生活の質感をこれでもかと伝えてくる。こうした、凶行に及ぶ彼女の姿からはおよそかけ離れているように思える描写の数々によって、読者は玲緒奈に対して嫌悪感と親近感の混ざったような、奇妙な共感を持つに至るのである。

 

尚、ここでは玲緒奈を形作る非常に重要な要素について、あえて触れずにおいた。それについては是非本編をお読みいただきたいのだが、個人的にはそれに関係するシーンでモロに馴染みの場所が出てきたこともあって、彼女にやたら親近感を持ってしまった……脱線失礼しました。

 

続いて、なんと言ってもクオンの語る物語パートについて。構成的にもここが本作のメインであると言って差し支えない。が、これがまた非常〜〜に癖の強いことになっており、ある話の登場人物がまた話を披露し、その話の中の登場人物がまた話し出し…という具合に、物語が多層的な入れ子構造になっているのだ。一つ一つの物語は、寓話的であったり、神話かおとぎ話のようであったり、示唆めいていたり何かの暗喩のようにも読めるが、作り話や喩え話といった体を取ることもあり、散りばめられた各要素の真偽や結末については不透明な部分が多い。舞台となる場所や時間は実に多彩なのだが、それだけでなく空間も時系列も曖昧であったり、あやふやであったりと、不確かな要素がどんどん出てくる。しかも極めつけに、複数の話に共通して出てくる符号めいた登場人物や単語まである。こんな有様なので、読者も「今自分は何の話を聞かされているんだ?」と混乱すること請け合いである。

 

別の言い方をすれば、読者は本作の500ページ超を進む間のほとんど、常に足場の不安定な、見通しの立たない中を歩き続けるような体験をすることになる。この独特の感覚を快感と取るか不快感と取るかについては、これはもうその人の好みによるとしか言えない。

 

で、じゃあ自分はどうだったかという話になるのだが……もうここまでのテンションでお分かりの通り、どハマりした。クオンの物語にのめり込み、夜以外の時間を全て余計なものに感じていった玲緒奈のように、もう何もかも放り出して没入してしまった。自分は一気読みしたが、あるいは作中と同じペースで一日1エピソードとかいう読み方でも良かったのかな、とも思った。思ったがしかし、作中でひたすら引きこもって寝て昼を過ごした玲緒奈と違って、読者は日常を送る中で熱が冷めそうな気もするし、逆に続きが気になりすぎて支障をきたす可能性もあるので、やはり一気読みがいいような気もする。

 

一方で、ここがダメだ!と声を大にするわけではないが、小説としての完成度、完璧さといった観点から語る場合、本作にはかなり疑問符が付くかもしれない。まず上述したように、大部分を占める語りの部分が相当に支離滅裂で、複雑とまではいかないがかなり怪奇な様相を呈している。言ってしまえば破綻している。加えて、物語の畳み方もあっさりしすぎているというか、もっと説明してくれ!と思うところが非常に多い。意味ありげな伏線のように思えたものの山は特に回収されず、訳ありのような登場人物たちはよく分からないまま消えていったりする。全体的にエピソード構成のバランスがおかしいようにも感じるし、ラストを含め解釈に任される部分が多すぎないかとも思う。

 

だが、言ってしまえば本作はそういう物語なのだ。作り話の登場人物が、作り話を語る。不思議な世界の住人が、別の奇妙な世界の出来事を語って聞かせる。そんな有様なのだから、もう原理原則も整合性もへったくれもないのだ。そういうわけなので、起承転結ちゃんと筋道立てたストーリーを読んで謎が全て解決してスッキリ!というのをお求めの方には、正直オススメしかねる。途中でキレるか、読み終わった後ぶん投げるかされてしまうかもしれない。

 

と言いつつ、自分もどちらかといえば、というかかなり、そっちの側だと思っていた。全てがハッピーエンドじゃないにしても、提示された謎や伏線は片付いてほしいし、スッキリ読み終わりたいと思っている。そうでないように見受けられる作品は遠ざけてもきた。

 

じゃあ自分にとって何がそんなに刺さったのか、というと、陳腐な言い方ではあるが本書の読書体験そのものだった、ということになるだろう。次々に展開していく奇妙な物語、異様な場面設定と登場人物、文字で綴られるそれら全てに対して想像力の限りを尽くしながら、先行きの見えない不安と共にページをめくり、更に不安を強めながらも、物語に引き込まれ、飲み込まれて、流されていく。クオンの語りの続きを待ちかねて白昼夢を見ていた玲緒奈のように。

 

そう、この小説を読んでいる時間は、月並みではあるがまるで夢を見ているようなひとときだった。夢を見ているとき、時間と空間は曖昧になり、自己もあやふやに薄れて、他人の像たちもぼやける。そして、破綻している前提や異常な論理をさも当然のように受け入れて、自らも気ままに動いていく。初めて見た夢なのに、いつか同じ風景を見たことがあるような郷愁を覚えたりもする。時には、夢の中で夢を見ることもある。さらにその中で夢を見ることさえも。

 

そうして目が覚めると、細部の記憶はどんどん薄れていってしまう。夢の中でなんであんなに楽しんでいたのかも、何を楽しんでいたのかも、今となっては言葉にできない。

 

けれども、楽しかったことだけは覚えている。途方もなく長い時間のように感じられた夢の細部はほとんどこぼれ落ちて、その景色も朝日に溶けていったとしても、「なんだか楽しい夢を見た」ということだけは覚えているのだ。しばらくは……それが永遠ではないとしても。

 

「夜は終わらない」は、そんな読書体験を提供してくれた、初めてにして自分にとって唯一無二の作品であった。

 

この奇妙で素晴らしい作品に出会えたこと、そして本作を書中で取り上げてくれた「BOOK BAR」には、心から感謝したい。