灰色の殴り書き

昔の言葉で言うならチラシの裏です

友情謀略ラップバトル立身出世大河群像劇、「ダルタニャン物語」は「三銃士」の後からが面白いという話

『この世の中では、男も女も、そして国王も、現在に生きることが必要なのだ。われわれが未来に従って生きねばならぬとしたら、それは神にたいする場合だけなのだ。』(第11巻「剣よさらば」より引用)

 

タイトルが長い!

 

さて、先日「三銃士はろくでもない奴らだった」等と称して感想記事をアップした、ダルタニャン物語。この度、めでたく第三部までの全11巻を完走することができた。

 

で、まずは一言。

 

とにかく、掛け値なしに面白かった!!!

 

本当に本当に愉快なエンターテイメント大作であった。

 

第一部「三銃士」時点での印象はというと、登場人物の破天荒さ、倫理の崩壊ぶりに恐れ慄き、この性欲と名誉欲に取り憑かれた薩摩武士どもは何なんだと震え上がっていた。これはキャラの性格なのか、作者の手癖なのか、はたまた作中の時代背景を反映しているのか、それとも執筆当時の物語なんてみんなこんなもんだったのか…と思いを巡らせつつ、メチャクチャな展開にツッコミを入れる、という感じで、それはそれで楽しく読めていた。

 

が、これが第二部「二十年後」になると一転。非常にきれいな展開がテンポ良く続き、エンタメ感溢れる素晴らしい完成度になった。二十年の時を経たキャラクターたちや勢力図の変化、宮廷中枢と反体制市民フロンド派の対立、それぞれに別れて戦うこととなった銃士四人の苦悩、友情の復活、スケールアップしたミッション、過去からの因縁…と、とにかく目の離せない展開が盛りだくさん。歴史絵巻としても面白く、またキャラクターの個性描写がぐっと洗練されたこともあり、一気に読ませるストーリーだった。

 

そして、最後は完結編となる第三部「ブラジュロンヌ子爵」だ。完結編と言いつつ、全11巻のうち6巻がこの部に当てられていることから、どれだけ筆が踊ったかが思い浮かぶ。こちらではかつての銃士アトスの義子ブラジュロンヌ子爵をタイトルと主人公に据えながらも、その実はこれまでの物語の集大成として、史上最大の陰謀が張り巡らされていく。と同時に、銃士たちの生きてきた道、その旅のエンディングともなっているのだ。これはもう、ついてきたファンにとってはたまらない。

 

ただ一方で、王者として覚醒したフランス国王ルイ14世を中心とした華やかな宮廷のドロドロ恋愛模様にもかなりのページ数が割かれており、軽く約2冊分はそのへんの話が続く。ここはかなり好みが分かれるところで、読めば爆笑必至のしょうもなさではあるのだが、大筋の先が気になる人はガーッと読み飛ばしても全然構わないだろう。

 

と、ここまでは月並みな解説感想を述べてきたのだが、本記事では従来とは異なった切り口からダルタニャン物語の魅力に迫りたい。

 

それは「友情謀略ラップバトル立身出世大河群像劇」としての側面である。

 

は?

 

まずは説明させてほしい。物語が第一部から第二部へ移り、二十年の時を経たことで、舞台であるフランス社会には様々な変化が訪れた。その一つが枢機官の悪政に反発した市民行動だというのは、先に少し触れた通りだ。しかし、私はここでもう一つ重要な点に触れたい。それは、国王の名の下に「決闘が禁じられた」ことである。古き良き時代を描いた第一部では、貴族たちは貧乏だが何よりも誇りを重んじ、侮辱には剣をもって応じていた。決闘こそが彼らの華舞台であり、また物語の山場でもあったのだ。

 

しかし第二部以降では、決闘行為は野蛮なものとして禁止され、大っぴらに剣を振るうことが許されなくなる。(それでも森に隠れてやり合ったりはしてるのだが) ここに至って、かつてのフランス蛮族もとい貴族たちは、その誇りを示し相手を叩き伏せる術を失ったのである。

 

その結果、どうなったか。

 

武力は根絶され、人々はラップバトルで雌雄を決するようになった。

 

ヒプノシスダルタニャンマイク物語だ。

 

第二部以降、デュマのストーリーテリングスキルの著しい向上と共に、作中では長台詞が激増する。また、その台詞回しもキレをどんどん増していく。そして、それらは主に、自分の主張を貫き、対決する相手を論破するために振るわれるなのだ。

 

その筆頭が我らが主人公ダルタニャンである。中年となった彼はもっぱら、剣を抜くよりもその弁舌によって相手を説き伏せ、そして高らかに勝利宣言をするようになっていく。言葉の力で時には味方を増やし、時には相手に恥をかかせ、時には巨万の富を手にする。

 

その卓越したリリックの一端をご紹介しよう。

 

『陛下が求めていらっしゃるのは、友人ですか?それとも召使ですか?軍人ですか、それともペコペコ頭を下げる連中ですか?偉大な人物ですか、それとも道化師ですか?陛下は陛下に仕える人間をお望みですか、それとも唯々諾々と命令に服従する人間をお望みですか?』(第10巻「鉄仮面」より。以下、延々とパンチラインが続く)

 

これぞ、ヒプノシスダルタニャンマイク物語だ。(2回目)

 

ラップバトルに腕力は必要ない。このステージでは男女は平等だし、身分の差もフローとライムで埋められる。別に訳文が韻を踏んでいるわけではないのだが。そのため、太后vsダルタニャンみたいなマッチアップも自由自在だ。

 

なんと画期的なことか!そう、ダルタニャン物語こそ現代のHIPHOPブームに先んじること270年、世界文学史に輝く友情謀略ラップバトル立身出世大河群像劇だったのである!

 

さあ、もうお分かりだろう。ダルタニャン物語の真髄は第二部以降なのだ。異常にアクが強く、欠点だらけだけどどこか憎めない愛嬌のある、味濃いめ脂きつめのキャラクターたちによる狂乱のHIPHOPリアルレジェンドストーリー。これこそが、ダルタニャン物語が究極のエンターテイメント大作である所以なのである。

 

然るにこれ以降は、陳腐なあらすじ紹介やネタバレに気遣った無難な解説は捨て去ろう。代わりに、素晴らしき物語の軌跡を振り返ると共に、主要キャラクターとそのラップスタイル(特殊能力、個性、術式、等と言っても差し支えない)を紹介していきたい。どうしても多少のネタバレは含まれてしまうが、それによって物語の面白さが損なわれることはないと固く信じている。あとぶっちゃけると各巻の登場人物紹介に書いてあることがほとんどなんで、気にしないでください。買った人は登場人物紹介と訳者解説は絶対読まない方がいいよ。

 

では、まずは我らが主人公から紹介しよう。MCダルタニャン aka.ガスコンギャングスタ※!

 

ダルタニャン:本編主人公。二十年後が舞台の第二部、さらに主人公がブラジュロンヌ子爵に交代したはずの第三部でも一部を除いて出ずっぱり。作中最強の剣の達人だが、決闘が禁止された世の情勢もいち早く把握。二十年の時を経て欧州一のラップマスターとなり、数々のインポッシブルなミッションに挑む。

 

そのラップスタイルは「屁理屈」。どんなに身分の高い相手に対しても変幻自在に論調を変え、粗を探し、揚げ足を取り、時には逆ギレしながら、あらゆる敵を論破していく。保身の上手さも作中随一ながら、開き直ったときは一層手に負えない。平然となかったことにした悪行も数知れず。

 

また、歳をとって知恵者としての活躍がよりフィーチャーされるようになり、三銃士に策を授ける場面が増えるが、一方でその卑屈さ、傲慢な自信過剰ぶりにも磨きがかかり、いつも心の声では「ちくしょう!」と悪態を突いている。加えて、若かりし頃よりも守銭奴っぷりが格段にレベルアップ。金欲しさにイギリス国内の権力争いに首を突っ込み、宰相を拉致して木箱の中に監禁するなどの蛮行を働く。しかもそのくせ報復にビビったり、手に入れた現金を盗られるのが怖くてソワソワしたりと、慎重ゆえの情けなさも目立つ。嘘をついたことがないなどと自称しているが、言葉尻を捕まえて約束や誓言を半ば破るなどは朝飯前。また、自身がずる賢いために人を端から疑ってかかったり、疑心暗鬼に陥ることが多く、友情で結ばれたはずの三銃士に対してもしばしば心の中であらぬ疑いをかけたりした。

 

※ガスコン:フランスはガスコーニュ地方のこと。ダルタニャンの出身地。ガスコン人は気が強くたくましく知恵に溢れ誇り高い、らしい。地元大好きなのはラッパーの必須条件だ。

 

 

アトス:かつての四銃士(ダルタニャン+三銃士を以下こう呼称)の中では最年長。別名ラ・フェール伯爵。威風堂々たる風貌の男。かつては不貞腐れて宿屋の酒蔵に銃で武装して籠城し、現在の日本円にして約700〜800万円もの無賃飲食をキメた上に明け方から博打で全財産をスるというマジもんの狂人だったが、二十年の時を経て唯一最大の欠点だった酒クズ・博打クズの悪癖は完全になりを潜め、養子であるラウル(ブラジュロンヌ子爵)を愛情たっぷりに育てる。が、あまりに溺愛しすぎたか、はたまた生真面目に育てすぎたためか、ラウルはいささか不器用な青年となってしまった。

 

スタイルは「高貴」。真の貴族として、誠心誠意仕えるべき主を見定める慧眼、そのためには自らの身や財産を投げ打つことも厭わない勇敢な行動力、そして何一つ見返りを求めない謙虚さを全て備えた完全無欠のイケオジだ。まさに歩くノブレスオブリージュ。時の権力者ではなく、神に与えられた王権そのものに仕えることを使命としており、その献身は時にイギリス王室にまで及ぶ。

 

自らラップバトルを行うことは少ないが、ひとたびインダハウスすればその誇り高い精神に裏打ちされた完璧な振る舞いと格式高いリリックを披露し、相手に付け入る隙を与えず説き伏せる。第三部終盤、とある事件がきっかけでついにキレたときのアトスラップは作中ぶっちぎりの切れ味だった。

 

 

ポルトス:長身の元四銃士。かつてのチャラ男キャラは二十年経って一転、気は優しくて力持ちな巨人としてコメディ担当に。未亡人の金持ち婆さんと結婚したことで大金と三つもの領地を相続し、それにみなんだデュ・ヴァロン・ド・プラシュー・ド・ピエールフォンという長い名を名乗るようになるが、贅沢な暮らしに飽きたことと伴侶を亡くしたことで無気力に日々を過ごしていた。結婚は財産目当てだったはずだが、最終的には純愛になったらしく、以降は女性関係の描写もほとんどない。ダルタニャンからマザランのミッションに誘われ、男爵位を得るために腰を上げる。

 

スタイルは「純朴」。決闘が禁止された世において、弁舌と智略がてんでダメなため、頭脳労働はもっぱら他の3人に任せており、自らラップバトルをすることは稀。いつもトボけた調子だが、一方では作中ダントツ最強の膂力の持ち主でもあり、その豪腕と巨体は巻を追うごとに作者の悪ノリでインフレしていく。猛牛を拳骨で即死させる、寝返りで家が揺れる、600キロの荷物を持って部屋を6周する、挙げ句の果てには宴席でふざけて壁を殴ったら屋敷が崩落して未亡人や孤児を大量に発生させる(年金を支払った)など、オーガかトロルのような異次元の暴を発揮する男。食欲と睡眠欲の権化とされており、いびきは爆音、寝起きは最悪。

 

 

アラミス:ダルタニャンを除く三銃士の中では最も若く、また最も深慮遠謀や世渡りに長けた傑物で、女性関係も華やかだがなかなかその本心を明かそうとしない。二十年後はかねての志望通り神職についてデルブレー神父となり、その後も出世街道を爆走して陰謀を巡らせた。

 

スタイルは「策士」。陰謀渦巻く時代を迎え、水を得たリヴァイアサンのごとく縦横無尽に活躍する。大局的な視野と巨大な野心を併せ持ち、その実現のために次々と権力者に接近、味方に引き入れていった。時には神の威光をも利用するラップスキルはダルタニャンの追及をも煙に巻くほどだが、あまりにも要領が良すぎるがゆえに己が策に溺れることも…?

 

 

プランシェ:かつてのダルタニャンの従者。第二部以降は人気食料品店の店主としてパリ市街の顔の一人に。二十年の間に一時従軍して戦いの基礎を学び、その後は反体制のフロンド派でリーダーの一人に選ばれるなど、多方面での才覚が見事に開花した。

 

スタイルは「器用」。主に別行動となるが、ダルタニャンへの忠誠心は全く薄れておらず、実に上手く立ち回って彼をサポート。お金は大好きだが身を滅ぼすようなことはなく、最終的にはひと財産築いて美人な妻と隠居した。物語を通して最も平和に成功した一人である。

 

 

グリモー:アトスの従者。かつての飲酒事件の共犯。その後ははっちゃける描写もなく、アトスとラウルの親子へ二十年前と変わらず寡黙な忠誠を貫く。実にいいキャラをしているのだが、なんと無口キャラは作者デュマが行数を稼いで原稿料を儲けるためだったらしい。あんまりである。

 

スタイルは「仕事人」。既に相当な年齢のはずだがそれを感じさせず、頼まれた仕事は必ず遂行する特殊工作員の如き活躍を見せる。推定70歳近くながらアトスと二人で民家に籠城しキルを連発するなど、四人の従者の中でも特に戦闘や隠密活動においてその有能ぶりが際立ついぶし銀。

 

 

ムースクトン:ポルトスの従者。貴族っぽい名前がいいので「ムストン」と呼んでほしいらしいが、すぐ地の文もムースクトンに戻った。主人同様に陽気で人懐っこい性格であり、彼が大富豪となった恩恵を存分に享受。美食の限りを尽くしてでっぷりと太ってしまい、第三部では荷車の荷台が埋まってしまうほどの巨漢になった。豪邸での安穏な贅沢暮らしが永遠に続くことを願っていたが、ダルタニャンがポルトスを戦地に誘ったことで嫌がるムースクトンも強引に同行させられる。

 

スタイルは「癒し」といったところ。もっぱら主人と共にムードメーカーの役割を担うが、意外なところで一味の危機を救うこともあった…ような気がする。気が小さく心配性で、海上で遭難した一行が食料の危機に陥ったときは、真っ先に焼肉にされて食われるのではないかと怯えていた。

 

 

バザン:かつてのアラミスの従者。元から坊主で、アラミスが銃士を引退して神職に就くのを願っており、銃士たちとの付き合いをよく思ってなかった節がある。自らも寺院の職に落ち着くが、それ以降はダルタニャンにアラミスの行方を尋ねられてうだうだと文句を付けたり、子供を使いっ走りに出したりするくらいしか出番がなかった。

 

スタイルは「無能」。従者組の中で一人だけ全く活躍の場面がない。かつても戦闘に置いて真っ先に脱落するなど役立たずの烙印を押されていたが、二十年の間に才覚を存分に発揮して出世しまくる主人に完全に置いてけぼりを食らう。当時、アラミスが法王になったら自分は枢機官くらいにはなれるだろうなどとほざいていたが、主人の方はもうこいつのことなんて忘れてるんじゃないかというくらい話題に上がらなくなった。

 

 

ルイ十四世:逝去した先王ルイ十三世の後を継ぐ新時代の王者。第二部開始当初はまだ幼さが残っており、新たな枢機官マザランの傀儡にされていた。第三部序盤でも己の無力を嘆いており、ダルタニャンからも愛想を尽かされて辞表を出されたりと散々だったが、マザランの病死を機に覚醒。徐々に国王らしさを増していき、親政による王道を進むこととなる。

 

スタイルは「我儘」。王となった自分はこの世の全てが思い通りになると信じ、部下に「不可能は禁句」とパワハラを押し付けていたが、MCダルタニャンに度々諫言ラップで手痛くわからされる。寛容ぶっているが実際は狭量そのもの。また女性に惚れっぽすぎる悪癖があり、王妃(空気)を蔑ろにして王弟妃アンリエットと熱愛を始めたかと思えば、その日の夜には王弟妃の侍女ラ・ヴァリエール嬢に一目惚れして乗り換える始末。しかもこの侍女、周囲の目や嫉妬を疎んだ王と王弟妃が皆の目を逸らすために見せかけの恋愛相手として選んだ隠れ蓑の予定だったのだが、国王は即堕ちしてしまったのだからまさにミイラ取りが何とやらである。

 

先述の通り、第8巻「華麗なる饗宴」9巻「三つの恋の物語」はルイを中心とした宮廷周りのメロドラマがねっとり続くのだが、高速で読み飛ばして何ら問題ない。ひたすら風景がいかに美しいかだの、あなたはギリシャ神話の女神だのの話にページが割かれているので真面目に読まなくていい。本編のエピローグでは件のラ・ヴァリエール嬢からさらに乗り換えて性悪侍女とくっついており、最早何も言うことはない。

 

そんな困った王様だが、ラップマスター・ダルタニャンに度々噛みつかれながらも彼を重用しているうちに、その技術と屁理屈をラーニング。終盤にはついにダルタニャンをも凌ぐラッパーとしての才能をも開花させ、晴れてaka.無敵王となった。

 

 

太后アンヌ・ドートリッシュ:ルイ14世の母。第一部からの皆勤賞の一人であり、四十代になってもその美貌は見る人を惹きつける…らしい。その美貌と権威を誇る傲慢さと共に恋多き女性でもあり、かつては夫であるルイ13世そっちのけでイギリス軍の指導者バッキンガム公爵と遠距離恋愛に燃えていたが、彼や夫の没後は寂しさから身近に情愛を求めたのか、枢機官マザランの愛人(作者曰く「情婦」)となった。

 

スタイルは「憤怒」。とにかくシリーズを通してブチ切れてる描写が多いお人。ナメられるとすぐにキレるタイプで、その度に長々としたリリックでいかに相手が無礼かをなじる。恨みや昔の恋はいつまでも引きずるくせに、恩人である四銃士のことは忘れてたりするから始末に負えない。当然立場が下であるダルタニャンにもキレるが、ラッパーとしての技量は彼に軍配が上がるため、容易に丸め込まれてしまう。一方、第三部では若い世代の色恋沙汰があまりにも激しすぎるためか、またその身を冒した癌のせいか、呆れつつも事態を(強引に)収束させるシーンが見られる。とにかく話を引っ張る力だけはすごく、シリーズを通した影のMVPとも言える。

 

 

マザラン:第二部から登場する新たな枢機官で、ダルタニャンの上司。非常に陰湿で疑り深い性格で、国王を傀儡に、太后を愛人にすることで宮廷を掌握。ただし国民からは忌み嫌われており、その悪政によって反体制フロンド派との内戦を招いた。

 

スタイルは「ドケチ」。臣下への褒賞や政策への投資を惜しまなかった前枢機官と違い、とにかく出費を少しでも削りたがる狭量な性格で、常に自らの蓄財にのみ腐心する。陰険でねっとりとしたラップを得意とし、延々と回りくどく語って相手をイライラさせるが、ついにダルタニャン達にわからされる。

 

権勢を誇っていたものの、第三部では病魔に冒されており、序盤に没する。今際の際まで私財の行く末だけを文字通り必死に案じており、そこでのやりとりは必読。こんなのでも国王は教師としてある程度慕ってもいたようで、遺言として彼に「摂政を置くな」という金言を残し、親政の道を向かせることとなった。作中屈指の名バイプレイヤーである。

 

 

モードント:第二部に登場。第一部で銃士たちと対決したボスキャラ・妖婦ミレディー(スタイルは「魅惑」)の忘れ形見にして、シリーズ通して最凶の敵。ウィンター卿とイギリス王によって貴族の家督を剥奪され、修道僧に成りすまして放浪していたが、その正体はイギリスの宰相クロムウェルの懐刀。幽鬼のようなオーラを漂わせた風貌を持つ異様な男。

 

スタイルは「復讐鬼」。口数は少ないものの、内側には母と己の仇への憎悪が煮えたぎっており、若干二十代前半ながら復讐の完遂以外には何も求めない潔さ。第二部はこいつの章と言っていいほどに物語を牽引、圧倒的な殺意を持ってキルスコアを重ねながら、執拗に銃士たちを付け狙うキリングマシーンだ。武と謀の双方に優れており、四人の銃士を相手に大立ち回りを演じて無事に撤退したり、あと一歩で全滅の危機まで追い詰めたりと、八面六臂の大活躍を見せた役者。

 

 

ウィンター卿:イギリスの貴族で、ミレディーの義兄。第一部から登場し、決闘を機に銃士たちの友人となる。当初はバッキンガム公爵、二十年後はチャールズ一世に忠誠をもって仕えるが、どちらも不幸にして早逝してしまう。

 

スタイルは「しくじり」。決して無能ではないと思うのだが、牢獄でミレディーを煽っていたら信頼していた部下を誘惑されて脱獄&公爵を暗殺されたり、二十年後もやらかしたりと、とにかくしくじり先生な描写が目立つお人。俺は好きだよ。

 

 

ボーフォール公:第二部から登場。枢機官マザランと折り合いが悪かったため、バスチーユ牢獄に囚われている王族。しかし素行が悪く、典獄や看守をほとほと困らせている。

 

スタイルは「奇行」。刑務所の壁にマザランを風刺する絵を書いたり、ネズミに芸を仕込んで同氏を小馬鹿にしたりと、獄中にありながら有り余るエネルギーで奇行の限りを尽くす。第一部から引き続き、デュマはつくづく刑務所のシーンが好きなようだ。我々は何を読まされているんだろう…と思ったあたりで、アトスが彼をフロンド派の旗印とするために送り込んだ特殊工作員グリモーによって脱獄。その方法はクソデカミートパテに縄梯子と凶器を埋め込んで持ち込むというメチャクチャぶりだった。

 

脱出後は一転して全く出番がなくなっていたが、第三部終盤、読者のほとんどが忘れた頃に再登場。あろうことかアフリカ遠征という死のプロジェクトをぶち上げ、彼の地で散っていった。出てきては周りを振り回す、奇公子は最後まで奇公子であった。

 

 

ローシュフォール:第一部から登場。物語の初めからダルタニャンと因縁があり、当初は最大の敵と目されていた。彼はその姿を見かけるたびに激昂して立ち上がった程である。

 

なのだが、スタイルは「空気」。第一巻の時点ではしばしば姿を見せ、ボスキャラとしてこの上なく美味しいポジションのはずだったのだが、その後はとにかく異常に出番が少なくなる。第一部ではミレディーに全部見せ場を奪われ、エピローグで数行「ダルタニャンと三度決闘した末に親友になった」と触れられたのみ。続く第二部では、フロンド派の指導者の一人として一万人バリケードを築くなどの活躍を見せたが、途中から再びフェードアウト。次に現れたのは銃士隊と民衆の乱戦の最中で、ダルタニャンが次々に暴徒を斬り伏せていたと思ったらローシュフォールも斬られていた。「四度目だな…」と潔く死んでいったが、あんまりにもあんまりである。

 

 

コルベール:第二部終盤から登場し、第三部で活躍する財務監督官。マザランの腹心にして死の際に指名した後任であり、美形揃いの作中にあって人相が悪く根暗っぽいと繰り返し言及される。その風貌通り何を考えているか分かりづらく、冗談を好まない陰気な性格。とにかく数字に強い根っからの財政屋さん。案の定ダルタニャンとは馬が合わず、度々ギスギスする。

 

スタイルは「倹約」。マザラン以上の凄まじいドケチさを発揮し、ねっとりした策略によって財務卿フーケを弱体化させながら国庫に金を貯め込んでいく。何度も追い込まれつつも、その度に冷や汗をかきながら切り抜けて出世。国王に次ぐ権力を得るが、実はその志と敏腕は真にフランスの発展のためだけにあり、一切私腹を肥やすことなく軍備増強をはじめとした各種投資に勤しんできたことが最後に明かされる。ここに至ってはさすがのダルタニャンらも感心し、ついに和解するに至った。

 

 

フーケ:第三部から登場した財務卿。形式上はコルベールの上司にあたり、枢機官マザラン亡き後の実質ナンバーワン政治家。登場時、その総資産は日本円にして1500億円(1960年当時。現在はその7〜8倍程度=1兆円over!)以上と語るシーンがあり、没時に語られたマザランの遺産が400億円(現代にして3000億円)だったことと比較してもその財力は圧巻。フリーザ様の戦闘力のようなインパクトと共に最強の大物として登場した、はずだったのだが…。

 

しかし、彼のスタイルは「貧乏くじ」だ。たくさんの友人に囲まれ、褒賞や贈り物をケチらない気前の良さを備えているフーケは作中きっての好人物として描かれ、ダルタニャンもその人柄を認めてお互い友人として付き合いたがるほど。陰キャのコルベールとは違い、その大物らしい振る舞いと真面目さによって勢力は盤石…と思われたのだが、この気風の良さが裏目に出る。わがまま大王ルイ14世がたびたび祝宴を開きたがるようになり、コルベールの入れ知恵もあってその費用を財務卿に奢らせまくったのである。

 

その他にもあらゆる費用をオールオッケーで持ちまくったために、あれだけあったフーケの財産は次第に目減りしていく。それでも見栄を張り、主人として一流のホスピタリティ溢れる饗宴を催し続けたフーケだったが、ついには全ての財産を召し上げられて没落してしまう。しかし、彼もまた玉座を簒奪しようなどという野望を持ってはおらず、心からの忠誠によってルイ14世に仕えており、王の危機に際しては力の限り奔走した。アラミスと結託して陰謀に手を出したりしたものの、ここ一番というところで人の良さが災いし、悪人になりきれなかったフーケ。彼もまたわがまま王の最大の被害者であり、本作に欠かせない名役者であった。

 

 

ラウル:別名ブラジュロンヌ子爵。こちらは第三部を通してのタイトルになっている。アトスの養子として英才教育を受け、その誇り高い貴族道を受け継ぐ。アトス譲りの美男子であり、剣の腕も抜群。かつての銃士達の美化されたカッコいいエピソードだけを聞いて育ったため彼らに憧れており、特にダルタニャンには度々助言を受けたりしている。が、そのせいでラッパーに憧れるようになってしまったのだろうか、ラップシーンこそ少ないが、その際はダルタニャン譲りの見事な切れ味を見せた。

 

だが、無情にもそのスタイルは「不憫」である。戦功を得て名を挙げていた一方、同郷出身で彼女が7歳のときからずっと想いを寄せていた許嫁のルイズ=ラ・ヴァリエールを国王に寝取られてしまい、しかもそのことを出張先のイギリスで知らされる。アトスによって純粋すぎるほど純粋に育てられてきたことが今回ばかりは災いし、相思相愛のはずだった幼馴染から直接心変わりを告げられたことで半ば精神崩壊。自暴自棄から立ち直ることはできず、最後は名誉ある死に場所を求めて奇公子ボーフォール公のアフリカ出征に同行した。彼こそ作中一の不憫王子だ。

 

 

ギーシュ伯爵:ラウルの親友で、彼に劣らぬ美形。脇役のはずだが、後述の理由によってむしろラウルより出番が多かった気がする。第二部で初陣を共にした時からの同期のような間柄で、歳上に接することの多かった彼にとって貴重な友人となった、のだが…。

 

厄介なそのスタイルは「思春期」。王弟との結婚のためにイギリスから凱旋した(後の)王弟妃アンリエットにベタ惚れしてしまい、見ているこっちが恥ずかしくなるような中学生男子ムーブで恋のライバル達と火花を散らす。そのなりふり構わぬ姿はさぞ彼女の自尊心を満たしたことだろう。嫉妬する王弟と陰険な腰巾着によって一度は追放されたが、わずか二週間で舞い戻り、道化となるのも厭わず再び恋の舞台にリングイン。ついには王弟妃のハートを射止めた模様だが、ラウルは最後までその行く末を心配していた。恋に盲目になりしょうもない相談を繰り返しながらも、友の誇りのために決闘するなどその友情は衰えておらず、またここぞという場面では愛する人にも苦言を呈する男気も持っている、愛すべき男。

 

 

バッキンガム(子):第三部から登場。イギリスの貴族で、第一部で太后と遠距離大恋愛にうつつを抜かしていたら暗殺された提督バッキンガム公爵の子。父の恩人である銃士達には憧れていた模様。王弟妃の凱旋行軍のお供を務めた。

 

スタイルは「当て馬」。凱旋行軍において、俺の方が先に好きだったのに、と王弟妃に一目惚れする男たちを牽制し、彼女の歓心を買ってその眼差しだけでもゲットしたいと奮闘するが、ラウルのラップによってそのあまりの必死さを一行の前でdisられ、生き恥を晒す。が、あまりの完敗ぶりが爽快だったのか、ラウルとはなぜか親友になった。その後もフランスに居座り、王弟やギーシュと恋の小競り合いを続けるが、ブチ切れた王弟が太后に泣きついたことでイギリスへ送還。心が折れたのか、「さようなら永遠に(フォーエバー)」と言い残して帰国。帰り道には半ばヤケクソになってラウルの代わりにワルドと決闘した。父から盲目さを受け継ぎながらもその器は及ばなかった、不憫な男だ。

 

 

ワルド子爵:第三部から登場。ラウル、ギーシュ、バッキンガムらと同世代の貴族で、同じく凱旋行軍の護衛を務めるが、ラウルとは仲が悪く何かと突っかかる。特にダルタニャンの悪口をよく広めようとしているが、その理由は彼の過去にあった。なんとこの男、第一部でダルタニャンに(半ば追い剥ぎのような形で)決闘を挑まれて敗北したミレディーの愛人、ワルドの息子だったのである。

 

スタイルは「卑屈」。父からよほど悪口を聞いて育ったのか、ねちっこくラウルをdisったりダルタニャンの悪口を言って怒らせる。が、剣の腕では彼に及ばず、終いにはダルタニャン・アトスとの直接対面で最強コンビによる論旨すり替えラップを食らってしまい、惨敗した。いてもたってもいられなくなり、バッキンガムの帰国を途中まで送り届けることになったが、ムシャクシャして決闘したい気分だったので浜辺で彼と誰得な激闘を演じた。また、帰ってくるや否や性懲りもなくルイズ=ラ・ヴァリエールの心変わりをネタにその場にいないラウルをdisり、激昂したギーシュと決闘。彼に深手を負わせるも、力及ばず死亡した。父親が空気なら息子も小物、モードントのような巨悪とはなれなかった。

 

 

王弟妃アンリエット:第三部から本格的に登場。イギリス王室からフランス国王の弟のもとへ嫁いできた。作中の男性陣によると、容姿は絶世の美女というよりは少し崩れた感じで愛嬌のある顔…らしいのだが、洗練された思わせぶりムーブによって周囲の男を片っ端から勘違いさせていく最強のサークルクラッシャー、いや宮廷クラッシャー。

 

スタイルは、あえて本編の言葉をそのまま使うのであれば「コケット」(色っぽい、男にモテる女性)。その振る舞いには作者の異様なこだわりを感じる。結婚したはずの王弟を嫉妬させ、ギーシュ・バッキンガムらイケメンをメロメロにし、挙げ句の果てには国王ルイ14世までをも誘惑して虜にしてしまった…が、前述の通り人々の目からの隠れ蓑として己の侍女ラ・ヴァリエールを選んだのがケチのつきはじめ、国王は一瞬で18歳の小娘に心変わりしてしまう。その様を目の当たりにすると、全ての男性が自分を愛していないと気に食わない、最強の権力者には私こそが相応しいと言わんばかりの嫉妬の業火を燃え上がらせ、あの手この手を尽くしてラ・ヴァリエールを攻撃した。が、国王の庇護と多くの協力者の手によってこのカップルを破壊するには至らず、キーッ!とハンカチを噛みながらギーシュで妥協した。(一応愛してはいるそうだが)

 

 

ラ・ヴァリエール嬢:別名ルイズ。第二部から登場するが、本格的な出番はなんといっても第三部。ラウルより6歳ほど下の幼馴染で、彼と遊んでいた際ふとした拍子で足に怪我を負い、今も若干の不自由さが残る。大貴族の生まれというわけではなかったが、友人モンタレーの機知によって、王室付きの侍女となる。(その足のこともあり、ラウルはいつか彼女を幸せにすることを誓っていたのだが…)

 

彼女のムーブについてはここまでも散々触れてきているが、そのスタイルは「お涙頂戴」。当初は家柄や足のこともあって貴族たちからは範囲外と見られており、本人も一途に遠くのラウルを想っていたはずだった。しかし、女子会で国王ってカッコいいよねーみたいなことを話してたのを本人に聞かれたのがきっかけで急接近、一目惚れされた国王に「私もお慕い申しておりました」みたいなことを言ってしまい、その後は王様いけませんわ〜とか言いながらも公然の愛人となる。

 

王の権威を傘に着るようなことはしない一方、自分をやたら悲劇のヒロインぶるというどうしようもない癖があり、とにかく誰に対しても泣きまくって赦しを乞う。噂を知って追ってきたラウルに対しても、王様と愛し合ってるのごめんね、でもあなたも少しは悪いんじゃない、だから罪深い私を許して、許さなくても忘れて、みたいなことを延々と吐きながら泣き落としにかかった。その様がかえってラウルを絶望させたことは言うに及ばず、悪意なく無意識に傷口にハバネロを塗り込む本物の邪悪と言える。その振る舞いをダルタニャンによって断罪されたのだが、実は彼も国王との復縁に一役買っていたのにそれをなかったことにしてラウルの肩を持つ厚顔無恥さには拍手しかない。彼女も最後の最後には国王の愛を失い乗り換えられるエンドとなったが、心中いかばかりか。あんたちょっといい女だったよ、だけどズルい女。

 

 

モンタレー:ルイズの幼馴染。第二部では顔出し程度。ませた少女で情報通を気取っており、華やかな宮廷のメロドラマに憧れていたことから侍女として仕えることを画策、見事に王弟妃付きのポジションを得る。

 

スタイルは「撹乱」。これまた噂好き・工作好きな王室使用人の彼氏マリコルヌと結託してフランス王室の色恋事情を隅から隅まで掌握し、裏から好き放題に掻き乱す。ラウルとルイズの良き幼馴染だったのも過去の話、裏であれこれ糸を引いた末に特に断罪されなかった彼女こそが真の悪女と断言してもいいだろう。

 

 

いかがだっただろうか。この他にも泣く泣く割愛したかわいい脇役(etc.王弟・スタイルは「嫉妬」)などもたくさんいるのだが、明確なスタイルの持ち主かつエピソードのインパクトという観点から、今回は上記までに絞らせていただいた次第である。

 

このようなふざけた記事で果たして本作の魅力の一部でもお伝えできたかどうか、それについては全く自信がない。ただ、少なくともここまでの熱量を持って語らせるだけの傑作コンテンツであり、その輝きは刊行270年余りを経た今でもいささか失われていないどころか、ますます眩しさを増していることは、きっとお分かりいただけたものと信じたい。

 

また、本稿ではあえてクソみたいに露悪的な擦りに終始し、本作の欠かせない魅力の一つであるエモーショナルな側面、キャラクターの苦悩する場面の素晴らしさや友情模様の尊さなどについて語ることは避けてきた。また、数々の陰謀やダルタニャンたちが挑んだミッションの詳細も割愛している。そのあたりについては、私の解説などは野暮であり、この記事をフックとしてご興味を持った方がおられたら、本作の真髄として直接お読みいただくのが何よりだろうと思ったためである。決して記事として映えないからでも面倒だからでもない、決して。

 

繰り返し誓って言うが、本作は決して勢いと笑いだけの作品ではない。キャラクターたちの熱い生き方に感情移入することもできるし、当時のフランス情勢や王侯貴族の生活に思いを馳せる楽しみ方もできるだろう。いわば、非常に懐の広い、多様な楽しみ方ができる作品だと言える。それこそが、ダルタニャン物語が時代を超えて多くの人に愛される名作たる、何よりの理由だと、私は確信している。

 

もし少しでも気になった方がいらっしゃったら、第二部以降の書籍こそ絶版になっているものの、電子版の入手は容易くお値段も手頃であるので、手に取っていただけたらこれこそ望外の喜びである。

 

その折には是非、私とダルタニャンのやらかした罪状や珠玉のラップテクニックについて、語り合おうではないか。