灰色の殴り書き

昔の言葉で言うならチラシの裏です

足場が揺らいで

妻と決裂して、何が一番辛いかというと、過去の彼女までも信じられなくなったことだ。それによって、自分が立っていた足場が嘘になってしまったことだ。

 

5年以上も前の、俺にとっては記憶の奥底にあるようなことを並べ立て、メンタルクリニックでの話し合いの場に持ってきて、一緒にいると死にたくなるとまで言わせた夫に「ずっと忘れない」と突きつけるというのは、どう考えても普通ではないと思う。

 

何かあったとき証拠になるかもしれないと思い、文面を見ないようにして例の紙の写真を撮ったのだが、それでも「口だけで何もしない嘘つき」という文字が目に入り、やりきれない気持ちになった。

 

このところは俺もいい加減開き直っているのだが、そうすると色々と過去から見ぬふりをしてきたり、慣れてしまっていた異常さが分かってくる。

 

些細なことで妻がいきなりキレて家を出ていってしばらく口を聞かなかったことがあった。夫が鼻をほじる癖が許せないという。俺は鼻炎鼻詰まりで鼻をかんでいただけなのだが。あまりにもくだらなくて、誰にも彼女が出ていった理由は話せなかった。

 

やたらテンパるのが嫌と言われたこともある。俺は確かに予想外のことがあると慌てがちだが、それ自体を否定されてもどうしようもなくないか、お前のひたすら人を恨み続ける性格はどうなんだ、と思った。思ったが、これくらいは仕方ないと思っていた。

 

もっと前、同棲して半年くらいのとき、不満が溜まっていたのかマッチングサイトで知り合ったおっさんと映画を見に行ったという話をされた。まあだからどうしたという感じなのだが、あまり普通ではないとは思った。

 

特に怒ったり追及はしなかったが、彼女が過去を掘り返してくるというならこちらにもまだまだ山ほど材料はあるということだ。ついでにいうと洗濯ものが何度言ってもねじれてるのも、皿洗いが雑で油がついたまま干されてるのも、子供の真横でピッコマを読んでいるのも俺は気に食わない。

 

気に食わないが、そういうものなのだ。お互い許せないところは絶対にあるのだ。あるんだから、多少は目を瞑ればいいじゃないか。そうじゃないとやっていけないだろう。子供の健康と成長が最優先で、後は深刻じゃなければ後回し、お互い様でいいじゃないか。

 

そう思っていたのだが、彼女は違うようだ。今になって、諸々の異常さが分かってきた。些細なことだから、元はと言えば俺が悪いから、いずれ収まるから、口論して追い込む必要はない、と何度も癇癪に我慢していた過去。だけど、本当に目を向けるべきは、些細なことであなたをこれから先も絶対に許せない、私は不幸だとわめくことの異常さではなかったのか。

 

もう今はいい。これからの彼女のことも、子供のことを別にすれば、もうどうでもいい。

 

ただ、過去までも否定された気がするのは、やはりただただ悲しい。彼女が機嫌を損ねた後も、過ぎたことは取り返しがつかないからせめて埋め合わせをと、スイーツに旅行にプレゼントに家事にと、何かと機嫌を取ったり喜ばせるようにはしていた。笑顔を見せることだってたくさんあったし、基本的にはお互いのことが好きで信頼し合っており、時々起こる癇癪をさばきながら上手くやれていると思っていた。

 

ただ、そうでなかったとしたら。彼女の中ではずっと恨みがあり、それを我慢し続けていた、永遠に許さないつもりでいた、と言われてしまったら。そうしたら、もう俺たちの思い出には、何の意味もなくなるじゃないか。

 

いつからだ?付き合ってすぐは、何の揉め事もなかったから、多分違うだろう。そう信じたい。同棲を始めてからか。もう6年以上だ。

 

それだけの間、憎しみを捨てないように守り育ててきた妻。出かけたときも、結婚式のときも、誕生日で温泉に行ったときも、うちの祖父母が目を細めて自分のようにかわいがっていたときも、クリスマスディナーのときも、立ち会い出産のときも、家族写真を撮ったときも、ずっと俺を憎んでいたのか。被害妄想に取り憑かれていたのか。夫への恨みが全ての奥底にあったのか。自分は世界一不幸だと信じ続けていたのか。

 

もちろん、人間はそう単純ではないというのは分かっている。俺だって、彼女だって、その瞬間は楽しくて、幸せだっただろう。そんなことは分かっている。分かっているから、今までずっと目を瞑ってきた。少しでもこの先は良くなろう、いい夫になろうとしてきた。

 

だけど、今このタイミングで、振り返ればこんなこともこんなこともありました、こいつは口だけ人間なのだと絶望しました、まだまだあります、私はこれからも根に持つことをやめません、ずっと恨み続けます、と言えるのは、それとはもはや別次元の話ではないか。

 

俺は苦しんでいたのだ。ずっとうつの本当の原因を言えなくて、人格攻撃に疲弊して、SOSを出して、それを見かねて先生も話し合いの場を設けてくれたのだ。そこでまで、自分の憎しみを持ち出すのか。

 

だったら、俺のこの先の人生は何なのか。終わらない贖罪を続け、何が新たな憎悪のきっかけになるか分からずに怯え続けることが、彼女の理想の夫婦生活なのか。

 

俺は、積み重ねた信頼があれば何か問題があっても関係が根底から揺らぐことはないと思っていたし、その後に頑張れば取り返せると思っていた。彼女の価値観は真逆だった。ポジティブなことは薄れて忘れられ、憎しみだけが積み重なっていた。

 

それでは、ずっと彼女を第一に考えて生きてきた俺の今までは何だったのか。素敵な人だと喜んでいた友人は、両親は、祖父母にはどんな話をすればいいのか。

 

苦しかった。けれど、その根が彼女の性格なあると認めたくなかった。認めることは、自分のこれまでを否定することに他ならなかったからだ。だから、自分の考えすぎだと言い聞かせてきた。

 

けど俺にはもう無理だ。産後メンタル、寝不足、話し相手の不在、生理。普通でなくなる理由は色々あって、彼女は俺よりずっと大変だと分かっていたから、これは一時的なものだ、本来は思いやりのある人だったじゃないか、落ち着けばまた平穏に家族で暮らせる、と自分に言い聞かせていた。

 

だけど、これは違うだろう。子供が産まれるよりはるか前からのことを、今振りかざして自分に従わせるための武器にするのは、違うだろう。それは一時的な異常ではなく、この人の本質ではないか。今まで自分が見て見ぬフリをしていたもの、見え隠れしていても気にしないように努めてきたものではないか。

 

それと向き合うときが来たのだろう。だけど、俺にはもう無理だと思う。彼女は家計を負担し、理想的な父親の役目を果たし、家事の7割以上をこなし、ブレるくせに完璧な達成が求められる様々な水準を常に満たし、一度も機嫌を損ねず、友人や会社との付き合いはせず、転勤もせず、実家とコンタクトも取らず、体調を一度も崩さない、そんな奴隷を求めている。

 

それはどこかの誰かに任せたい。俺はもう疲れた。

 

新しい恋がしたい、自由になりたいなんて言わないが、せめて奴隷を求めない家族がいい。それは高望みだろうか?人として、父親として間違っているだろうか?頭の中をずっと渦巻いている。

 

人を呪わば穴二つ、もう別居になったのだし引きずらない方がいいとは分かっているけれど、思ったよりもショックが大きく、まだしばらく立ち直れそうにはない。