自分勝手でいいのかな
自分は周囲よりも自己中心的で、独善的、自意識過剰な人間だと思って生きてきた気がする。いつからかは覚えていない。
一方で、確固たる自分というものがなく、他人を笑わせたり喜ばせたり感心させたり、そういうことだけに縋って生きている空っぽなやつだな、とも思う。この二つは、俺にとっては矛盾していない。ただ相乗効果で非常に厄介だというだけだ。
それでも、少なくとも家族ができてから、そして何より子供が産まれてからは、そのためにエネルギーの大半を費やしてきたつもりだ。ブログに何度同じことを繰り返し書いてきたか分からないけど、そうやって、少しはまともにやってこれたと思う。
それがなくなって、今はどうしていいか分からない。
今の俺は人生で一番自分勝手になっている気がする。
どれほど憎い相手でも、もう知ったことではないと思おうとしても、妻が必死で子供の世話をしていることを想像し、子供が大声で泣いているところを思い出して、頭がどうにかなりそうになる。
せっかく調子がいい日だったのに、こんなことを書いているからおかしくなるのかもしれない。黙っていれば収まる発作みたいなものかもしれない。それでも書いておかずにはいられない。
そんなときに、俺はというとひたすら自分勝手に生きている。療養だといって一日中眠り、好きなものを好きなように食べ、金を遣って遊び、構ってくれと知り合いに甘えてちょっかいを出し、Twitterや日記ではオオカミ少年のように悲鳴を喚き立て、一人で自分勝手に振る舞っている。
これまで頑張ってきたんだから、と言ってくれる人もいる。それでも、毎日何度も罪悪感と自責の念に耐えられなくなりそうになる。
去年の療養生活中は、罪悪感なんてこれっぽっちもなかった。会社に対する申し訳なさなど最初から一切なかったし、余力はほぼ全て家事育児に充てては疲れ果てていたからだ。それが病気を長引かせる最大の要因になったのだけど、罪悪感だけはなかった。
今は息をするだけで押しつぶされそうなほどだ。子供の世話をするのがどれほど大変かを知っているから、子供がどれだけ元気かを知っているから、罪悪感が凄まじい。ずっとそばにいた父親が不在になって恐らくもうほとんど戻らない、そのこと自体への、子供自身への罪悪感も大きい。妻に対しては自分が暴力の被害者だったのだと、逃げなければ死んでいたと必死に自分を宥めるけれど、子供に対してはひたすらに申し訳なくて、息が詰まりそうになる。
以前にお前は自責思考をやめなさいという記事を書いていたじゃないか、自己矛盾か、と言われそうだ。そのこととは、俺の中では決定的に違っている。たとえ妻に子を押し付けることは元を辿れば相手のせいだと正当化できても、子供に対する責任からは逃れられない。子供から逃げ出したことは正当化できない。
そのことから目を背けようとして、短絡的に何かで気を紛らわせようと惰眠を貪り、娯楽を探し、人に迷惑をかけている。これほど自分勝手な人間がいるだろうか。
そうこうしている間に少しずつ、けれども確実に、子供への愛情そのものが薄れていく気すらしてくる。最低だ。それさえ無くなってしまったら俺は何なのだろう。そのくせ一方では、このままいけばもう少しは楽になるかな、とも考えている。最低最悪だ。
いい面を考えよう、どん底まで落ちたらあとは上がるだけだ、ポジティブに行こう、と言う人もいるかもしれない。俺個人のことだけならそれも一理ある。だけど、何回も言うけれど、子供の生命、子供の人生がある。俺が前向きに開き直ったから終わり、という話じゃない。
それでも何とか心の痛覚を麻痺させて、毎日を生きられるようにしようと頑張ってはいる。
肉体的には大きな怪我も病気もない。今のところ内臓も大丈夫のようだ。借金はないし当面現金には困らない。親も幸いまともな状態だし、実家に住み着けはしないけども緊急時には助けてくれる。父親は過労死してもおかしくないが。訴訟を抱えてもいなければ、会社からはゆっくり休んでから帰ってきてくれればいい、と言ってもらっている。何より、こんなことになってもまだ見捨てずにいてくれる友人がいる。
いちいち口に出すようなことじゃないかもしれない。それでも、これだけたくさん恵まれているというのは、本当にありがたいことだ。自分にはまだこれだけある。何もかも失ったわけではない。と、自分に言い聞かせている。本当に大切なものを失う苦しみから目を背けて、自分に嘘をつくために。
自分にはまだこれだけの大切なものや価値がある。だから大丈夫だ。細かいことは気にするな。わずかに元気が出てくると、そうやって心の中で繰り返す。痛覚を麻痺させるために。
俺はまだ立ち直れると自己暗示をかける。俺には楽しいことが待っている、前を向けと唱えて、それで子供のことは置き去りにしようとする。
細かいことは気にするな。他人のことは気にするな。好きなことだけして、回復を待て。
そうやって自己正当化してばかりいて、本当にいいのかな。
のうのうと自分勝手に生きていて、本当にいいのかな。
そんな思いがすぐにやってきて、結局一人では立ち直るエネルギーを取り戻せず、堂々巡りに戻る。気を抜けばすぐ、罪悪感と苦痛が死の淵へと引きずりこもうとしてくる。
こんな生き方が長続きするわけがない。それは分かっているけれど、他に何もできない。