灰色の殴り書き

昔の言葉で言うならチラシの裏です

金、浮き沈み、酒、たくさんの自分

大きな風呂に入って、身体をあたためて心身を回復しよう。そう思って昨日は近所の銭湯に行ったが、子供のことを思い出してしまい、非常に陰鬱な気分になった。昨日は夜中に何度も悪夢を見て、その中に子供も出てきていたのもあり一日中暗い気分だったので、ある程度納得できる。強引に割引の寿司を大食いしてテンションを上げて、そのまま寝転がっていたら朝になっていた。

 

銭湯に行ったらかえってメンタルが悪化する、というのはこの前にも同じ現象があった。もともとは大きい風呂大好きなのだが、どうにもこのところはダメだ。家でシャワーを駆け足で浴びるのと違い、否が応でも何も情報のないところで時間を過ごすので考え事をしてしまうのと、温浴による一時的な疲労感が原因だろう、と分析している。

 

結局、俺の精神は回復などしていないのだということを、繰り返し思い知らされる。

 

祖父の死は関係ない、受け入れている、と言いつつも、どうしても思い出してしまうことはある。祖父はたまに連れていくと喜んで妻のことも可愛がっていたし、定期的に送っていたひ孫の写真にも大層喜んでいたそうだ。

 

今ふと、最期の半年間は何もあげられなかったな、と思ってしまった。妻とそれぞれ一つずつ買った、米寿祝いの急須と茶筒。正月にそれを渡したのが最後の贈り物で、言葉を交わしたのも最後になってしまった。

 

正月はコロナのこともあって一人で顔を出しに行き、自分の病気や家庭のことは何も話さず、心配はかけないようにして祖父母のところを後にしてきた。そのすぐ後に俺は家出をして、それから別居生活が始まることになる。今でも祖母は俺の状況を何も知らないので、この間も仕事と家事育児を急遽休んで地元に戻っていたと思っていた。

 

あれからあっという間に何週間か経った。しばらくはおとなしく喪に服すなどと自分では言っていたが、毎日ゲームにほとんどの時間を溶かして無為に過ごしている。うつからの回復には時間がかかるから仕方ない、自分を責めてはいけない、と一般的にはよく言われるが、自分の場合は当てはまらない。ただ、目の前を情報で埋め尽くして手を止めずに動かし続けて、疲れたら寝て、それを繰り返しながら、後で必ず来る問題を先延ばしにしているだけだ。

 

また前回から一ヶ月が経ったので、忘れないうちに振り込みを済ませる。妻子の生活費、あちらの家賃4ヶ月分、こちらの家賃2ヶ月分、をまとめて終わらせた。

 

総額はご想像にお任せするが、一気に激減していく残高をただ眺めるのは、正直に言って軽く死にたくなるような瞬間だ。

 

まだ休業手当を貰っているから何とか生きてはいられているものの、当然のごとく毎月の大赤字は続いている。そのくせストレスの蓄積で金銭感覚が完全に麻痺して、一時的な気晴らしのための出費は嵩むばかり、クレカの引き落としも毎月膨れ上がっていく。まだ始まってもいないのに、弁護士費用の想定額をを聞いただけで眩暈がした。

 

今の俺にとって生ビール700円は高すぎる。100円なら無限に飲みたいのに。

 

電子版の漫画をセールにかこつけて数万円買い、ダウンロードもせずにまた積む。

 

この間はライブのチケット代も法事が入って無駄にしてしまった。さすがに譲渡先を探す余裕はなかった。

 

運動不足を棚上げにして、身体がだるいと整体に行く。

 

自炊をする気力が全くないので、毎日外食だけ。水出しで麦茶さえ作らない。

 

掃除もロクにしない。洗濯物が乾いたらベッドの上に放り投げておく。

 

心配をかけたくないので最近はあまり言わないようにしていたが、人間の生活としては既にほとんど破綻している。金銭感覚も完全に狂っている。

 

それでも孤独に耐えられないので人と会い、また金を遣う。

 

人と会うと、自分でも驚くほど、昔と変わらず陽気によく喋る。過去となんら変わらない饒舌。人に余計な世話を焼いたり、話を仕切ったり、挙句自分の境遇を自虐したり。

 

その滑稽な様を、誰だコイツ、と眺める自分がいる。そりゃあ、誰にも心配されないわけだ。不幸ぶっているくせに会ったら昔と変わらず大騒ぎして酔っ払っているのだから、心配するだけ損だ。

 

もしかしたら、俺のそんな様子を見て、これなら大丈夫そうだと安心してくれているのかもしれない。だとしたら、心配をおかけして申し訳ない。

 

だけど正直に言って、全く大丈夫ではない。

 

もう一年半以上、ずっと大丈夫ではない。ずっとしんどい。

 

ただ、そんな話をみんなにしても困らせてしまうし、後輩からしたら反応のしようもなくて迷惑なだけだろうから、他にも久しぶりに会って後輩同士話したいことが山ほどあるだろうから、俺のくだらない不幸話なんて誰にも喜ばれないだろうからやめておこう、と思っているだけだ。

 

酒を飲めば楽しい。酩酊してくれば感覚が麻痺する。そのまま家に帰って眠れればベストだ。だけど、一人で帰り道に酒が抜けてきたときや、翌朝目が覚めたときは、どうしようもなくまた孤独感や現実が襲ってくる。

 

それ見たことか、と遠くから呆れた顔で一部始終を見ている自分がいる。

 

結局何も得られていない、また痛み止め代わりに他人を利用しただけじゃないか、と咎めてくる別の自分もいる。

 

色々な自分がいる。

 

きっと、Twitterでメシの画像や酒の画像を上げるたび、明るい話をするたびに、なんだもう大丈夫じゃないか、と思ってみんな気軽にいいねを押してくれているんだろう。ありがたいことだ。

 

ただ、別に全く大丈夫ではない、とだけ書かせてほしい。もうずっと前から、本当に大丈夫な瞬間なんて一秒たりともない。ただ、何とかして一時的にでも忘れよう、気を紛らわせようとしているだけだ。

 

浮き沈みが激しいんじゃない。

 

なんとかして浮き上がって、水面から顔を出して、呼吸をしようとしているだけだ。生きるために。

 

そのために、酒を飲んだり、食事をしたり、ゲームをしたり、人と会ったり、旅をしたり、LIVEに行ったり、金を遣っている。

 

でもそのたびに、何とかして今度こそ浮き上がれたと思うたびに、上から頭を抑えつけられて、下から足首を引っ張られて、また沈んでいく。

 

父の日に幼稚園児が書いた絵を見かけたのも、祖父が急逝したのも、自分じゃどうしようもなかった。

 

どんなに頑張って浮き上がっても、また予想もできないことが起きて、深く深く沈められる。苦しい。

 

死ぬのは良くないからと、何とか強引に手段を選ばず生きようとしてみても、また死んだ方がマシだと思うまでの圧力を掛けられる。

 

この繰り返しだ。これはいつまで続くんだ。

 

それでも人間なんだから生きなきゃダメだ、と言っている小さい自分もいる。

 

何もかもが終わったらあれをしよう、これもしよう、と明るい提案をしてくる自分もいる。

 

でも、こいつらはもう随分弱ってしまったようだ。

 

毎週のようにこんなことを繰り返して何になるんだ、と嘲笑する自分もいる。

 

いいからいい加減に楽にしてくれ、という自分もいる。

 

いちいちこんなことブログに書くなよ、という自分もいる。

 

冷静に金勘定だけをしている自分もいる。

 

こいつらは増長が止まらない。

 

そういえば、フォロワーの何人かが、どうも俺がアル中になることを心配してくれているようだ。あるいは既に初期症状が出ていると見られているのかもしれない。

 

一応、一人では特別めでたいことがあったり旅行をしていない限り飲まない、悲しいときや怒っているときには飲まない、寝酒はしない、というルールを自分なりに決めて、実際に人と会う週末以外の日はほとんど飲まずに過ごしているのだけども。

 

ただ、最近は酒の誘惑が日に日に強まってきているような気もする。単純に美味そうなものがこれだけあるんだから飲んでみたいという好奇心もあるけれど、それ以上に逃避願望が強まっているのは言い逃れできない。

 

たまに機会が巡ってきたときは、だいたい気が済むまで飲むので、一回の酒量は少し増えたかもしれない。あまり思い出せないが、この前はHUBのジャンボカクテルを2杯とレギュラーを1杯、火鍋を食べながらグラスビールを9〜10杯くらい?、それと別の店でまたビール瓶を3〜4本くらい飲んだだろうか。気持ち悪くならない範囲で喋りながら飲んでいると、今の自分にはだいたいレモンサワーの中ジョッキで7〜10杯くらいがちょうどいい感じのようだ。人に威張れるような量では全くないが、以前より少し飲む量は増えた気がする。普段全然飲んでいないのに、不思議なものだ。たまに諸々の理由で吐くまで飲むこともあるが、それも吐こうと思って飲んでいるわけではなくて、飲みすぎた結果だ。一体何を言っているのか、酒を飲まない人には全く理解不能だと思うが……。

 

とりあえず、自分では酒浸りになってはいない、と思う。薬と一緒に飲むのは本来ダメなので、肝臓がどうなっているかは分からないが。そういえば今朝も薬を飲み忘れた。年寄りのように毎朝鳴るようタイマーをかけておこう。

 

当たり前だけど酒を飲める相手も年々減っていっているので、飲む機会自体もこちらから働きかけない限りは最早そうそう起こらない。そういえば自分こそ子供が産まれて酒を飲まなくなった筆頭だったのだが、なんとも皮肉なもので、今は俺だけが平日から酒を飲みたがり、家族や恋人のいる知人みんなにやかましく迷惑をかけ、おそらく疎まれている。一番の飲み友達だった友人は、今日も育児と仕事の両立に奮闘しているようだ。

 

側から見るとアル中・アルコール依存が心配らしい、という言葉に戻るが、心配してもらえるのは何であれありがたいことだ。ただ、どちらかというと更に状態が悪化してアル中になるほど酒浸りになるとしたら、その頃には多分現実に耐えられずどこかで首を吊っていると思うので、あんまり心配してもらわないでも大丈夫だと思う。

 

もっと分かりやすく言えば、アルコール依存でこの先のどうにかなるより、既にどうにかなりかけている精神が完全にイカれる方がずっと早いしずっと可能性が高いので、あんまり酒方面の心配はしなくていいです。

 

だったら一人で飲んでもいいんじゃないの、そのまま寝ちゃえば、という自分がいる。

 

せっかく生きてても内臓壊したらその先苦しいんだからやめておいた方がいいよ、という自分もいる。

 

たくさんの自分がいる。気が狂いそうだ。

 

いちいちこんなことをブログに書いて他人の気を引こうとするなよ、という自分もいる。

 

事実として単なる日記よりもタイトルにインパクトがあった方がアクセスが伸びるのが面白いよな、という自分もいる。