灰色の殴り書き

昔の言葉で言うならチラシの裏です

痛み止めが効かなくなりました

似たような内容の記事を何回書いてるんでしょうね。まだ叫んだら暴れたりして住居を追い出されるわけにはいかないので、ブログを書きます。

 

 

クズみたいな暮らしを続けていますが、これでも俺は、ここまで割と頑張ってきた方だと思います。

 

別居を始めた二月からも、結構頑張りました。罪悪感を薄れさせるために、これは必要なことなんだ、治療の一環なんだと言い聞かせつつ、気晴らしが何より効果的だと、最初は部屋をきれいに保とうとしたり、わずかに自炊をしてみたり、あとは真っ先に友人と家で酒を飲んだりしました。あっという間に苦情が来て来客禁止になりましたが。

 

コロナで四十度の熱が出た日には、妻からLINEで今後家に帰って来なくていいとだけ言われ、それが妻子と会った最後の日になりました。もう5ヶ月が経ちます。

 

その後も頑張りました。一人で療養しながら、気が狂いそうになるのを耐えて、ゲームとお笑いと差し入れで気を紛らわせ、ひたすら寝て過ごしました。

 

さらに頑張って、療養明け初日に午前3時までかけて後輩の結婚式に出席する準備を全て終わらせ、頼まれていた共通の友人代表としてのスピーチを、メモも使うことなく完遂しました。その日は終日、晴れの日にふさわしく明るい振る舞いをして、自分の不幸や境遇はおくびにも出さずにいました。

 

そのあと4月になってからは反動でしばらく寝込んでいましたが、頑張って勇気を出して、遠征して久しぶりにライブに行くことにしました。関西ではフォロワーと一段と仲良くなれて、結局ライブも絡めたりして短期間に3回も遊びに行きました。とても楽しかったです。

 

それでも充電が切れたのか、6月にはまた元気が無くなってきました。疲弊したところからなんとか持ち直そうとして、頑張って旅行して酒や料理を楽しんだりもしました。でも、父の日のイベントを目にしただけで心が壊れて、またボロボロになりました。それでもまた頑張って、ライブに行って、必死で心を回復しました。

 

なんとか持ち直しつつ、現実的な解決の道へ向けて、両親と相談して今後の進め方や弁護士のことまで話し合いました。そうしてようやく気持ちが少し割り切れそうになったところで、急に祖父が倒れて、そのまま亡くなりました。告別式は自分の誕生日の一週間前でした。最後に会った正月にも、祖父には休職していることすら話さず、ひ孫の写真や動画を見せてあげました。祖父は大層喜んでいました。

 

そのまま自分も歳を取りました。何とか先輩や後輩に付き合ってもらって、孤独に押し潰されないように頑張りました。そのあとは四十九日まで喪に服すことに徹するとして、何も考えないようにして、何も進めずに、ひたすら日々を消化しました。その間に妻の誕生日も過ぎました。

 

8月になりました。両親にはコロナのために会えず、話したいことも相談できませんでしたが、祖父の四十九日は無事終わりました。いよいよ動き出さないといけないな、また頑張らないとな、と思っていましたが、どうやらもうエネルギー切れみたいです。

 

痛み止めとエネルギー回復のために、色々頑張りました、嫌がられるかな、迷惑かなという気持ちを抑えつけて、人を誘って食事に行きました。面白くて没頭できそうな大作映画を観にいきました。パワー溢れるライブにも参戦しました。

 

飲みすぎて吐くまで、記憶を無くすまで、大騒ぎしながら酒を飲んで、なんとか毎回その時限りの楽しい時間を過ごそうとしました。そのまま寝落ちして二日酔いでグダグダしている間も気持ちだけは少し楽でした。俺は人望がなくて、普段人から誘われることはほとんどないので、こんなときでも向こうから声をかけてくれる人の存在はとても貴重でしたし嬉しかったです。

 

遊んでばかりでなくて、真面目っぽいこともしました。本も色々読みました。ゲームもしました。いかに自分が恵まれているか、大切な人に囲まれているか、そういうことも再確認して、まだ生きていてもいいことがあると思うようにしました。今まで触れたことのないジャンルの本や音楽にも手を出したりしました。マッサージとか、サウナとか、身体が喜びそうなことをして、好きなものばかり食べて過ごしました。でもなるべく健康に、栄養をとって、寝て、一人でいるときは酒を飲まないようにもしていました。

 

自分の境遇を傍に置いて、人と酒を飲むときは相談事や悩みを聞いたり、偉そうにアドバイスをしたり、形だけでも元気づけようとしました。そうしていると、表面的にも他人の役に立てて、自分も救われる気がしました。

 

色々、頑張ってやってきました。全部、痛み止めみたいなものでした。それがだんだん慣れて効かなくなってきたのか、もっと楽しい予定を、もっと頻繁に、と欲が出るようになったのかもしれませんし、単に時間が経つにつれて限界が来たのかもしれません。

 

それに、常識的に考えて、人には人の人生があり、それぞれの優先順位があります。世の中の誰も、俺なんかに構っている場合じゃないんです。こんな人間に寄りかかられて甘えられても、面倒だし気持ち悪いだけです。

 

俺のことを人生の一番か二番に置いてくれていたのは、皮肉でもあり当然でもありますが、自分が今や離れて放置している息子、ただ一人でした。彼は無償で愛情をたくさんくれて、俺が全力で愛してもいい、世界でたった一人の存在でした。俺はその子の世話を全て妻に押し付けて、お笑いを見たり、酒を飲みに行ったり、寝て過ごしたり、毎日ゴミのように日々を過ごしています。昔は頑張っていましたが、今の自分は完全に父親失格そのものです。

 

痛み止めを打っている間も、数分と置かずにいつも子供のことが頭にありました。本当は、映画館の中やライブのときでさえも、忘れることはできませんでした。それでも、自分なりに上手く隠してやり過ごそうとしたり、それをブログで言葉にして自分に言い聞かせたりして過ごしていました。本当の意味で気晴らしができていたのは、あるいは酒を飲んで記憶を失っていた間だけかもしれません。けれども眠ったら、また子供の夢を見ます。家族三人で仲良く過ごしている夢、子供が大きくなっている夢です。

 

本を読んでいても、出かけていても、テレビを見ていても、子供のことを思い出します。熱中症になっていないか、進級した保育園では何をしているのか、ちゃんと世話をしてもらっているのか、たくさん新しい言葉を覚えているだろうか。

 

そうして、俺のことはもうとっくに忘れてしまっただろうか。

 

こんなことばかりが半年近く、いつもいつも頭の中にはあって、それを必死に考えないように、考えないようにしながら生きてきました。

 

誰かに話し相手をしてほしくて、闇雲に手を伸ばしたり、叫んでみたりしたのですが、今の俺はもうオオカミ少年か檻の中のチンパンジーでしかありません。そもそも、誰にも理解してもらえないどころか、おっかなくて声をかけようとは俺ならとても思いません。どうせ死なないんだから。ほっとくのが一番です。

 

もう俺はとっくに気が狂っているのだと思います。休職してから徐々に狂っていったのかもしれません。

 

こうしてスマホを打ち込んでいる今も、自分が自分でなくなる恐怖と戦っていますが、別に元から自分なんてものはないとも思います。インテリぶって言えば他者との関係の中にしか、自分などというものはありません。だとしたら、父親の役割を放棄した時点で、俺はもう俺でなくなったのだと思います。あと残っているのは、ただ口数が多くて悲劇ぶるのが上手いだけの、無駄に生きながらえている人間ひとりです。

 

出産前から、家出をしたあたりまでは、本当の意味で頑張っていたと思います。主治医は、夫婦問題や離婚に絡んで悩んでいる患者はたくさんいるけど、みんないつかは解放されて楽になるときがくる、だから頑張ろう、乗り越えよう、それしか方法はない、とハッパをかけてきます。たしかに説得力はあるけれど、それでも響きません。その中に、子供がいる父親はどれくらいいましたか。俺ほど子供のことを大切に思って、内臓をバラバラにされるような苦しみを抱えてきた父親はいましたか。うつになっても育児を続けて、その背中から妻に刺されたような父親はいましたか。

 

以前は自分ではあまり言わないようにしていましたが、世間の誰よりもいい父親であろうとしてきました。妻との収入バランスから、金銭的な負担も相当でしたし、肉体的にも精神的にもギリギリを超えてたびたび壊れかけていましたが、うつになっても一日たりとも休まず、家事育児をして、毎日家ですぐ側にいました。毎日です。週末だけ父親ぶって家族サービスなどとのたまうその辺のサラリーマンや、わずかな日数だけ会社を休んでイクメンなんてもてはやされる連中とは、はっきり言って全くレベルが違いました。世間の誰よりも毎日一緒だから、誰よりも頑張ったし、誰よりも子供のことを愛していました。それだけは自信があります。

 

そこから引き離されて、否、自分から離れて、もう半年です。

 

あとに残ったのは、罪悪感を自分の命と天秤にかける毎日と、それを無視しながらただ死なないようにしているだけの生き物が一人です。家賃の二重支払い、保育料、生活費の振り込みで、口座の残高は毎月急速に減っていきます。何かあったときのために、子供のためにと思ってずっと貯めてきたお金ですが、まさかこんな使い道になるとは思っていませんでした。

 

こうしないと早晩本当に首を吊っていたので仕方ない、だから妻とのことに後悔はしていないとは思っています。多少思い出すことはあれど、妻への未練は欠片もありません。

 

けれど、子供は今どうしているだろう、無事だろうか、笑っていられているだろうか、という罪悪感は消えません。なんで彼がこんな目に遭わないといけないんだろうといつも思います。それに比べたら、離婚した後の俺の未来なんて、ちっとも明るくもなければ気楽でもありません。

 

ファミレスに入れない。ベビーカーを押す親や子供服の店を見るだけで、絵本コーナーに近づくだけで気持ち悪くなる。走り回っている男の子を見るたびに絶望と罪悪感で死にたくなる。アンパンマンがテレビで流れたら叫び出しそうになりながら慌ててチャンネルを消す。毎年、父の日と誕生日とクリスマスが近づいてくるたびに、どうしたら死ねるかだけを本気で考える。

 

こんな病気が何年も何十年も、一生続くとしたら、どうして将来に希望が持てるんでしょうか。まして社会復帰や復職なんて、保健士産業医には悪いですがまっぴらごめんです。

 

もう他に痛み止めや麻酔は残っていなさそうです。さすがに法に触れるのはダメでしょうからね。集中力が続かなくて、漫画の新刊もなかなか読めないし、買った本を開いてもすぐに疲れてしまいます。

 

明日になったら何もかも持ち直して元気になっているかもしれません。きっと朝が来たらまた少しの間は家族のことを見て見ぬフリができるでしょう。それが何分か何時間かは分かりません。

 

分かっているのは、もうすぐ子供の2歳の誕生日が来るということです。

 

それが過ぎたら俺は、自分の都合で子供に一方的に会わなくなって、誕生日さえ祝ってやらなかった、父親とも呼べない何かになります。もはや生き延びること自体を、自分自身がとても許せそうにない何かになります。

 

そうなってまでのうのうと生きて、まして妻と争って、他人になって、その先に何かが待っているとは、とても思えません。

 

灰色さんは十分に頑張ってきました、他の人ならとても耐えられないと思います、と嬉しい言葉をかけてもらうことがあります。ありがとうございます。

 

でも、そろそろ本当に疲れました。

 

祖父が倒れて、もう回復は見込めないと聞いたとき、人生のどん底だと思ったところから更に底が抜けることってあるんだな、と不謹慎にも笑いそうになりました。

 

俺は不死鳥だ、これを乗り越えたら自慢できる、いつかは武勇伝か笑い話にできる、と自分に言い聞かせて、何度も這い上がってきました。でも、さすがにあと何回持ち直せるか、分からなくなってきました。エネルギー切れです。痛み止めが効きません。

 

誰かに助けてほしいのですが、既に考えられる限りのたくさんの人に迷惑をかけて、困らせてきましたし、誰もがあまりのひどさに絶句していました。それでも何とか話し相手になってくれて、とても嬉しかったです。俺も現金なもので、そういうときはヘラヘラ笑ってくだらない話をしたりしていたのですが、でも酩酊することがない限り、片時も自分の立場を忘れることはできていませんでした。

 

そういうわけで、もうこれ以上助けを求める方法が思い浮かびません。だから、もういいかな、一区切りかなと思って、ブログにしてみました。長くなりましたが、それだけです。