灰色の殴り書き

昔の言葉で言うならチラシの裏です

エクストリームお喋り宣言

俺は、オフラインでもオンラインでも、自他ともに認めるお喋りだ。

 

それも、相当に病的な。

 

一度でもあったことのある知人、ミュートしてないフォロワーなら、口を揃えてそう言うだろうという確信がある。

 

新卒で入った職場で一年間素性を隠していたとき以外、大人しいとか控えめとか自分の意見を持てとか言われたことは、人生で一度もない。

 

声がデカすぎるとか、よくそんなに話し続けられるなとか、そんなんばっかりだ。

 

チャットやTLのログを自分だけが流し続ける悪癖はいまだに直らないし、noteはいつの間にか1万字近くなって読み込みが遅くなる。

 

サイゼリヤだろうが、カフェだろうが、居酒屋だろうが、気がつくとラストオーダーや閉店を告げられて、慌てて話題を畳むのが日常茶飯事だ。

 

カラオケでは部屋の対角にある2階下のトイレまで歌声が聴こえるらしいし、山に登ったときに試したら山頂から直線距離で2kmくらい離れたところのテントまで声が届いたこともあった。

 

対面や通話で喋るときは、思考のスピードと口を動かすスピードが限りなくイコールになって脳と発生器官が一体化していくので、基本的に脊髄反射で会話していて困ることはない。止まるときはブレーキを全力で踏み込むようにしている。

 

けれど、文章を書いて公開することは、今でもまだ怖い。

 

この記事も、手をつけたのは公開の一ヶ月くらい前で、その間お蔵入りさせようか迷ったり、自分なりに表現を増やしたり丸めたりしている。

 

飯食ったとか雨降ってきたとかならいいけれど、まとまった内容を書き上げて連投するときとか、自分の考えを長々書くときは、ツイートするのも少し怖い。

 

それでも、結局は書きたい欲を抑えられないのが俺の性分だ。

 

そういうとき、選べる道は二つしかない。

 

一つは、誰にも見られない場所で書くこと。

 

手元のノートにボールペンで殴り書きするとか、フォロワーのいないアカウントを新たに作るとか。

 

所詮は俺のブログやnoteも、ほとんど反応は貰えないし、これと似たものかもしれない。

 

でも、俺は性根がガキだし承認欲求もクソ強いしインターネットのドブに20年以上浸かってるから、やっぱり何かを書くからには誰かに読まれたいし、何かを伝えたいと思って、文章を書いている。

 

だから、いつでももう一つの方を選ぶしかない。

 

怖さなんてなかったことにして、反論なんぞ知ったことかと割り切って、書いたものをオープンな場所に向かってぶん投げてしまう方だ。

 

カッコよく言えば覚悟を決めるとか勇気を出すとかだけど、そんなに大したことじゃない。

 

ただ、どうにでもなれ!俺はこれが言いたくてたまらねえんだ!という気持ちが勝つだけだ。

 

同時に、書きたいことを書いた結果もし嫌われたなら、その人とはそこまでよ、という開き直りもある。どうせ何の社会的影響力もなければ信者もいない、小市民のアカウントだ。極力炎上しそうな話題には触れないことにはしているし。

 

書くだけじゃなく対面で喋るときも、口から先に生まれたとか言われるタイプなので、興味のある話題になると走り出して止められない。

 

特に、好きなものの話はいつだってしたくて仕方ないし、相手からもたくさん聞きたい。そういう性格だから、周囲との人間関係も作られたり崩れたりを何度も繰り返した末、今の自分がある。

 

これはもう、微調整をして社会と折り合いをつけながら、付き合い続けるしかない、俺という個そのものだと思っている。

 

それでも、Twitterを続けていて、さらにブログを書くようになってからは、言語化能力が高い、言葉選びが好きと、いろんな人に言ってもらう機会ができた。

 

最初は信じられなかったけど、とにかくものすごく嬉しかった。ブログ楽しみに読んでますとか、あの記事よかったです、とか言ってもらえることもあった。

 

他に何の才能も魅力もない、地位も資産も持たない俺にとって、これほどの褒め言葉は他にない。

 

そんなことがあったから、もし俺にそんな能力があるなら、言葉の力が備わっているなら、その全てを用いて、他の誰かを喜ばせたいと思うようになった。

 

好きなものの魅力がもっと分かりやすく伝わるように語ったり、身近な人が必要としていそうな言葉をかけたり、小さなことから大きなことまで何でも具体的に褒めたり、その人自身が気付いていない・当たり前だと思い込んでいるような良いところを伝えたり、そういうことを今までよりもずっと意識するようになった。

 

俺という生物の行動原理は、好きなものや楽しそうなことへの衝動と、受けた恩を返すことへのこだわり、その二つだけでできている。

 

だからもし、俺の能力を大好きな人たちのために僅かでも役立てられて、一瞬でも喜んでもらえるなら、俺が受けてきた大きすぎる恩をわずかでも返せるなら、俺の人生はそれだけでいい、と決めている。

 

俺にそれ以外の武器は何もないから、この口と指と心中する覚悟は、とっくの昔から決めている。

 

だから、そのために自分でオリジナルの言葉をもっともっと磨いて、声に出しても文字で書いても、少なくとも自分の目につく範囲では、一番になりたい。

 

今更政治家や芸人や物書きを目指す気はさらさらないけど、お喋りな一般人としては、滅多なことでは他人に負けないようになりたい。

 

うるせえなと思った人が離れていっても、こいつとは意見が違うと嫌われても、目立ちすぎだと叩かれても、残ってくれる人を少しでも多く喜ばせたい。

 

その思いが、恥とか恐怖とか躊躇とかを、軽く上回っていく。誰かからの「読みました」の5文字は、度胸を倍にしてくれる。

 

出る杭は打たれるなんて言葉は、小学校を出る前に聞き飽きた。四半世紀も出る杭をやってるうちに、小さくともドリルみたいな杭になったので、生半可なハンマーで打ちに来るならこっちがぶっ壊してやる。それくらいの自信はついた。

 

ただひたすら、己の言葉で、俺だけの喋りと文字で、大好きな人たちを、愛してやまない人を、今これを読んでくれているあなたを、1秒だけでも楽しませたいし、和ませたい。

 

そのために俺は人生の全てをかけて、単なるお喋りという存在をぶっちぎった何かになりたい。

 

スーパー、ハイパー……エクストリームお喋りになる。

 

俺にできることは、それしかない。

 

俺が目指せる目標は、それしかない。