灰色の殴り書き

昔の言葉で言うならチラシの裏です

疲れました

昨日夜 楽しく飲み会 やたら熱くなる

 

寝る前 酒の離脱症状か内臓へのダメージか急激にだるくなって心身弱る 推し活がキツく感じる 痛風?足が痺れだす 寒い 咳が激しくてろくに眠れない 寝たら人生の嫌いなやつオールスターの最悪な夢見て起きる 寒い 咳 しびれ

 

朝 しんどい 身体キツすぎたけどコンビニでコーヒー飲んでアイス食ってリワーク行く

月曜朝から薬飲んでないのも悪い気がする

 

リワーク 会社に復職前の最終報告するんだけど急激にプレッシャー感じはじめてヤバかったので推し周りのこと以外全部話す 保健士と医者に予約取る

 

昼 帰宅してオンラインで保健士と同じようなこと話す 移動も長いし疲れる

医者行く前に書類探してたらばあちゃんが俺の私物と一緒くたに子供のアルバム(嫁が送ってきてたらしい)を入れてたのを見つけて一気にメンタルが自殺寸前まで行く

強制的に気分を奮い立たせて車に突っ込まないようにしながら歩きと電車で医者まで行く

夜 1730の予約診療に19時過ぎまでかかる たくさん話して疲れ果てる 帰宅ラッシュ満員電車にぶつかる 漫画の好きなエピソードが離婚した父親と子供(上手く行く)の話なの忘れて被弾する

昼が早くて少なかったので空腹

電車の中で咳が出はじめてガンつけられまくるので今は必死に息を止めてる 苦しい

推しが初の静岡遠征ででかいイベント出るらしいけど無理なのでやめておく

 

 

本気で疲れた

ここまで無理をして1日動き回ったのいつぶりかわからん

労ってくれ、できればいいねだけじゃなく

 

おわり

 

 

 

 

メルトダウン

自分のことがわかった。

 

今まで俺は、俺という人間の本質を超オーバースペックの言語プロセッサだと考えていた。

 

とにかく、あらゆる事象を知覚して認識して即座に言葉にする。そのスピードは誰にも負けない。

 

その代償として、このマシンは止められない。意味と方向性を持たされた言葉は、アウトプットする先がなければ脳内で積み重なり、腐り、自分を蝕んでいく。

 

俺が瞬時に落ち込んで立ち直れないことがあるのは、秒の速さでネガティブな思考が言葉になり、行き場のないそれが脳内で跳ね回って内側から自分を傷つけるから。

 

己の意見に自信を持てるのは、あらゆる角度から言葉による分析を行なって強度を確認することに、他人ほどの時間を要さないから。

 

どうあがいたってこの装置なしでは生きていけないし、この装置があるからこそ俺は俺でいられるので、不具合には目をつぶるしかない。そんなことを、だいぶ前に考えていた。

 

だが、この装置だけが俺の全てではないようだ。

 

この装置の原動力、というか、俺という巨大な機械を動かすエネルギーの源がある。

 

それを、炉と呼ぶことにした。

 

鉄を生み出すような。溶鉱炉のイメージだ。火力発電所と言ってもいいかもしれない。

 

あらゆるものを燃料としてドロドロに溶かし、エネルギーを生み出す。

 

あるいは、思考に必要な材料を作って、言語化装置へ送り出す。

 

生み出されるもの、あるいはこれを動かすものは、感情なのだろう。

 

喜怒哀楽よりももっと原始的で、あるいはもっと細分化されるもの。

 

厄介なのは、俺にとって最も大きなそれは、どうも愛情らしいということだ。

 

愛情というと、あまりにもポジティブなイメージが強すぎるか。偏愛。愛執。執着。妄執。

 

なんでもいいが、とりあえずバランスのいい気がする偏愛にしておこう。

 

これが俺は強すぎる、ということは過去にも幾度か述べた通りだが、どうも憎悪だとかよりもこっちが勝つらしい。恨み憎しみは、どうしてもあんまり続かない。そうなるように、憎しみはエネルギーの無駄だと自分に言い聞かせるトレーニングを長年積んできたからだろうか。それとも、無力なことを知っているからだろうか。

 

不思議なことに、あれだけの目に遭ってなお、憎悪よりも偏愛が勝つし、何か愛する対象を求め続け、そしてそれに狂うだけの機能は俺に残っているようだ。他害に向かないのはすごいと言われたことがあったが、案外そうなのかもしれない。

 

ただ、この偏愛のエネルギーがいくらなんでも強すぎる。

 

熱量が凄まじすぎるのだ。

 

推しに本格的にハマるとき、後輩に言ったことがある。

 

俺が本気でアイドルオタクをやったらどうなるか、どこまで行けるか、見てみたくないか?

 

外から観測できる結果はだいたいご存知の通りなのだが、俺の内部はというとなかなか凄惨なことになっている。

 

メルトダウン

 

自らの熱に耐えられず、内側から溶けていっている。

 

ゴジラvsデストロイアという映画を思い出す。

 

あまりにも巨大すぎる偏愛の熱量に、俺の人間性の器がいよいよ耐えられなくなってきた。

 

いよいよと言いつつたった5ヶ月でこうなったのだから、まあ大概だ。

 

流行りの推し疲れというやつも、俺様くらいになるとレベルが違うらしい。

 

いやしかし、マジで困った。

 

俺の炉に冷却機能はないのだ。

 

ハイローならまだ、公式に声が届くこともないし、相手は巨大プロジェクトだし、俺よりも(ピンポイントでは)熱い人もいたし、まだまともな形を保っていた。

 

生身の人間に惚れ込んだ途端にこれである。

 

全く言わんこっちゃない。ミイラ取りがミイラになるとはこのことだ。

 

推しという言葉を便宜上使っているが、本当は女神とかなんかもっと激烈な言葉を使いたいし、推すじゃなくて愛すとか崇めるって言いたいし、オタクを名乗るのは小学生で卒業したのでマジで今更自称したくないのだが、オリジナルな言葉を使っても悪目立ちするし信者というとネガティブな意味がデカすぎるので仕方なく世に倣っている。

 

が、この異常な熱量だけは、マジでどうしようもない。

 

今でもさんざん熱量がすごいとか勢いがヤバいとか言われるが、皆さんご存知の通り、相当取り繕ってそれである。あれでもかなり冷却して形を整えてラッピングしている。

 

生(き)の俺の偏愛は、多分出禁直行だ。

 

不思議なことにいわゆるガチ恋というのは本当になくて、というかそんなものは多分最初から凌駕していて、ひたすらに狂信的である。宗教のもたらす精神への作用とはかくあるものかと、身をもって思い知る毎日だ。ソロチェキを宗教画のごとく祀り、書かれたメッセージを神託か勅命かと有り難がっているのだから、本当に狂っている。

 

もっともらしい理由を修飾して他人に説明するのが誰より上手いだけで、本質的に今の俺は狂信者なのだ。原理主義者と言ってもいいかもしれない。

 

そして、勝手に宗教戦争をおっぱじめて、それに殉じかねない。ヤバすぎる。

 

冷静に振り返っているようだが、メルトダウンは止まらない。

 

これを冷却するのは並大抵のことでは無理だろうから心底頭を抱えている。

 

とりあえず、体調含めまともではないので、今日のLIVEは久々に自分の意思で行かないことにした。

 

考えてみれば全通が異常なのだが、俺にとってのLIVEとは礼拝であり祝祭であり、最大の幸福を享受できるのにしないという選択肢はないのだ。

 

というのが異常すぎるのは痛感したし、こんな状態で行ったらどうなるか分からないので、一日ではあるが距離を取ることにした。

 

不健全だからやめといた方がいいのはよーく分かってる。害しかないのも、危険なのもよーく分かってる。俺なので。

 

ただ、俺の本気の偏愛は何もかもを焼き尽くすほどに強い。迷惑、犯罪的なことは一切思いつかないのだけが救いである。セクハラめいたことを抜かす輩どもは本人たちから離れたところであろうと金的を潰してやりたくなるが。

 

オタサーの騎士どころか、地下アイドル狂信宗教戦士。(俺の定義では彼女たちは地下アイドルじゃないんだが響きの面白さを優先した)

 

ヤバすぎる。社会不適合とかいうレベルじゃない。

 

縛りプレイの人生2周目だが、最悪なジョブを選んでしまったようだ。

 

褒めるとか語るとか書くとか、そういう俺のスキルと相性のいいジョブだから手に負えない。

 

どこまで「熱量がすごいけど悪いやつじゃない」で隠し通せるか、自分のことながら見ものである。

 

メルトダウンを一日でも先延ばしにするには、とりあえず解散だけは回避してもらって、note書いたり心を許せる友人(無論フォロワー含む)に語ったりと程よく放熱できる活動を続けていくしかなさそうなのだが、どう考えても俺に未来はない。

 

これだけ急激にハマったら急速に冷めるかもと思っていたのだが、今のところ全くそんな兆しはない。

 

炉の温度が上がり続けている。

 

とりあえずはここの記事をひっそりと更新し続けることで、なんとか表の仮面を溶かさずにやっていくしかない。

 

熱血という言葉があるが、俺の場合は文字通り血が煮えたぎっている。

 

ジョジョ二部のエシディシのようだ。

 

程よく推す、みたいなことは、俺には無理っぽい。

 

あまりにも俺の炉はパワフルすぎたし、彼女たちは魅力的すぎたし、その他の状況は絶望的すぎた。

 

俺は誰よりも論理的になれるがゆえに、論理性を容易に捨てる。

 

異常高温の炉が突っ込まれたすべてを気体になるまで溶かしつくし、生まれた熱が俺を生かしている。

 

そのエネルギーでしか俺は動けない。

 

思い返せば、いつだってそうだった気もする。

 

ただ、今が一番深刻っぽい。

 

無限に燃料は入ってくるし、エネルギーを使って生み出したものは、どうも好評らしいのだ。

 

まいった。

 

メルトダウンがどこまでも加速していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

脱・読みやすさ?

最近は詩について学んでいる。

 

正確には少し違って、「詩の教室」という本を読んでいる。

 

これが本当に面白く新鮮な本で、俺の場合は詩をnote(ブログ)に置き換えてもほとんど問題なく成立する。だからこそ刺さるし、共感するし、ため息が出るほどに納得できる。

 

本の内容を仔細に語るのはいずれ書評noteに書くとして、この本を半分ほど読んだところで思ったのは、俺ももっと言葉で遊んでいいのかもしれない、ということだ。

 

十分に好き放題していると言われそうだし、事実そうなのだが、それはどちらかというと感情を剥き出しにしているとか、独特の言い回しをしているとか、そういうことだろう。

 

そうではなく、もっと、言葉の意味や使い方から自由になる。

 

読みやすさの呪いを脱する。

 

文章が分かりやすいとどれだけ言われてきたか分からないし、それは光栄なことでしかないのだが、そのことが逆に俺を俺にとってつまらなくしていないか、と思うのだ。

 

読みやすく、伝わりやすく。大事なことだ。

 

けれど、たまにはそこから飛躍して遊ぶ自由を楽しんでいいのではないか。

 

そうしなければ、早晩俺のような凡人は頭打ちになってしまう。いや、もうとっくになっていて、上手いこと取り繕っているだけかもしれない。

 

もともと言葉遊びを弄したり、比喩を考え出すのはこの上なく好きだ。これまではまだ、人様に読んでいただいているという意識があったから、よほど感情だけで書いたとき以外、体裁を整えていた。

 

一回やめてみるか、それ。

 

読んでくれる人のことを考えるっての、やめよう。

 

これまでも考えてなかったが、そこよりもさらにひどく。

 

思い浮かんで、書きたかったら、書く。

 

まとまらなかろうが、意味不明だろうが、書きたかったら書く。書きたくなくなったら、そこで切る。

 

ただ、公開はする。

 

なんとまあ身勝手なことか。まだ読んでくれている人には迷惑極まりない。

 

ただまあ、思いついてしまったので許してほしい。

 

ちゃんと真面目な記事のときとか、どうしても読んでほしいときはそう書こう。

 

何となく、こうして書いているうちにワクワクして筆が乗ってきてしまったのだ。どうでもいいが、筆が乗るに代わる言葉がいい加減発明されんものかと思う。指が舞うとか?

 

とにかくワクワクする。というか、純粋に確かめてみたい。

 

必要とされる場面では分かりやすさを極めたままで、そうでない部分では徹底的にことばを分解して、再構築して、勝手に定義して、遊び尽くす。

 

そんなことが可能なのか。今までの俺の否定にはならないか。俺は耐えられるのか。もし耐えられたとして、その時に何が残るのか。

 

やってみるのも面白いと思ってしまった。

 

どうせ俺にはことば以外に何もないのだ。それならば、今までと逆の道も見てみよう。

 

自分にとってしっくり来るか、来ないか。その感覚だけを信じる。

 

自分にとって何か落ち着かない、ベタつきやザラつきのあるものは出さない。その中に傑作が混じっているのかもしれないが、単純に不快で仕方ないからだ。

 

歪であっても不細工であっても、それに意味があるかどうかは俺が決める。

 

低次元のものに怒り狂ったり傲慢さをひけらかすのも俺らしいといえばその通りなのだが、せっかくだし別のこともしてみたい。

 

幸いこのブログは精神と時の部屋のようなものだ。どれだけ暴れるのも走り回るのも基本的に俺の自由だ。本家は最終的に穴を開けられたりするが。

 

そういうわけで、読みやすさとか分かりやすさみたいな正道は大体やり尽くしたんで、別のルートを掘ってみようと思う。

 

ここから先は別のダンジョンだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生で初めて、諦めたくない

風邪とはにわかに信じられないくらいの体調不良で寝込んでから、丸2日と少し。布団の中からブログを打っている。

 

連載を復活させるにはまだメンタルが追いついていない。

 

38度以上、体感では去年のコロナのときと同等だったので40℃近くの熱を出したり、その翌日の夜に食ったものを全部吐いたりしたが、なんとかスマホを打てるくらいになってきた。

 

陰性だとは全く思えないのだが、ひとまず祖母には何も症状が出ていないので安心している。

 

何もかもが終わった日からもうすぐ一年で全く同じ症状になって、これでコロナ2回目だったら全く愉快な人生だとなるところだったのだが、そうでないに越したことはない。2月末からフラッシュバックと悪夢には散々悩まされたし、もう十分だ。

 

今日書きたいのは別のことだ。

 

さっきスペースで聞いたのだが、リーダーがボソッとチケットをあと5倍売りたいとこぼしていた。

 

5倍。

 

覚悟はしていたが、その数字の無慈悲さにちょっと軽く絶望してしまった。

 

800人が昼夜で1600人。今売れているのがその1/5だとすると、単純計算で320人になるだろうか。各部160人の計算だ。

 

「今の5倍売る」だと厳密にはもっと少なくなるのだが、さすがにこれより残酷な現実は考えたくない。

 

1月のワンマンが推定120〜150人。それと比べると、昼夜片方しか来ない人が多いことを考慮すれば、かなり健闘しているのだとは思う。

 

そう頭では分かっているのだが、これほどまでに遠いとは思わなかった。

 

 

この間のアイドルの泣き顔が頭によぎる。

 

どこまでいっても、金なのだ。

 

自分たちで創意工夫を凝らし、鍛錬を積み、さらには人脈を活かして素晴らしい楽曲を作ってもらうことまでできても、広報でモノをいうのは金でしかない。

 

その事実を叩きつけられた。

 

気が遠くなる。

 

 

あと18日で、終わりなのか。

 

当たり前だが、誰一人として既存のファンはそのことを口にはしない。

 

さすがに全員がそこまで想像力のないバカばかりではないと思うので、考えないようにしているのだろうか、それともタカをくくっているのだろうか。

 

地下アイドルオタクをやっていれば、それこそ彼女らの前身グループのように解散だ卒業だを飽きるほど見てきただろうから、感覚が麻痺しているのかもしれない。

 

だからこそ敏感になれよ、だからこそ大切に思えよ、と怒りたくなるのはお門違いなのだろう。

 

ここでキレ散らかしても仕方がない。何よりの理由は単純に、生き方の違い、性格の違いでしかないのだ。俺だって、ここまでの交友関係に恵まれたのは偶然と幸運の産物でしかないのだから。

 

 

ただ、終わりが、破滅が近づいている。

 

それが恐ろしい。

 

永遠にそのときは来ないとしても、俺はまだ、なんで彼女たちに救われたのか、どれほど幸せにしてもらったのか、全く伝えていないのに。

 

それを伝えるのが、終わりが決まってからの「最後まで応援よろしくお願いします」期間になるのか。

 

まず耐えられないだろうと思う。

 

 

推し疲れだの、入れ込みすぎだの、そんな凡人と同等の物差しで俺という人間の異常性を測らせはしない。

 

そんなことはどうでもいい。

 

ただ、何か。何かしなければ。

 

もっと、もっと何か。

 

 

ソールドアウトはほぼ現実的ではなくなっただろうと思う。

 

手売りチケットを大阪でも一枚買ったが、その番号の進み具合を見て、あらかたの事情を察しもした。

 

それでも、一歩でも前へ。

 

一枚でも多く、一人でも多く。

 

俺にできることを全てやって、出せるものを全て出して、わずかでも前へ。

 

無意味かもしれないけど、たとえソールドアウトが叶わなくても、大赤字で進退を考えることになったとしても。

 

そのときに、「これだけの人が来てくれるなら、まだやれる」と思ってもらえるように。

 

まだもう少しの間、彼女たちが夢を諦めないでいいように。

 

大好きな人たちが、いなくなってしまわないように。

 

 

ソールドアウトできなかったらそこまでと、最初から決めているのかもしれないと思う。

 

それならば、俺のやっていることなんて何の意味もない。

 

他のファンらしい連中と同じく、力を抜いて能天気に楽しんでいればいい。

 

幾度となくそう思った。

 

 

けれど、わずかでも、砂粒ほどでも望みがあるのなら。

 

俺がやっていることが、彼女たちの心を繋ぎとめる助けになる可能性が、数百兆分の一でもあるのなら。

 

まだ諦めたくはない。

 

人生で初めて、何かを諦めたくないと思っている。

 

絶望的な状況でもしがみついている。

 

これまで33年間生きてきて、物心ついたときから、逆境を避けてきた。

 

弱かった。

 

弱かったから賢しくなったのか、賢しいから弱くなったのか、どちらが先だったかは分からない。

 

ただ、悪い状況に陥らないためだけに全力を傾けてきた。

 

誰よりも頭を回し、先読みをし、ダメージを最小限にし、そのときに備える。

 

それでもダメなら、頑張らない。

 

踏みとどまらないで、諦める。

 

俺が導き出した結論が不可なら、それは絶対に自分の手の及ばないことだから。

 

それにしがみつくのは、自分の心をすり減らすだけだ。

 

それでも諦めずに頑張るなんて俺にはできないし、それが上手くいったことも一度だってなかった。

 

 

追いつめられないように立ち回るか、追いつめられる前に諦めるか。

 

その両方ともに適性があり、そうなるように努力をしてきたのだと思う。

 

いかにも姑息で、意志薄弱

 

「がむしゃらにやる」「粘り強く諦めない」ことが最良の美徳とされるこの世において、俺はずっと劣等人格の烙印を押され続けてきた。

 

「頭でっかち」「理屈っぽい」「根性なし」「逃げ腰」

 

それでも、これ以外の生き方ができないから、そうしてきた。

 

それで、周りの誰よりも結果を出した。

 

賢しくしか怒られないなら、誰よりも賢しくなってやる。

 

他人の理解が及ばないほど深く。他人の想像が届かないほど開く。他人の考えが追いつかないほど速く。

 

賢く賢く賢く賢く賢く。

 

漫画でも、現実でも、世のあらゆるところで、頭がいいというのは半ば侮蔑や憐れみになっている。

 

なんでも確率を計算する敵キャラだの、現場を知らない官僚主義だの。

 

そういう偏見にすがって生きている人間は、同じ生物として扱わなければいいだけのことだ。

 

適当に、話のレベルを合わせてやればいい。

 

おっしゃる通りです、いえいえ何も知らない若造ですから、先輩には敵いません…………

 

求めているキャラクターが見え透いているような、薄っぺらい生物。

 

己のない生き物には、こちらがレベルを調整してやればいいだけのことだ。

 

この程度は屈辱でも何でもない。

 

ニワトリに言葉が通じないからと怒る人間はいない。

 

これを世の中ではコミュニケーション能力とか、管理職適性というらしい。

 

 

また脱線した。

 

賢い俺が、もうダメだと判断したら、それは本当にダメなのだ。

 

逆転は、必然的に起きる。

 

奇跡は、相応の確率通りに起きる。

 

だから、俺の頭は、もうやめておけと繰り返し諭してくる。

 

 

自分でやれるだけはやった。

 

これ以上は何が起きても、お前の責任ではない。

 

怒りが湧いてきたら、全て連中のせいにすればいい。ここでキレたっていいし、誰かを引っ張り出して酒を飲んだっていい。

 

どんな結果になっても、彼女たちは優しいから、「灰色くんが頑張ってくれて嬉しかった」と最後には言ってくれるだろう。

 

最悪の事態になっても、新たな推しを見つけるなんてその気になれば簡単なことだ。

 

認知どころか、すぐに記事を読んで喜んでもらえるようになる。

 

愛情の量が病的に多いお前は、どうせ誰かをすぐ好きになる。

 

何なら新しいコミュニティを探したり、恋愛したっていいだろう。

 

 

こだわるな。

 

思い入れるな。

 

たかが4ヶ月だ。

 

思い上がるな。

 

たった4ヶ月だ。

 

俺よりずっと長く愛してきて、ずっと多くのことを知っているやつが、たくさんいる。

 

俺はただ、舞い上がっていただけだ。

 

何をしてくれと頼まれたわけでもなければ、何を得たわけでもない。

 

 

そろそろ潮時だろう。

 

いつも通り、ショックに備えるために心の距離を取って、最悪のケースを想定して、イメトレでもして備えておけ。

 

いつもと同じだ。

 

そうして、今まで上手くやってきた。

 

何も、お前以外の誰かが死ぬわけじゃない。

 

かたやこっちは一度死んだ2周目、十分楽しんだだろう。

 

目の前の裁判や仕事にでもいい加減に向き合うことだ。

 

 

俺はどこまでも頭と口が回る野郎だ。

 

こうして書いていると、本当にそう思えてくる気がする。

 

けれど、今回ばかりはどうしてもダメだ。

 

諦めきれない。

 

人生で初めて、自分の理性、自分の賢さを現実に否定してほしいと思う。

 

それが外れていてくれと、藁にもすがる思いで祈っている。

 

何かの間違いでもいいから、奇跡が起きてくれと祈っている。

 

俺にできることを最後まで続けるのは、言い訳なのかもしれない。

 

俺は死力を尽くした。他のやつとは違う。

 

この経験は無駄にならないはずだ。

 

人をこれだけ好きになれるのはすごいことだ。

 

その熱量は大したものだ。

 

そう自分を慰めるための保険を積み立てているだけなのかもしれない。

 

 

だけど、今回だけは。

 

今回だけはせめて、俺の完璧すぎる読みを、現実が超えてほしい。

 

俺にはもう、ほとんど手は残っていないけれど。

 

何か。

 

何か。

 

なにかないか。

 

 

なにか。

 

 

 

 

 

 

1000人の熱狂と金テープの中で

月曜日、とあるアイドルの2周年ワンマンライブに行った。

 

一度も見たことはなかったのだが、Finally仲間のおっちゃん(※俺もおっさんだけど、さらに歳上の意ね)がヒマならどうだとチケットをくれたのだ。

 

好みは刺さればよし、そうでなくとも後学のためにというくらいの軽い気持ちで足を運んだ。

 

1300人キャパの会場でのアイドルのワンマンライブは初めてだったことも楽しみな要因だった。

 

 

ものすごくやるせない気持ちになった。

 

終いには特典会はおろか、本編フィナーレの挨拶を聞くこともなく出てしまった。

 

 

そのグループのジャンル自体が俺の好みから外れていたというのも、確かに大きい。

 

2時間で好みのテイストの曲は2〜3曲あったかどうかだった。それもトラックのインパクトがあったというだけだ。

 

つくづく俺は何もかもがこの世界に向いてないらしい、と感じた。

 

 

トラックがいい曲はあった。

 

けれどそれは音源の力であり、自分の知っている何人かのスーパーボーカリストパフォーマーに比べたら、歌とダンスにさほど見るべきものはない、と思ってしまった。

 

大スクリーン、スモーク、ライトの演出。素晴らしくきれいで迫力があった。

 

だが、それは会場が大きいからだ。

 

一定以上のレベルでさえあれば、誰を立たせようが再現はできる演出だ。

 

そうして、だが、だが、と勝手に減点法を始めてしまった。

 

観客として最悪の態度だ。

 

最低限ノっているようにしないと場に失礼だと思い、手振りやサビの軽い振りコピをしてみたりもしたが、妙に突っ張っていたせいでマッサージを受けたばかりの足腰はすぐに痛みだした。

 

 

百害あって一利なしと分かっている愚行に終始したのも、全ては一つの想いからだった。

 

俺の推しの方が、遥かにすごい。

 

彼女たちなら、もっとずっとすごいパフォーマンスを見せられる。

 

歌も。ダンスも。世界観も。メッセージも。その先に描く夢も。

 

 

名前だけは知っているくらい有名なグループだし、どれほど凄いのかと期待しすぎていたところはある。

 

唯一の最推しだからと、彼女たちのことを贔屓に評価しすぎだとも思う。

 

けれどそれでも、楽曲の刺さらなかった自分には、パフォーマンスのレベルもまた印象づけられるものではなかった。

 

 

結局、資本なのか。

 

開始早々、底知れないほどの虚しさに襲われた。

 

一瞬調べただけで、そのマーケティング戦略の「正解」ぶりが理解できたからだ。

 

開幕でとにかく金をぶちこみ、スタートダッシュから話題性を作る。有名な楽曲プロデューサーと振付師で完璧な布陣を組み、普通のグループなら何年もかかってたどり着くような大箱からスタートし、大イベントに出場し、生バンドをつける。

 

軌道に乗れば、そこから先はスノーボール。Winner wins moreの世界だ。これは今思いついた造語だが。

 

もちろん、そんなに簡単な世界でないということは分かっているし、同じようにやっても失敗、瓦解したグループだって山のようにあるのは容易に想像できる。

 

それでも俺は、1stワンマンで新宿BLAZEに、2周年でO-EASTに立つことの大前提は巨大な資本なのだなと、すぐに悟ってしまった。

 

 

後ろ盾がデカければ、極端な話プロモーションを際限なく打てばいいし、さらにチケットを100円で売りさばけば、動員なんて容易に確保できる。そうしてzeppを埋めようとしているアイドルを、この間実際に見た。

 

赤字覚悟で早々に大舞台に立たせて経験を積ませるというのは、育成と話題作り両方の観点から一つの選択肢になるだろう。煌びやかなライト、美しく映える大スクリーン、良好な音響、広々と自由に使える大ステージが揃えば、大抵のアイドルは輝いて見える。

 

分かってはいた。

 

分かっていても、やるせなかった。

 

 

感動的なMCがあった。

 

1300人の会場をSOLDにしたかったけど、できなくてごめんなさい、悔しいです、とメンバーが泣いていた。

 

後ろの方から見渡す限りでは満員に見えたが、やはりキャパにはまだ余裕があったようだ。

 

 

その一瞬で頭に血が上った。

 

背を向けて一人で出て行こうかと思った。

 

 

彼女に罪はない。

 

プレッシャーも計り知れないだろうし、本心からの悔しさだったのだろう。

 

そのプロ意識は尊敬する。だからこそ、感動に会場の1000人以上が包まれたのだろう。

 

 

それでも、ただ悔しかった。

 

3/26のキャパは800人。

 

まだまだSOLDの気配はない。

 

俺は300人くらい入って、ステージからパッと見てたくさん客が入ってる感があれば成功だと思っていたが、そうして内心で保険をかけていたが、彼女たちは具体的な数字を出して昼夜SOLDさせたいと言った。

 

考えてみれば、当たり前のことだ。

 

彼女たちに社長はいない。

 

プロデューサーはいない。

 

マネージャーはいない。

 

チケットの売れ行きは一人単位でダイレクトに伝わってくる。

 

何よりも、費用のことがある。

 

会場の使用料は元より、ここまでに打ってきた広告をはじめとする戦略、朝5時まで続けていたレッスンやボイトレ、豪華すぎるバンドメンバーへのギャラ。

 

想像がつくだけでも、とてつもない金額がかかっていることは間違いない。

 

それを代わりに負担してくれる存在が、彼女たちにはいない。

 

全てはメンバーに降りかかってきて、負担できないとなれば、そこで即ゲームオーバーだ。

 

グループは解散し、メンバーのほとんどはアイドルを完全に引退するだろう。

 

芸能の仕事を続けられそうなメンバーは多くない。

 

つまり、彼女たちに二度と会えなくなる。

 

その白黒がつきかねない日が、あと三週間少しまで迫っている。

 

 

衣装とグッズとチケットを満載したキャリーケースを手分けして抱え、ライブハウスの狭い階段を上る姿が頭をよぎる。

 

寒さに震えながら、フライヤーを配ろうとしては通り過ぎられていた様子を思い出す。

 

こちらはそうして、一人一人かき集めるのが精一杯だ。

 

現場のオタクの総力を結集して、確実にその力でチケットを買わせられたと言える新規は、俺が常連たちを観測している限り、せいぜいが20〜25人ほどだろう。

 

そのうち17人を集めたのが俺。残りのうち3人くらいを集めたのが、イナズマから入ってきたもう一人。

 

これが、紛れもない総力だ。

 

 

何をやっているんだろう、と思う。

 

自分の無力に嫌気が差す。

 

公式の方針にいちいちケチをつけ、徒党を組んでゴネまくり、わざわざチェキの列に並んでまで俺様の考えた戦略を押しつける、醜い厄介オタクの姿が頭から離れない。

 

そいつらを全員ぶっ殺して、代わりの援軍を用意できない自分が、ひたすら呪わしい。

 

 

「灰色くんの言葉にどれだけ救われてるか」

 

「灰色くんほど尽くしてくれる人今までで初めてだよ」

 

そんな言葉が、また胸で痛む。

 

己の無力が呪わしい。

 

 

AKBの人気投票に積みたがるガキじゃあるまいし、と呆れる。

 

どれだけ幼稚か。我ながら失笑ものだ。

 

ただ、耐えられなかった。

 

O-EASTの1300人を埋められなくてごめんなさいと泣く、その無垢な態度が、どうしても耐えられなかった。

 

一人一人がソロ曲をのびのびと歌い、大観衆の前でお披露目された新メンバーがはじめましてと挨拶する様子が、どうしても耐えられなかった。

 

 

俺の命と心を救ってくれた彼女たちは、あと1ヶ月足らずで800人を埋められなければ、解散するかもしれないのに。

 

どれほど願っても、四半世紀芸能の世界に身を置いていても、死に物狂いで人生を投げ打っても、800人キャパの会場に立つことさえ初めてなのに。それが最後になるかもしれないのに。

 

俺が石油王なら、なんて戯言を言う気はないけれど。

 

せめてもう少し、もう一人でも、人を動かす力があれば。

 

そう願わずにはいられなかった。

 

 

悔しくて、虚しくて。

 

最後の曲と同時に放たれた金テープがきらめく景色を眺めながら、なおも増していく1000人の熱狂と感動の中で、俺一人が唇を噛みしめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

己のみが

気がついたら風邪ひいたりとかでこっち2週間更新してなかった。もう大体でもなんでもなくなったからタイトル取ろう。

 

はてなが使いにくすぎるのも間違いなく原因というか、noteも運営がカスすぎるという問題はあるのだがUIとかシェアのしやすさとかあらゆる面で勝負にならないくらい優れている。そもそもはてなのアプリは保存できるチラシの裏以上の機能が本当に皆無で(しかもしょっちゅう消える)、はてな公式(?????)まで飛ばないと他人の記事一つさえ読むことはできないし、その公式さえもトップからは記事検索が見つからないとかいう終わりっぷりだ。今改善されてるのかは知らない。

 

Amazonユニクロ奴隷労働問題とか飲食チェーン過労死問題と同じで、というか俺に言わせれば日本経済そのものがトヨタを頂点にした大奴隷制度なのだが(共産主義者ではありません)、結局のところ人権とかSDGsとかそういう正しさらしきものは個人のこだわりと経済的・利便性的なメリットとのトレードオフでしかない。

 

真にフェアトレードしてるコンプライアンス完璧企業の製品しか買わないとなったら生活費が何倍に膨れ上がることか分からない。俺は途中で考えることをやめた。ワタミはキモいから行かないとか逮捕されてない詐欺師界隈は勘弁してほしいとかその程度だ。だから結局は個々のトピックに対してどれだけ神経質か、無神経になれるか、そういう話でしかない。

 

自分が依存している価値観や集団を絶対的正義と盲信できるのは多角的な思考をそこでストップさせられる知能指数の持ち主というだけだ。思考停止を避けて個別判断でグレースケールのグラデーションを判定し続けるというのは大層ご立派で尊敬すべき態度だが、それを許されるのは無限の時間を持て余している者か、あるいはその思索自体が金を取れるだけのドレスをまとっている場合だけだ。思いきり思考停止するのも、そこから限界まで距離を取るのも、できるのは幸せ者だ。

 

結局のところ俺みたいな半端者は、自分なりのコストパフォーマンス判断に基づいて、何について思考を止め、何については考え抜くかを取捨選択して世の中を受容していくしかない。当然ながらここでいうコストというのは体力とか時間とかあらゆるリソースの総称だ。タイムパフォーマンスとかいう語る価値のないバカの言葉を用いたくはない。

 

全く都合のいいことだと自分でも呆れるが、都合よく生きていかないと体力が持たないのだから仕方がない。自分のこの先一ヶ月に影響がないことに気を揉んでいちいち義憤に燃えられるほど俺はタフでもなければ暇でもない。というか今の状況的には憎悪をばらまいたり反社会行動に走ったり速効遅効の自傷行為に溺れてもおかしくないわけで、そういうことをしない理性だけでも買ってほしい。

 

こっちはもうアップデートされた社会とやらが理想としているらしいものから更に一周回って毎ターン7〜10万円のダメージを受ける縛りプレイつきの人生2周目に入っているようなもので、正直ほとんどの社会問題とされるものにどうでもいいと唾を吐きたくなるときもある。私が嫌だから規制すべきという理論がもしもまかり通るなら全ての子供番組を放送終了してあらゆる親子連れの外出を禁止してほしい。私が不快で傷つくから理論を本気で振りかざせる人間、マジでうらやましい。俺もそれくらいバカになりたい。

 

結局のところ己なのだ、と思う。利己とか利他とかそういう薄っぺらな二元論もどきの言葉遊びではなく、生きていくには己しかいない。このところはひたすらその思いが強固になる一方だ。もともと大きなものへ属することに耐えられず、適性もなく、年代家族地元母校会社同期その他あらゆる属性的なものに馴染めないで生きてきた。

 

中二病とか斜に構えるとかひねくれてるという次元を超えて、物理的に同期の数はどこに行っても一番少なくなるし高校大学とジャンプジャンプで周囲の人間の質が変わっているしでだいぶ筋金入っているので、これはもうそういうものだと受け入れることにしている。そもそも「斜に構えているやつをバカにする」というスタンスを取ること自体が「その方がまともらしい」という空気に流されているようにしか見えないので、相手にするのはエネルギーの無駄だ。

 

「自分語り」をバカにするのは語るほどの自分がないと言っているのと同義だ。己のないスカスカな人間は一切向き合うに値しない。借り物の言葉を振り回して強くなった気でいるのは無料使い放題の武器でイキがっているのと変わらない。素手でも相手にならない。

 

なんという思い上がり、なんと哀れな人間かと自分を軽蔑する毎日だ。こんなことではいけない、人格が疑われるのはこちらの方だ、何一つ成長できないといつも焦るし不安になる。

 

間違いなく、自分より絶対的に優れたロゴス・パトス・エートスを持つ誰かに徹底的に打ちのめされた方がいいのだろうと思う。そうした経験がないままここまで来てしまった。たとえ違う意見を目にしても、それはロゴス=論理や内容に限った話で、稀にパトス=熱意も備わっていることがあるかもしれないが、エートス=仁徳を持ち人間的に尊敬できる相手であるということがない。そうである限り、どうしても相手の人格的欠陥、総体としての醜さが気になってしまい、謙虚になりきれないのだ。賢者は愚者からも学ぶというが、てんでなっていない。

 

この傲慢さを改善しない限りはどうしようもないと思うのだが、全面降伏を許せない、噛みつかずにはいられない狭量な性根が治らない。結局、己の頭の回る範囲で自己弁護と自己否定を繰り返し、己を鍛造し続けるしかない。そうして一層頑固に、意固地に、独りよがりになっいく。

 

それでも己を破壊してくれるもの、そしてそれを快く受け入れられるものがあるとしたら、本しかないのだろうと思う。筆者と擬似的にタイマンを張り、完敗すること。おそらくそれが、今の俺にできる最も手軽な治療法だ。ただ、分かっちゃいるけどそういう読書は非常〜にタフで気が重い。ずっとミステリとか読んでたい。凡百の自己啓発本なんて何の意味もないので、勝負するならガチガチの古典しかないと思うのだが、バトルする気力がなかなか起きないのが難点だ。結局、易きに流れるばかりである。

 

己。

 

己、己、己。

 

どこまで行っても己しかないのだ。

 

小細工で他人を上手く誘導できることはあるとしても、他人が自分の期待に応えてくれるということは、本質的には有り得ないのだから。

 

少なくとも、それを信じるには、俺はもう砕けて疲れすぎた。

 

他人に生を完全に破壊された人間が拠り所とすべきものは、己しかない。

 

たとえ去勢だろうとハリボテだろうと、己は強いのだ、己は賢いのだ、己こそが真なのだと、言い張って生きていくより他にない。

 

己以外に責任を取ることも、己以外に責任を取らせることも、もううんざりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アイドルが嫌いだった【大体まいにち・7】

おはざーっす。今日は午後からなんで午前中からスマホでブログ打ってます。

 

今日もタイトルに言いたいこと書いてるパターンすね。

 

 

テレビに映る女性アイドルが苦手、それを通り越して嫌いでもありました。

 

この文章だけ読んで合わなさそうだと思った方は閉じてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

ほとんどの方はご存知の通り、俺は世代的に言うとモー娘。全盛期が小学生、AKB全盛期ちょっと前くらい?までが大学生、とかそんな感じです。

 

モー娘。のブームは大層凄まじく、運動会で踊らされたりしたのですが(下の学年だっけな?)、とりあえず幼稚園の頃からずっと中二病にかかってたので好きになるわけもありませんでした。バカ騒ぎ系のアイドルソングが苦手なのはこの頃から変わってないかもしれませんね。あとは特に思い入れとかないんでこのパートは終わり。

 

ラブソングとバカソングと青春ソングが嫌いなんで、AKBも当然ながらアレルギー全開でした。そもそもこの時期はテレビをたまの金ロー以外全く見ていなかったのですが……

 

ちなみにこの世で最も嫌いな曲のベスト3には恋するフォーチュンクッキーがずっと居座っています。本気で体調が悪くなるレベルに無理です。聴覚過敏の人にヘッドホンでマキシマムザホルモン聴かせるみたいなもんなんで勘弁してください。ちなみにあと2枠は小さな恋のうたと香水(ここはたまに入れ替わる)。

 

 

とはいえ、その辺はジャンルの話です。

 

一番無理だったのは総選挙?でしたっけ、あの人気投票システムでした。

 

いやー、よく考えたものだと思いますよ。

 

ちなみにヒプマイで一番嫌いな要素もこれですね。こっちは単なる愚痴ですが。

 

そもそも人気投票というものがずっと嫌いです。多数決で絶対評価がつく仕組み自体が。

 

それでも漫画のキャラとかならまだいいんですが、相手は生きてる女の子ですよ。それも10代とかの。

 

それが低順位で病むとか、ギリギリで選抜?に残れなくて泣くとか、ファンがCDでピラミッド作るとか……

 

いや、悪趣味すぎるでしょ。

 

 

リアリティショーとかオーディション番組が大嫌いなのも根は同じなのかもしれないんですが、頑張ってる人間が泣いて退場するのとか、それをエンタメとして演出して消費するのが本当にダメなんですよね。美意識が許さないというか、もっと言うとこの言葉は使いたくないんですが、生理的にどうしても受け付けないんです。

 

だって、可哀想じゃない?っていう。

 

あまつさえジャンケン大会とかやってて、もうバカじゃねえかと。で、恋愛禁止なのに君が好きだ〜言えないよ〜みたいな曲歌って、恋愛禁止破りましたごめんなさいって坊主で記者会見したり別グループに飛ばされたとかやってるわけでしょう。あとなんか全員下着でジャケ写撮ったり全員水着でMV撮ったり?。

 

いや、マジでこれ以上の(性的)消費ってあるか?と。

 

これより醜悪な、大人と大衆による搾取ってあるか?と。

 

もう本当〜〜〜〜に無理でした。何もかもが。

 

 

最近、「アイドル、やめました。AKB48のセカンドキャリア」という、48グループを引退した女性たちのその後を取材した本(ライターも元SDN?の人)を読んだんですが、偏見は解けるどころか、ただただ呆れるばかりでした。

 

あ、でも登場している人たちはみんな素敵な方々ですし、読み物としては非常に面白いのでおすすめです。そもそも冒頭の導入からして圧倒されますので。

 

 

とにかく、アイドル蠱毒システムは心底ロクでもねえなと。その考えは今も変わりません。

 

争って泣いてる人、見たくないんですよ。男女問わず。

 

ワートリの太刀川さんの言葉を思い出します。

 

「気持ちが強い方が勝った」って、じゃあ負けた方は気持ちが弱かったのか?っていうやつですね。

 

極論、ビットコインで一山当てたやつとかに推されたらCDなんか際限なく積まれるわけで、そしたら中高生のお小遣いなんて台風に晒される藁の家ですよ。実際にそういう例があったかは知りませんが。

 

人気投票への憎悪は止まらないんでこの辺でやめときます。

 

 

あと、この機会にどうしても書きたいことがもう一つあって。フォロワーでも好きな人多そうなんで言わなかったんですが。

 

 

櫻坂?欅坂?乃木坂?のサイレントマジョリティって曲。めちゃくちゃ流行ってて、否応なしにテレビで見るタイミングがあったんですよね。なんかの歌番組かけっぱなしにしてるときだったかな。

 

「君は君らしく生きて行く自由があるんだ 大人たちに支配されるな」って、みんな同じ衣装で一糸乱れぬダンスで歌ってるんですよ。

 

自虐コントなのか?

 

悪趣味すぎるだろ、いくらなんでも、と。

 

マジでこの歌詞の邪悪さ凄まじいですよ。

 

剣闘奴に「一人ひとりが生きている人間なんだ 生命は何より大切なんだ」って歌わせるようなもんですよ。

 

ストリートチルドレンに金渡して「この世界は優しさに溢れている 僕たちは今日も幸せだ」って踊らせてるのと同じです。

 

いや、支配されてるだろ、と。

 

ちょっとこれは本当に、鼻で笑うのを通り越して勝手に心配になりましたね。病んじゃう子とかいるんじゃないのって。しかもなんか絶対的センター?とかいるじゃないですか。あれも意味分からんし。

 

 

そんなわけで、ずーっとアイドルというものに偏見があったわけです。……っていうか、48ファミリーへの憎しみですね。ほとんど。

 

嫌なら見るなとかじゃなくて、ひたすらに女の子がかわいそうすぎないか?大人醜すぎないか?ってだけです。ROCKYだったらキレてますよ。

 

あ、ももクロニュートラルです。濃いし、強そうだし。こないだイナズマで初めて生で見たら高城れにちゃんが欠席で3人だけでしたが、それでも貫禄のステージでしたね。ただ、特にブッ刺さる楽曲に触れたわけでもないんで、本当にニュートラル、無でした。

 

 

なので、地下アイドルにもガンガンガンガンに偏見があって。具体的には、悪い大人たちの道具になってる存在としか思えなかったんですよね。しかもこの場合、ファンの質だってピンキリだろうし、と。

 

ファン側についての今の俺の考えは別の記事で書いたんで省略します。

 

 

そんな中、偶然見かけて一目惚れしたアイドルは、なんとセルフプロデュースでした。

 

Juriちゃんなんか社長兼プロデューサー兼マネージャー兼振付師兼リーダーですよ。バグってるだろ。Megは作詞振り付け歌割やってるし。で、みんなでクソデカスーツケースに衣装とグッズ詰めて遠征してエレベータもないライブハウスの6階とかで一日2本とかLIVEやってるんです。

 

だから、本当に偶然でしかないけど、Finallyは好きな要素がてんこもりなだけじゃなくて、嫌いな要素が皆無だったんです。

 

事務所を抜けて6人で独立した話とか、本当に尊敬してます。

 

その事務所所属のアイドルがどうしても好きになれないのは、こういうところもありますね。単純に他に好きなグループ(ジエメイとか)が異次元なのもあるけど……

 

 

ただ、Finallyに出会ってから確信を深めたことがあって。

 

俺が嫌いなのはアイドルじゃなくて、「事務所」「プロデューサー」だったんだなと。

 

大人が嫌い、って30もゆうに超えたおっさん(子持ち離婚協議中)が言うのは終わってるなと思いますが。

 

事務所が夢や目標をエサにして少女たちを馬車馬のごとく働かせ、駒のように操作し、奴隷のように従わせる。

 

プロデューサーは着たくもない衣装を着せて、全然思い入れのない言葉を歌わせて、意味不明な企画を打つ。

 

俺はそういうのを憎悪してるんだなと。

 

事務所とかプロデューサーの存在がネガティブに作用しているケースには、ジャンルを問わず嫌気がさします。正直言うとLDH(と鈴木おさむ、よく知らないけど)とかもそうですね。

 

 

ナイーブで幼稚でピュアすぎる感情かもしれません。ただ、本当にほとんどのアイドルとかアーティストの人たちは年齢を問わず努力しているし、歳以上に大人でメンタルも立派で、尊敬できる人が多いと感じます。少なくとも表に出ている面は。

 

話ズレますけど、ランペとかこれ以上ないくらいナイスガイ揃いで年齢を感じさせない安定感とチャレンジ精神を兼ね備えたパーフェクトグループなのに、少なくない割合のファンの質が全く伴っていないみたいで、本当に苦労するなと思います。注意喚起しても聞いてくれないとか。どんなアーティストもファンを変えることはできませんからね。西川兄貴のオタクでさえ相当ひどい話ありますし。

 

 

ファンおよびオタクの話はいい加減にやめますが、とにかく大人が限りある少年少女の時間とか夢を消費する構造が見えて透けるのが、この世で最も醜悪なものの一つに感じられるんですよね。

 

地下でも俺が見てるのなんて相当の上澄みですが、それでも目立つのはあります。

 

チケットを一人3枚買ったらあなたへのお手紙プレゼントとか、10枚買ったらオフ会とか。

 

スタンプ500個集めたらデートとかいうのもどっかで見たな。海老名で服選んでもらった俺が言う権利ないかもしれんけど。

 

一番ひどかったのはグループ内での手売りチケットダービーってやつです。noteでフォローしてるメンタル病んでる系アイドルさんがそれで大層苦しんだみたいで、チェキトークでも「好きだけど事務所が嫌いだから離れる」って言われたとかなんとか。直接言うやつも頭おかしいだろと思いますが、「本人たちは好きだけど事務所は許せない」って気持ちには俺も多分なると思います。自分の中で我慢できないラインを越えたら。

 

そういうのを見るたび、やるせない気持ちになるわけです。

 

BiSH?とかも、プロデューサーが解散したいから解散するらしいし。で、納得できてないですとかコメントしてるメンバーがいたりするわけですよ。あとなんか大昔全裸MVとかいうのあってマジでドン引きしました。

 

 

いや、もう、本当に。

 

やめろよ、そういうの。

 

相手は人間だぞ。

 

夢を見て東京に出てきたひとりの女の子だぞ。

 

 

結局、俺が本当に嫌いなのはアイドルじゃなくて、秋元康的な存在だったという話です。

 

秋元康のやったことで評価できるのはたったひとつだけ。

 

蒼き流星SPTレイズナーのOP「メロスのように」の作詞をしたことだけです。

 

それがあるから、「レイズナーは好きだけど秋元康は大嫌い」がずっと続いていて、困った物です。

 

誰か何とかしてくれよ!(アニメ版OP)

 

 

おわり。