灰色の殴り書き

昔の言葉で言うならチラシの裏です

大体まいにち書きたいこと、はじめます

どうも皆様ご無沙汰しております。灰色です。

 

本垢をフォローいただいている方はご存知かもしれませんが、愛するアイドルのワンマンライブに向けて、毎日noteを更新する企画をスタートしました。

 

熱とクオリティを保った文章を、力の限りアップしていきたいと思います。

 

 

じゃあ、この、記事は何かって?

 

いや、1日目から何なんですけどね。

 

多分ふつーにやると力尽きるんすよ、俺。

 

だって、気合い入れて書くの苦手だもん。

 

あと、この世で1番嫌いな言葉の一つが、「継続は力なり」です。

 

だから、普通にやったらダメだな、と。

 

とりあえず、こっそり記事をストックしたりはしてるんですけどね。ただ、モチベーションというよりも、息抜きが必要なんですよ。多分。

 

というわけで、またここを利用させてもらうことにしました。

 

大体まいにち。だから、誰にも何にも一切責任は負いません。

 

情熱的にアイドルを推す裏で、俺はそんなろくな人間じゃないよ、って本音を書いてみたり。

 

カッコつけた言葉を使いたいけど使い道がないとき、書き留める用に使ったり。

 

やり場のない感情をとりあえず排出したり。

 

そんなことに使おうかなーと思ってます。

 

このブログを未だに読んでる人なんて物好きな灰色フォロワー精鋭中の精鋭だろうから、気楽ーーーーーーーにやらせてもらいます。

 

なんてったって、武道館を目指すアイドルたちやその親御さんなんかには、俺の本性はとてもとても見せられないですからね。

 

みんなほど仲良くない、新たに増えたフォロワーにも、読まれたくはないし。

 

というわけで、適当にお付き合いくださいませ。

 

 

 

愛させてくれて、ありがとう(年末自分語りシリーズ③)

こんにちは、大晦日の灰色です。こちらが2022年最後の記事にして、自分語りシリーズのとりあえずラストとなります。

 

前回②までは、自分が怖かった呪いと、それを解けるようになった話について書きました。

 

 

今の俺は、人と違うことも、大して違わないことも、ちっとも怖くありません。

 

本当に恐ろしいことは、別にありました。

 

思えば人生のたくさんの場面で遭遇してきたことでしたが、その正体が今年ようやく、断定できました。

 

それは、誰かを愛するのを、正確には愛していると伝えることを、許されなくなることです。

 

突然、大好きなひとから理不尽に引き離されて、どれだけ気持ちを伝えたくても、大切だと思っていると言いたくても、それが叶わなくなることです。

 

答えが欲しいなんて言いません。

 

明確に拒絶されたのなら、その瞬間がどれほど辛くても、他に愛するひとを見つけて、いつかは傷が癒えるかもしれません。

 

けれど、ある日突然、言葉が伝えられなくなってしまったら。

 

そのひとに届けたかった愛は、やり場のないまま、いつまでも心の中で、後悔や罪悪感と混ざった澱になって、ヘドロのように堆積していって、永遠に心を蝕みます。

 

名無しの足長おじさんになるには、自分はまだまだ未熟です。だからせめて、相互のコミュニケーションの中で、好意を、愛を、伝えたいと願うのです。

 

たとえ、それがどのくらい伝わっているか確認できなくても。

 

相手がまだそれを理解できないくらい幼くて、一方通行の自己満足だとしても。

 

俺という存在がそのとき愛を伝えていたことを、彼が覚えていられなくても。

 

 

直接の言及を避けてきましたが、皆さんには何のことを言っているか、もうお分かりだと思います。

 

この世にたった一人の、最愛の我が子のことです。

 

父にわがままを言ってみたり、遊びをねだってみたり、少しずつでも毎日、二人なりの対話が深まっていた、これからが楽しみで仕方なかった、そんな時期でした。

 

コロナに感染して発熱して、荒っぽく接してしまった3月の朝を最後に、彼とは会っていません。

 

 

妻への愛情は、うつの地獄に突き落とされたあの日から、とうに枯れ果てて欠片も残っていません。わずかな心残りもありません。

 

けれど、あの子にだけは、もっともっと俺の言葉を、自分なりの愛情を、注いであげたかったと、最後に会ってからもう9ヶ月以上経った今も、考えない日はありません。

 

俺は、自分の生命を選びました。

 

抜き差しならない状況で、それ以外には選択肢などなかったと、今も信じています。

 

それでも、きっとこの先もずっと、絵本コーナーには近づけないだろうし、ベビーカーの子供連れは正視できないでしょう。

 

俺は、我が子に愛を伝えることを、失いました。

 

恋愛とか人類愛ではなく、常に特定の誰かを愛していないと生きていられない俺にとって、息子はこの世でたった一人の、全力で愛情を注がせてくれる存在でした。

 

内臓の半分、魂の半分を削り取られて、今もそれは変わっていません。

 

そのことに、ずっと苦しんできた一年でした。

 

自分は幸運な方だと、常に信じて言い聞かせてきた俺が、初めて本当の地獄、這い上がることもできないようなどん底から足元が抜けたさらに下を味わいました。

 

自ら命を絶つことは前提として、身辺整理の手間とか連絡の手段とかタイミングとか、そんな些細なことを考える、奇妙な時間を過ごしました。

 

 

それでも、今俺はこうして生きて、文字を打ち込めています。

 

人間死ぬ気になれば何でもできるとか、死にたいと思っているうちは死なないとか、生きていればいいことはあるとか、時間が解決してくれるとか、遺された人の気持ちを考えてとか、そんな月並みな言葉は、踏みとどまるのに一切役には立ちませんでした。

 

俺と同じ境遇の人、似た苦しみを味わっていて共感してくれる人なんて、一人も見つかりませんでした。

 

ただ、見るに堪えないような、流れてくるだけで気分が悪くなるような俺の悲鳴の文字列を見て、それでも目を背けずに何か伝えようと、精一杯傷つけないように言葉を選んで、声をかけてくれた人たちがいました。

 

フォロワーも、大学の友人や先輩後輩も、年齢性別を問わず、祈りにも似た気持ちをくれた人たちが、俺の周りにいました。

 

そんな人たちのおかげで、そこまで急いで死ぬこともないかな、と少しずつ思えました。

 

それに、話をしてみたら、何もかけられる言葉がなかったけど心配でした、とか、またお話しできてよかったです、とか、そんな風に言ってくれる人もいました。

 

そんな人たちのことを、俺を見捨てずにいてくれた人たちを、愛することができるようになって、そうして俺は、抉られた心臓でもなんとか息をできるようになりました。

 

もともと恩義を感じやすい性格ではあるものの、本当に文字通りの命の恩人ができたのは、今年が初めてだったかもしれません。少なくとも、去年以上の絶望の中から引き上げてもらったことは、絶対に忘れません。

 

 

お会いしたことがなくても、長い間お話をできていなくても、画面の向こうにいるフォロワーのあなたを、灰色は愛しています。

 

喪失したものの代わりのように考えてしまうことは、心から申し訳なく思っています。

 

大げさで重たい言葉ばかりで、付き合いきれないような負担を感じさせてしまうであろうことも、想像がつきます。

 

それに、本当の意味での無償の愛を贈ることなんて、俺にはどうしても無理です。

 

欲しいものはただ一つ、言葉にして想いを伝えさせてくれること。その相手からは何の言葉も返ってこなくても、ただ俺の想いを伝えるのを許してくれること。

 

それが俺にとっての最大の見返りで、どうしてもそれを求めてしまうから、俺は無償の愛なんて高潔なものには程遠いのだろうと思います。

 

 

けれど、それでも、どうか今年のうちに、この言葉だけは伝えさせてください。

 

 

どこかのあなたへ。

 

愛させてくれて、ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

「掛け算理論」が俺を生かしてくれた(年末自分語りシリーズ②)

①の続きです。

 

 

怖かったのは、人と違うことじゃない。

 

「自分は多数派にはなれない」ということを、ランドセルしょってる頃から理解していた自分にとって、そんなことは言われるまでもなかった。

 

その代わりに、自分は「大して変わり者でもない」と思い知らされることが、何より怖かった。

 

自分は皆のできることができなくても、見た目が良くなくても、人付き合いが下手でも、せめて「個性的な人間」なのだと思いたかった。

 

平均に絶対になれないなら、極端なのも面白いじゃないか。そう信じたかった。

 

けれど、世の中には、同世代には、自分なんか想像もつかないほど、ユニークな人間が数えきれないほどいる。

 

同い年でも、途方もなくすごい人生を送ってきた人が、先駆者が、発信者が、エンターテイナーが、たくさんいる。

 

そんな綺羅星と比べたら、自分は路傍の石、ただ歪み方がひどいだけの石に過ぎないことは、分かっていた。

 

花を咲かせないどころか、踏まれたら潰れて終わる、生命力に乏しいだけの雑草だと、本当は理解していた。

 

だから、「お前は全然個性的じゃないし、面白くもない。ただ人より劣っているだけだ」と、自分が自分へ常に言い聞かせてきた。

 

何様のつもりだ。調子に乗るな。

 

お前は思い上がっているだけで、実際には人並みの幸せには手が届かない上に、唯一無二の存在にもなれない。

 

凡人より下の層にいるだけの、大勢の一人に過ぎない。

 

そんな、冷たい目で俯瞰している自分が突きつけてくる真実が、ずっと心身をがんじがらめにしていた。

 

 

けれどある日、どこかの誰かがブログで、こんなことを書いていた。たしかサッカー選手だったと思う。

 

サッカーをやっている人間は、日本に何十万人といる。

 

だけど、同時にブログを書いてもいる人間となると、その数はグッと減る、と。

 

たとえばあなたに、1000人に1人と言える個性や特技がないとする。

 

せいぜい、10人に1人くらいの割合かもしれない。クラスでも3〜4人はいる計算だ。

 

けれど、そのくらいの個性を、いくつも持っていたら?

 

10人に1人の個性が4つ。

 

簡単に計算して、10×10×10×10=10000。

 

これでもう、あなたは1万人に1人の個性的な人だ。

 

そんなようなことが、書いてあった。

 

10人に1人くらいの個性、特技を4つ思い浮かべるのが面倒なので、一般的な具体例を挙げることができないのだが、試しに自分の中からいくつか、1/10くらいな気がするものを抜き出してみよう。自慢話に聞こえるものは無視してほしい。

 

 

1. 5時間以上一人カラオケをしたことがある。

 

2. 1万字以上のブログやnoteを5回以上書いたことがある。

 

3. 一日7時間以上読書に没頭できる。

 

4. 同じ映画を劇場で5回以上見たことがある。

 

5. インターネット上だけで、心を許せる友人が10人以上いる。

 

6. 年によっては積雪で窓が開けられなくなるほどの豪雪地帯に新卒で配属され、1年間生活したことがある。

 

7. 夜行バスに12時間乗ったことがある。

 

8. スキーやスノーボードが全くできない。

 

9. 古い日本企業の営業を7年やっていて、ゴルフを一度もしたことがないだけでなく、誘いも全て断り続けている。

 

10. たまに格闘技を見る以外、スポーツ観戦はオリンピックやW杯も含めて一切しない。

 

11. 足のサイズが大きすぎて、靴屋に履けるスニーカーが一つもない。

 

12. 飲酒による寝過ごしで、3回以上野宿をしたことがある。

 

 

とりあえず、キリがないので12個挙げてみた。

 

なぜ12個かというと、10の12乗がピッタリ1兆になるらしいからだ。

 

ということは、この時点で俺は1兆人に1人しかいない人間ということになる。

 

1/1兆の個性。これはなかなか結構な響きだ。満足満足。

 

 

もちろん、ここまで読んでくる途中で、皆様は既にお気付きになられたはずだ。

 

特技なんて呼べないネガティブな要素が多すぎるだろ。

 

そんなことでいいなら、誰でも何とでも言えるわ、と。

 

全くもってその通りだ。

 

ネガティブな要素でもいいではないか?

 

それだって立派な個性だ。他人と同じ土俵での自慢はできないけれど、隣の誰かとあなたを分ける、立派な証明だ。

 

誰でも何とでも言えて、それでいいではないか。

 

あなたのこれまで経験してきたことも、経験してこなかったことも、評価されたことも、評価されなかったことも、全てが等しく、あなたを「その他大勢の中の1人」から切り離す。

 

俺ほどメチャクチャな例を探す必要はない。それが5人に1人くらいの何かでも、10個集まれば、それだけであなたは1000万分の1人だ。

 

 

俺には何かを創作することも、大金を稼ぐことも、他人を感動させることも、魅了することも、勇気を持って一歩踏み出すことも、ギリギリのところで根性を出して踏みとどまることも、できはしない。

 

それでも、自分の中にある、いいことも悪いことも、カッコいいこともダサいことも、とりあえず変なことをありったけ並べたら、俺は今後1000年くらいは現れることのない、地球上でたった1人の人間だと、断言できる。

 

この「掛け算理論」は、誰かと優劣をつけるためには使えない。仲間内でマウントを取るのにも、Twitterでバズるのにも、オンラインサロンで信者を集めるのにも、使えない。

 

世間からのあなたの評価には、おそらく全く寄与しない。

 

あなたの能力を向上させる手助けにさえならない。

 

けれど、もしあなたが、「普通じゃない」と「大したことはできない」の板挟みに苦しんでいたら。

 

「自分なんて凡人に過ぎない」と思って、自信を持てずにいたら。

 

できないことに悩まされて、身近な誰かや、架空の他人と比べて落ち込むことがあったら。

 

そんなときには、掛け算理論をオススメしたい。

 

たとえ金にならなくても、自慢にならなくても、人には言えないような傷や恥でも、あなたを構成する全ての要素を掛け算したら、あなたの代わりになる人間は、宇宙のどこにも存在しないのだ。

 

 

俺は、これに救われた。

 

普通になれないなら、せめて変な人間だと胸を張りたい。

 

願わくば、自分の狭い人間関係の中であっても、「灰色は知り合いの中で一番の変わり者だ」と言われたい。

 

それが褒め言葉でなくてもいい。

 

ただ、どうやっても普通になれなくて、大人しくできなくて、真面目にやれない自分にとっては、「人と違う」ことだけが、拠り所だから。

 

あなただけの強みを探そう、なんて、俺以外のやつが腐るほどバラまいている言葉を使う気は一切ない。

 

ただ、一つだけ断言できることは。

 

それがどんな材料でもいいから、何回か掛け算を繰り返したら、あなたは他の全ての生命体から差別化され、唯一無二の独自性を持った、あなたという個を保証できるということだ。

 

こんなことが、俺以外の誰かの役に立つかどうかは分からない。

 

けれど掛け算理論は、呪いを解く手助けをしてくれた。

 

俺よりトークが面白いやつ。金を稼げるやつ。文章が上手いやつ。歌が上手いやつ。カリスマがあるやつ。

 

誰かの決めた基準を使えば、世の中には、自分より優れた人間が星の数ほどいることになる。

 

けれど、別に俺は星じゃなくていいし、花を咲かせなくていいし、地上に出てこなくてもいい。

 

ただ、灰色という、複製も代替もできない一人であることに、胸を張れればそれでいい。

 

俺は、本当はこれくらい特別な人間なんだと、自分で自分を認めてやれればいい。

 

さぁ、俺は、どんな人間だ?

 

 

20年間一人カラオケをしてきたし、連続で8時間歌ったこともある。

 

英会話に一秒も一円もかけなくても、同時通訳をしたり、海外同業のエリート野郎と交渉したり、酒を朝まで飲み交わすことができる。

 

22年以上インターネットの片隅を這いずり回りながら、友人を増やして減らしてを繰り返してきた。

 

HiGH&LOWにハマって、ツイートを繰り返しているうちに、フォロワーが2000人増えた。

 

ハイローFMの男限定上映で、リアル琥珀さんと龍也さんに会うことができた。

 

偏差値50代の高校から、塾や予備校に全く通うことなく、某私大の某学部に現役で合格した。

 

グラップラー刃牙の最大トーナメント入場選手紹介を暗唱できる。

 

「ダルタニャン物語」全巻を2ヶ月弱で読破した。

 

ヒプノシスマイクのオールスター曲を一人で全パート歌える。

 

メギド72のアクスタ祭壇を自宅に築いている。

 

ウルトラマン超闘士激伝の完結を約30年越しに見届け、1万字超えのnoteを書いた。

 

メダロットのゲームとカードの大会に出たが、すぐに負けた。

 

掲示板のラジオで、同時接続4000人にトークを聞かれた。

 

スーパーマリオを全くプレイしたことがない。

 

テントを持って夜行バスに乗り、剱岳に一人で登ったことがある。

 

3歳のときに人生で初めてプレイしたゲームが、父のMacintoshに入っていた世界で2番目に古いFPS「マラソン」

 

メギド72をリリース半年からずっとプレイしている。

 

スパロボだけで知ったロボットソングを50曲以上歌える。

 

ボーボボの単発ギャグキャラの名前を20以上言える。

 

モンスターハンターGの「四本の角」をソロでクリアした。

 

モンハンP2Gの闘技場のディアブロス戦で、ハンマーで1分20秒を切った。(おそらく世界記録)

 

小1の頃から、脳内で勝手に漫画やゲームと曲を合わせたMADを作り続けている。

 

サンプラザ中野くんの声マネでカラオケができる。

 

合宿の班長をやりつつ、35kgのザックを背負って、日本三大急登の一つと言われるルートを登った末、下山までに総量19kgの食料飲料を消費した。

 

さいたま新都心のけやき広場ビール祭りに、オープンからラストまで居座って飲み続けたことが複数回ある。

 

クラッシュバンディクー3を105%完全クリアした。

 

バルジ大喜利やDTC異世界転生のようなハイローのバカネタを公式制作陣に把握されている。

 

Slay the Spireを200時間遊んでアセンション20をクリアし、全プレイヤーの上位0.1%に入った。

 

SOUL’d OUTの曲の大半を噛まずに歌える。

 

日本語しか話せない部長が機能停止している間、海外の同業最大手の社長と英語で話して、必死に対等に振る舞おうとした結果、新規の輸出仕事を増やせた。

 

社員1万人以上の会社で初めて育休を取得し、産後2ヶ月の間は1秒も仕事をしなかった。

 

夜頻繁に起きる子供の隣で眠って、交代で少しでも妻を休ませるようにした。

 

テレワーク化も相まって、妊娠3ヶ月頃から1歳半まで、2年以上の間一日も子供から離れなかった。

 

復職後は17時まで仕事、20時まで家事育児、24時前まで仕事、というスケジュールを自宅で過ごしていた。

 

妻の精神的DVによってうつ発症・休職後も、1年近くは一日も休まずに同居で家事育児を続けていた。

 

妻による精神攻撃の理由の大半は育児とは関係なく、結婚前から数年間募らせていた恨みで、一生忘れないと言われた。

 

コロナ発症で40度の熱を出したのと同日にLINEで妻から事実上の絶縁宣言を受け、最愛の子供にはそれ以来一日も会っていない。

 

ベビーカーを見かけたり、アンパンマンのOPを聞くだけでフラッシュバックが起こり、寝込む時期が続いた。

 

弁護士を雇って離婚協議中だが、財産分与によって俺は口座残高の大半を奪われることが確定しているにも関わらず、相手はなおも自分から金をゆすろうとしている。

 

それと弁護士費用を合わせると、新卒から貯めてきた貯金のほとんどが消えてなくなることが決まっている。

 

自殺を考えるほど追い詰められたところから、フォロワーの言葉に救われて、生き延びることができた。

 

TMRのLIVEのために初めて遠征して滋賀県に行き、感動で生きる気力が少しずつ戻ってきた。

 

家庭の事情を何も知らせないまま、半年前まで元気だった祖父が急逝した。俺の誕生日の一週間前だった。

 

なんとかその日までは生きようと決めていたイナズマロックフェスで、アイドルに一目惚れした。

 

そのアイドルが、多忙を極める中でもnoteを読んだ感想をくれる。

 

雲の上の存在の西川兄貴に、わざわざ俺のことを紹介してくれた。

 

彼女たちFinallyのおかげで、毎日が楽しくなった。

 

ハイローがつなげてくれたフォロワーが、地獄に落ちたときに手を差しのべてくれて、一緒に酒を飲んだり歌を歌ってくれて、後輩がドライブに連れ出して気持ちを回復させてくれて、勇気を出して参戦したLIVEで西川兄貴の歌声に救われて、Finallyに惚れ込んで、今ようやく、それをブログに書けた。

 

 

誰も経験したことがないようなことならまだまだあるけど、キリがないからこの辺にしておこう。

 

さて、俺は何人に一人の人間だ?

 

 

他人に胸を張れるような人生じゃない。

 

人並みの幸せは二度と手に入らないだろう。

 

消えない苦しみや罪悪感と、一生付き合っていくことは間違いない。

 

ワガママを言いながらも実力で勝ち取った社内での最速・最高の評価も、2年の休職で2周以上の周回遅れになり、取り戻せそうにない。

 

Finallyは大好きだけど、現場のファンの中にはどうにも馴染めない。

 

HiGH&LOWシリーズは大好きだけど、ザワクロスは好みに合わず、盛り上がれなかった。

 

思い通りに行くことなんてない。

 

ドン底からは上がるだけだと人は言うけれど、その底が突然抜けて奈落に落ちることも、落ちた衝撃で骨折することも知った。

 

地獄は嫌というほど味わった。

 

けれど、時に天国を感じる程度には、浮上してきた。

 

 

今なら、俺は胸を張って言える。

 

俺は灰色だ。

 

誰も聞いていなくても自分が考えた言葉を叫び続ける、宇宙にたったひとりの人間だ。

 

何を喪っても、何を持っていなくても、俺はここにいる。

 

 

俺は灰色。

 

死ぬまで黙らない男だ。

 

 

 

 

「そんなに変じゃない」が怖かった(年末自分語りシリーズ①)

久々にこちらのブログの更新です。

 

まず、はじめに。アイドル・Finallyにハマって以降、主アカウントの方は自主的広報活動…….というとさすがに思い上がりですが、休職開始と同時にかけた鍵時代からは方針を180度転換しました。

 

わずかでも共通点があるフォロワーを極力多く獲得すること、そうして最終的には彼女たちのファンを一人でも増やすことを目標と定めて、Twitterに加えてnoteでも活動しております。

 

これはハッキリ言ってしまえば、俺がどんなことになっても寄り添ってくれる、見捨てない人たちに甘えていた鍵垢の頃と比べると、たとえ考え方が違ったり、それほど相手からの好意が感じられなくても、大目標のための手段と割り切ったアカウント活動へ移行したことを意味します。

 

ゆえに、こちらのブログは基本的に鍵垢での公開(アップ報告)にしようと思います。灰色にずっとついてきてくれている、俺なんかには勿体ない宝物のようなフォロワーだけに向けた、素の言葉を書く場所にしようと思います。

 

そのため、これまで以上に歯に衣着せない物言い、あるいは自分語りや自慢話が増えると思われますが、そんな注釈も皆さまには今更かと思われますので、どうかまたご容赦ください。

 

さて、ようやく本題です。

 

 

ちょうど俺が思春期に入った頃だろうか?

 

巷では徐々に、「人と違うことは悪いことじゃない」「ひとりひとりの個性を伸ばす」といった言説が流行り出していた。

 

その最たる例の一つが、SMAP世界に一つだけの花」だった……とここでは仮定しよう。

 

ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン。

 

人と同じじゃなくていい、あなたらしさを大事に。

 

そんな言葉に、当時の自分はとても救われた……わけではなかった。

 

自分が人と違うこと、どう頑張っても多数派と同じになれないことなんて、その頃にはとっくに分かっていたから。

 

 

具体的にいつからだったかは分からない。

 

自分の家には自動車がなく、ドライブというものをしたことがないと知ったとき。

 

初めてのゲームボーイと一緒にソフトを買ってもらえるのに、ポケモンではなくメダロットを選んだとき。

 

こち亀を貪るように読んでいたせいで、日々触れる漢字を読めないことがほとんどないのに気付いたとき。

 

自分には運動神経やスタミナというものが皆無なのを知り、体育の授業がひたすら苦痛になってきたとき。

 

国語の授業で、教室の子たちの多くが流暢に教科書を音読できないのを不思議に思ったとき。

 

周囲でスマブラが大流行する中で、ニンテンドー64を欲しがることもなく、延々とモンスターファームスパロボを一人でやりこんでいたとき。

 

10歳でネット掲示板にハマりはじめ、さすがに何かを書き込む勇気なんてなかった(数年ROMってた)ものの、素晴らしい二次創作小説や企画を投稿して自分の想像力を広げてくれるどこかの誰かが、途方もなく格好いいと感じたとき。

 

この頃にはすっかり、自分と同じ趣味嗜好を持つ子供なんて周囲には一人もいない状況に、完全に慣れていた。

 

 

中学から先は、ネットの世界以外に一人も本音を話せる相手がいないことが、自分にとっての「普通」だった。

 

 

ヒトカラなんて言葉がなかった頃から、中学のブレザー姿のまま一人でカラオケに通いつめてはQueen爆風スランプを歌っていたとき。

 

学習塾というものがどうしても嫌で嫌で、夏期講習だけでもストレスが溜まって仕方なかったとき。

 

PS2時代のMHG(モンハンという略称もまだない頃)でオンラインゲームの世界にのめりこみ、1700時間超プレイした末に私立高校の受験に落ちたとき。

 

周囲がクラスの女子のランク付けをして盛り上がる中、掲示板で知り合ったひとつ上の女子校生とメールをしているとすぐ近くに住んでいることが分かり、舞い上がっていたとき。

 

高一で父親が腎癌になって、大学進学を諦めたとき。

 

そこから彼が全身転移直前で奇跡的に助かったのを機に、真面目に受験に取り組む気になったとき。

 

当時まだ大嫌いだった、元予備校講師の母親に頭を下げて英語を教わったら、偏差値50から2ヶ月でセンター160点を取れたとき。

 

ハルヒらきすたが一世を風靡する中で、一昔前のロボットや特撮ソングばかりを歌っていたとき。

 

大学のゼミで、ゼミ長でもないのに自分だけが他の学生の発表全てにコメントをしていたとき。

 

サークルで自分の同期の仲だけが異様に殺伐としており、最終的に3人で全てを仕切ることになって、それでも何人かの後輩が俺を慕ってくれるようになってきたとき。

 

就職一年目で、電車も通っていない山奥の僻地に一人飛ばされ、自分のデスク以外真っ暗な工場の事務所で毎日日付が変わるまで無賃残業していたとき。

 

それでも車の運転がどうしても上達せず、休日はずっと引きこもって3DSと過ごしていたとき。

 

一年目の自分が経理を担当する工場が製品化までこぎつけ、少しだけ仕事が楽しくなってきたところで、3ヶ月後に事業の完全撤退が決まり、敗戦処理と整理のためだけに残業していたとき。

 

本部長らの前で調査報告のプレゼンをした後、一秒も準備していなかったのに「緊張せず自分の言葉で喋れてすごいよ、相当練習したんだね」と言われたとき。

 

世界各国から同業他社が集まる合同研修で、「お前は日本人じゃねーな!」「そのユーモアはどこでも通用するよ」と言ってもらい、解散のあとも4カ国から集まったバカな男4人でヘルシンキで人気ランキング上の店から順にハシゴ酒をし、最後は一番大きなダンスクラブで朝まで踊っていたとき。

 

 

自分はどうやっても普通にはなれないことは、とっくの昔に知っていた。

 

一方で、どうやら自分には代わりにそこそこユニークな能力があって、人の役に立ったり楽しませられる場合もあるらしいことが、だんだんと分かってきた。

 

だから、「変わり者」であることは、俺にとっては決して悪口やコンプレックスではなく、何よりの救いだった。

 

「変なやつ」であることが、俺という人間の、最大の拠り所だった。

 

 

だけど、だからこそずっと、解けない呪いのように、心に付きまとっている言葉がある。実際には誰に言われたわけでもない、自分が自分に言い聞かせている言葉が。

 

「お前はそんなに特別じゃないし、自分が思うほど変なやつじゃない」

 

「お前程度の『変わったやつ』は、世の中に腐るほどいる」

 

そう思われることが、何よりも怖かった。

 

はじめはきっと、両親に「人より少しくらい成績が良くても自慢しないように」「謙虚に、あまり調子に乗って目立とうとしないこと」と言われただけだったのだろう。

 

「十で神童、十五で才子、二十歳過ぎれば只の人」という言葉がある。

 

実際の俺は、十五の時点で成績も中の中からわずか上くらい、運動はからっきし、恋をするどころか友人も上手く作れず、精神ばかりがアンバランスに大人ぶっている、才子には程遠いただのクソガキだった。

 

それに加えて、「流行に流されてばかりの、その他大勢」に対してだけでなく、「自分は周りと違うと斜に構えているだけで、実際には世の中に溢れているオタク」もまた、いつからか世間の冷笑のターゲットになっていた。

 

世間の流行りものを好きにはなれない。同調圧力を黙ってやり過ごすこともできない。

 

けれど、オタクのムーブメントにも乗れない。

 

何年経っても、どこに移っても、その集団に、世代に、共通の属性に、アイデンティティを感じて安息や連帯感を得ることができない。

 

地元。学校。大学。会社。同期。

 

どこにも帰属意識を持てない。同類・同朋という感覚を持つことができない。

 

 

俺は、決して普通にはなれない。

 

けれど、俺より面白いやつ、個性的なやつが、世の中にはたくさんいる。

 

普通じゃないけど、自慢するほど変わってるわけでもない。

 

そんな半端者が自分の正体だという現実を認めることが、何よりも恐ろしかった。

 

外見にも、資産にも、他のどんな人間的魅力にも乏しい俺が、「変わり者」という拠り所を失えば、そこにはただ無価値なだれかが残るだけだから。

 

それは、灰色という個が消えて、何者でもなくなってしまうということだから。

 

 

他人と違うことを気にするな、なんて次元の話は、四半世紀くらい前にもう通過していた。

 

代わりに、俺を苦しめ続けている呪いの言葉、「お前はそんなに変じゃない」。

 

それに苦しみ続けている俺が、何とかすがっている、現時点で唯一の対症療法。

 

そちらについては、シリーズの次の記事で書こうと思う。

 

ということで、今回はここまで。

 

エクストリームお喋り宣言

俺は、オフラインでもオンラインでも、自他ともに認めるお喋りだ。

 

それも、相当に病的な。

 

一度でもあったことのある知人、ミュートしてないフォロワーなら、口を揃えてそう言うだろうという確信がある。

 

新卒で入った職場で一年間素性を隠していたとき以外、大人しいとか控えめとか自分の意見を持てとか言われたことは、人生で一度もない。

 

声がデカすぎるとか、よくそんなに話し続けられるなとか、そんなんばっかりだ。

 

チャットやTLのログを自分だけが流し続ける悪癖はいまだに直らないし、noteはいつの間にか1万字近くなって読み込みが遅くなる。

 

サイゼリヤだろうが、カフェだろうが、居酒屋だろうが、気がつくとラストオーダーや閉店を告げられて、慌てて話題を畳むのが日常茶飯事だ。

 

カラオケでは部屋の対角にある2階下のトイレまで歌声が聴こえるらしいし、山に登ったときに試したら山頂から直線距離で2kmくらい離れたところのテントまで声が届いたこともあった。

 

対面や通話で喋るときは、思考のスピードと口を動かすスピードが限りなくイコールになって脳と発生器官が一体化していくので、基本的に脊髄反射で会話していて困ることはない。止まるときはブレーキを全力で踏み込むようにしている。

 

けれど、文章を書いて公開することは、今でもまだ怖い。

 

この記事も、手をつけたのは公開の一ヶ月くらい前で、その間お蔵入りさせようか迷ったり、自分なりに表現を増やしたり丸めたりしている。

 

飯食ったとか雨降ってきたとかならいいけれど、まとまった内容を書き上げて連投するときとか、自分の考えを長々書くときは、ツイートするのも少し怖い。

 

それでも、結局は書きたい欲を抑えられないのが俺の性分だ。

 

そういうとき、選べる道は二つしかない。

 

一つは、誰にも見られない場所で書くこと。

 

手元のノートにボールペンで殴り書きするとか、フォロワーのいないアカウントを新たに作るとか。

 

所詮は俺のブログやnoteも、ほとんど反応は貰えないし、これと似たものかもしれない。

 

でも、俺は性根がガキだし承認欲求もクソ強いしインターネットのドブに20年以上浸かってるから、やっぱり何かを書くからには誰かに読まれたいし、何かを伝えたいと思って、文章を書いている。

 

だから、いつでももう一つの方を選ぶしかない。

 

怖さなんてなかったことにして、反論なんぞ知ったことかと割り切って、書いたものをオープンな場所に向かってぶん投げてしまう方だ。

 

カッコよく言えば覚悟を決めるとか勇気を出すとかだけど、そんなに大したことじゃない。

 

ただ、どうにでもなれ!俺はこれが言いたくてたまらねえんだ!という気持ちが勝つだけだ。

 

同時に、書きたいことを書いた結果もし嫌われたなら、その人とはそこまでよ、という開き直りもある。どうせ何の社会的影響力もなければ信者もいない、小市民のアカウントだ。極力炎上しそうな話題には触れないことにはしているし。

 

書くだけじゃなく対面で喋るときも、口から先に生まれたとか言われるタイプなので、興味のある話題になると走り出して止められない。

 

特に、好きなものの話はいつだってしたくて仕方ないし、相手からもたくさん聞きたい。そういう性格だから、周囲との人間関係も作られたり崩れたりを何度も繰り返した末、今の自分がある。

 

これはもう、微調整をして社会と折り合いをつけながら、付き合い続けるしかない、俺という個そのものだと思っている。

 

それでも、Twitterを続けていて、さらにブログを書くようになってからは、言語化能力が高い、言葉選びが好きと、いろんな人に言ってもらう機会ができた。

 

最初は信じられなかったけど、とにかくものすごく嬉しかった。ブログ楽しみに読んでますとか、あの記事よかったです、とか言ってもらえることもあった。

 

他に何の才能も魅力もない、地位も資産も持たない俺にとって、これほどの褒め言葉は他にない。

 

そんなことがあったから、もし俺にそんな能力があるなら、言葉の力が備わっているなら、その全てを用いて、他の誰かを喜ばせたいと思うようになった。

 

好きなものの魅力がもっと分かりやすく伝わるように語ったり、身近な人が必要としていそうな言葉をかけたり、小さなことから大きなことまで何でも具体的に褒めたり、その人自身が気付いていない・当たり前だと思い込んでいるような良いところを伝えたり、そういうことを今までよりもずっと意識するようになった。

 

俺という生物の行動原理は、好きなものや楽しそうなことへの衝動と、受けた恩を返すことへのこだわり、その二つだけでできている。

 

だからもし、俺の能力を大好きな人たちのために僅かでも役立てられて、一瞬でも喜んでもらえるなら、俺が受けてきた大きすぎる恩をわずかでも返せるなら、俺の人生はそれだけでいい、と決めている。

 

俺にそれ以外の武器は何もないから、この口と指と心中する覚悟は、とっくの昔から決めている。

 

だから、そのために自分でオリジナルの言葉をもっともっと磨いて、声に出しても文字で書いても、少なくとも自分の目につく範囲では、一番になりたい。

 

今更政治家や芸人や物書きを目指す気はさらさらないけど、お喋りな一般人としては、滅多なことでは他人に負けないようになりたい。

 

うるせえなと思った人が離れていっても、こいつとは意見が違うと嫌われても、目立ちすぎだと叩かれても、残ってくれる人を少しでも多く喜ばせたい。

 

その思いが、恥とか恐怖とか躊躇とかを、軽く上回っていく。誰かからの「読みました」の5文字は、度胸を倍にしてくれる。

 

出る杭は打たれるなんて言葉は、小学校を出る前に聞き飽きた。四半世紀も出る杭をやってるうちに、小さくともドリルみたいな杭になったので、生半可なハンマーで打ちに来るならこっちがぶっ壊してやる。それくらいの自信はついた。

 

ただひたすら、己の言葉で、俺だけの喋りと文字で、大好きな人たちを、愛してやまない人を、今これを読んでくれているあなたを、1秒だけでも楽しませたいし、和ませたい。

 

そのために俺は人生の全てをかけて、単なるお喋りという存在をぶっちぎった何かになりたい。

 

スーパー、ハイパー……エクストリームお喋りになる。

 

俺にできることは、それしかない。

 

俺が目指せる目標は、それしかない。

 

ある日、ある男が、あるきっかけで生き返った話

一月、苦しくて、全てから逃げ出した。

 

二月、結局帰っても苦しくて、ドクターストップで、今度こそ逃げ出した。

 

三月、物理的に死にかけて、同時に全てを失った。

 

何もかもがどうでもよくなった。

 

四月、ずっと生きた心地がしなかったところから、西川兄貴のLiveを見に滋賀まで行って、命を救われた。

 

五月、気のいい友達になんとか命を繋いでもらった。

 

六月、やっぱりダメだった。またどん底まで落ちて死にかけた。

 

七月、立ち直りかけたところで、最愛の家族が亡くなった。急だった。

 

どん底から上がるだけだと思ったら、その底が抜けることを知った。複雑骨折したら立ち上がれないことを知った。

 

八月、喪が明けても空っぽだった。毎日、ただ時間を潰すために生きていた。

 

九月、兄貴の言葉を信じて、これだけを楽しみに生きてきたイナズマに行った。

 

偶然、通りがかりに女神を見た。Finallyという名前の、6人の女神だった。

 

十月、初めてFinallyのLiveに行った。楽しくて、熱くて、綺麗で、格好良くて、素晴らしくて、生まれて初めて、心底女性アーティストに惚れ込んだ。

 

たくさんの人生初、たくさんの楽しいことを教えてもらった。Liveが大好きになって、TMRだけじゃなく、オーラル、対バンアイドル、いろんなステージを楽しんだ。

 

十一月、ちょうどFinally初ライブから一ヶ月の日に、配信で兄貴と彼女たちが共演した。

 

他の人にとっては大したことじゃないかもしれないけど、俺にとってはこれ以上ない一大事だった。

 

2週間前から、あらゆる手段を考えて考えて、なりふり構わずにできることは全てやった。

 

フォロワーに嫌われても、友人に引かれても、現場で浮いても、メンバーにブロックされても、出禁になっても、それでも構わなかった。

 

兄貴の背中を、高校時代から15年追っかけてきた。特に今年の俺にとって、西川兄貴は命の恩人だった。

 

それに、Finallyにハマってからはまだ一ヶ月しか経ってないけど、人生で一番濃くて華やかで幸せな一ヶ月をもらった。

 

その人たちが顔を合わせる日のために、終わったら俺はもう死んでもいいと思って、考えついたことは全てやった。

 

今日、11/10。西川兄貴が、俺の長ったらしいクソ真面目なメールを読んでくれた。

 

出演が決まった日の晩に、勢いで書いた長文のメールだ。スタッフさんが、パンパンになっているメールボックスから抜き出して、バカみたいに長いのをわざわざ編集して差し出してくれたんだと思う。

 

兄貴は一通り読んでくれて、メンバーがそれにコメントをくれて、「熱がすごいもんね、もう」「じゃあ灰色のおかげで俺のこと知ってくれてるんだ」と、兄貴が言ってくれた。

 

俺以外の人間にとっては、芸能人がネット配信でメールを読んだ、たったそれだけのことかもしれない。

 

でも、俺にとっては、一生その背中を追うと決めていた神に、手がかすった瞬間だった。

 

兄貴は世界一の男、この世で一番尊敬する、一番歌が上手い、一番カッコいい、最高のエンターテイナーで、唯一無二の憧れの大人だ。

 

その人に、あれだけのことを言ってもらえた。

 

それも、今一番、人生で一番大好きな人たちについて書いたメールで。

 

あなたたちのことが大好きです、という気持ちが、伝えられた。

 

俺はもう、これだけでいい。

 

俺は、神と、女神たちに、死んだように生きていたこの身を、生き返らせてもらった。

 

喪ったものは大きすぎて、二度と戻らないけど、それでも俺は、俺なりに楽しく生きようと思う。

 

返しきれないほどのものを、今日もらったから。

 

 

 

 

灰色として、発信者としてのこれから

挨拶は省略しまして、10/29-30の日記から繋がる記事です。

 

今回の概要は

はてなブログとnoteの並行更新について

・灰色アカウントの現在と今後について(並びにフォロワーへの愛と感謝の話)

となります。

 

 

まず、noteとの使い分けについて。これは前述した日記の繰り返しというかほぼコピペになるのですが、とりあえずまとまりのある推しコンテンツ・アーティスト関連の記事はタグ付け&検索とかしやすいnoteに移そうと思っています。

 

具体的にはハイロー、 TMR、Finally、あとは作品の感想や書評とかですかね。最近だとダイレンジャーのあらすじ感想もあちらでやっています。純粋オタクアカウントですね。

 

加えて、過去のブログ記事のうちでもよくまとまっていて、今読み返してもタグ付けして人に見せたいなと思えるものは、推敲加筆してnoteにも載せるかもしれません。

 

で、こちらのブログは本当に備忘録として、日々のあれこれとかを書く場にしようかなと。あと、また叫び的なものが発生したときに使うかもしれませんが、こちらは内的な殴り書きで、noteは外向けの清書(?)という感じで。

 

なので、手始めにFinally関連の話はnoteへ移行しまして、そちらではもう完全にエンジン全開でやりたいと思います。お前まだ一ヶ月経ってないやろ?とかまだあんの?とか言われそうですが、ここからが灰色なんです。

 

面白いかどうか、やかましいかどうか、キモいかどうか、それは全てこの俺が決めます。誰よりも大きな声と速い喋りで周囲の罵声をかき消すのが、生まれ持って捨てられない俺の習性です。

 

 

そしてTwitterメインアカウントは、相変わらず好きなもの全部盛りの闇鍋フルアーマー灰色スタイルでいきたいと思います。

 

その瞬間瞬間に好きなもの、ハマっているものを肉声でも文字でもクソデカ声で話しまくり実況しまくる人間なので、各ジャンルからストレートにフォローしてくださってる方には興味のない話題が続くことも多いかと思うのですが、アカウント分けは映画公開日前のネタバレ回避などの理由を除き、やっぱりしないことにしました。

 

理由はいくつかありますが、一番大きいのは、好きなフォロワーの皆さんに俺の好きなものをたくさん知ってもらいたいことです。

 

これまでも、たとえば本や映画など、自分の好きなジャンルや掘りたいジャンルを把握してくださったフォロワーからオススメ情報をもらい、それがドンピシャで殿堂入り級にハマることが多々ありました。

 

俺の性格や好みを知っているフォロワーのオススメは、口コミや世間の評価の1兆倍アテになるというか、外れることがほとんどありません。マジに体感9割以上はハマります。

 

さらに言えば、元はハイローをきっかけに繋がった人でも、漫画の趣味がピッタリだったり、知らない世界に誘ってくれたり、精神的な面でのことや考え方まで語り合えたりと、たくさんの方と仲良くさせていただく中で、関係性そのものも様々に変化してきました。

 

文字だけのコミュニケーションでも、より深い関係性になれて心から信頼している方もいらっしゃいますし、たまにオフでお会いして遊んでくださる方もいれば、 Liveの前に初めましてでご挨拶してすぐに盛り上がってくださる方までいらっしゃいます。

 

「ブログ読んでます」「この記事が良かったです」「言葉選びが好きです」とまで言ってもらえることもあり、本当に身に余るありがたさという他ありません。

 

こうして、11年前(!?)のアカウント開設当初、そしてハイローにハマった当初では想像していなかった程に、素晴らしく多彩な方々と、日々素敵な交流ができています。

 

加えて、しばしばフォロワーが俺の頑固な食わず嫌いを治してくれたおかげで、今では未知の世界に首を突っ込むときのスリルとワクワクが快感になってきました。未だどうしてもアレルギーなものもありますが(直球青春ものとか悲劇とか)、それでも昔よりずっと改善して、色んなジャンルに対して「まずは一口かじってみよう」と思えるようになったのは、皆さんのおかげです。

 

何より、どん底のさらに底に落ち、全身複雑骨折で這い上がる力もなくなったような自分を、皆さんは何度も何度も助けてくれました。そのご恩を忘れることは一生ありませんし、一生かけても終わらないとしても、恩返しがしたいというのが、自分の生きる最大の理由になってきました。

 

自分はそんなフォロワーのことが大好きです。そして、一人一人が大好きだからこそ、もし自分の好きなものに興味を持っていただけたら嬉しいですし、フォロワー同士がツイートやスペース・もくりなどで繋がる機会があれば、まさしく望外の喜びです。

 

単に数打ちゃ当たるの精神で布教しまくってるわけではなく、こんな自分をここまでフォローし続けてくださった皆さんだからこそ、自分が本当に素敵だと思ったもののことは、どうしても沢山お話ししたいのです。自分が本当に叫びたい思いは、どうしても心ゆくまで叫びたいのです。

 

だからこれからも、もっと自分の好きなものを、自分だけの言葉で発信していきたいし、同時に皆さんの好きなものをもっともっと知りたい、俺のSNSはそんな場所であってほしい、と強く願っています。なので、今後もやかましいごちゃ混ぜアカウントを続けることを、どうか寛容に見守ってくださったら嬉しいです。

 

もちろん、ご興味のない話題が続くときや騒がしいときは一切の遠慮なく、ノータイムでミュートなさってください。

 

更に、2年近くかけてきた鍵についても、結局当面は外しておくことにしました。理由は、好きなもののことをできる限り広めたい、たくさんの同好の士と繋がりたいという純粋な欲求が半分。もう半分は、ずっと続いていた絶望の暗闇から、なんとか抜け出しつつあるからです。

 

西川兄貴のLiveにエネルギーをもらい続け、生活環境の変化で体調も安定しつつあり、そして今の推しグループに出会ってからは、毎日が騒がしくも楽しいです。そのため、大炎上でもしない限りは堂々と灰色としてTwitterをやってやろう、という気持ちになることができました。(自分の話であり、鍵垢=堂々としていない、という思想は勿論一切ありません)

 

客観的、社会的に見れば、自分の置かれた状況が依然として悪夢のように異常なものであることは変わっていません。現実に引き戻されて、ネガティブの大波がいつ戻ってくるとも知れませんし、鍵をかけてまた連日悲嘆に暮れるかもしれません。そのときには再度たくさんの方に失望されたり、取り返しのつかないほど不快な思いをさせるかもしれません。

 

それでも、この長期間にわたり鍵をかけて苦痛に喘いでいても残ってくださったフォロワーがたくさんいたように、また大怪我をしても全員に見捨てられることはないと、至極身勝手な甘えに過ぎずとも、自分は固く信じています。

 

そう信じているからこそ、楽しいことも全力で発信できるし、思い立ったら待つより話しかけるというスタンスで、日々を楽しむことができているのです。そう信じているからこそ、日々元気を取り戻せているのです。

 

またもや長くなりましたが、これがオープン垢に戻して、喜怒哀楽と好きなもの全部ぶち込んだ闇鍋アカウントを貫くことに決めた理由です。

 

とかく意思が弱い人間なので、またすぐに鍵を戻すかもしれませんし、小さく暗い愚痴垢を作るかもしれませんが、現時点での自分の宣言として、ここに記しておきます。

 

今はFinallyの女神様たちや西川兄貴に夢中ですが、これからも頭によぎったらその瞬間に琥珀さんや轟やバルジのながーい話をしますし、特撮の話も、ゲームの話も、新本格ミステリの話も、勉強している本の話も、ラヴィット!の実況も、好きなようにツイートしながら、何にも縛られずに走っていきます。

 

それでも構わないよ勝手にやれ、ここまで来たら好きにしろ、というどこまでも奇特で物好きで心優しい方々は、どうかこれからもよろしくお願いします。

 

馴染みの大好きなフォロワー勢と、まだ見ぬ新しい誰かに、最大限の愛と情熱を込めて。