灰色の殴り書き

昔の言葉で言うならチラシの裏です

愛させてくれて、ありがとう(年末自分語りシリーズ③)

こんにちは、大晦日の灰色です。こちらが2022年最後の記事にして、自分語りシリーズのとりあえずラストとなります。

 

前回②までは、自分が怖かった呪いと、それを解けるようになった話について書きました。

 

 

今の俺は、人と違うことも、大して違わないことも、ちっとも怖くありません。

 

本当に恐ろしいことは、別にありました。

 

思えば人生のたくさんの場面で遭遇してきたことでしたが、その正体が今年ようやく、断定できました。

 

それは、誰かを愛するのを、正確には愛していると伝えることを、許されなくなることです。

 

突然、大好きなひとから理不尽に引き離されて、どれだけ気持ちを伝えたくても、大切だと思っていると言いたくても、それが叶わなくなることです。

 

答えが欲しいなんて言いません。

 

明確に拒絶されたのなら、その瞬間がどれほど辛くても、他に愛するひとを見つけて、いつかは傷が癒えるかもしれません。

 

けれど、ある日突然、言葉が伝えられなくなってしまったら。

 

そのひとに届けたかった愛は、やり場のないまま、いつまでも心の中で、後悔や罪悪感と混ざった澱になって、ヘドロのように堆積していって、永遠に心を蝕みます。

 

名無しの足長おじさんになるには、自分はまだまだ未熟です。だからせめて、相互のコミュニケーションの中で、好意を、愛を、伝えたいと願うのです。

 

たとえ、それがどのくらい伝わっているか確認できなくても。

 

相手がまだそれを理解できないくらい幼くて、一方通行の自己満足だとしても。

 

俺という存在がそのとき愛を伝えていたことを、彼が覚えていられなくても。

 

 

直接の言及を避けてきましたが、皆さんには何のことを言っているか、もうお分かりだと思います。

 

この世にたった一人の、最愛の我が子のことです。

 

父にわがままを言ってみたり、遊びをねだってみたり、少しずつでも毎日、二人なりの対話が深まっていた、これからが楽しみで仕方なかった、そんな時期でした。

 

コロナに感染して発熱して、荒っぽく接してしまった3月の朝を最後に、彼とは会っていません。

 

 

妻への愛情は、うつの地獄に突き落とされたあの日から、とうに枯れ果てて欠片も残っていません。わずかな心残りもありません。

 

けれど、あの子にだけは、もっともっと俺の言葉を、自分なりの愛情を、注いであげたかったと、最後に会ってからもう9ヶ月以上経った今も、考えない日はありません。

 

俺は、自分の生命を選びました。

 

抜き差しならない状況で、それ以外には選択肢などなかったと、今も信じています。

 

それでも、きっとこの先もずっと、絵本コーナーには近づけないだろうし、ベビーカーの子供連れは正視できないでしょう。

 

俺は、我が子に愛を伝えることを、失いました。

 

恋愛とか人類愛ではなく、常に特定の誰かを愛していないと生きていられない俺にとって、息子はこの世でたった一人の、全力で愛情を注がせてくれる存在でした。

 

内臓の半分、魂の半分を削り取られて、今もそれは変わっていません。

 

そのことに、ずっと苦しんできた一年でした。

 

自分は幸運な方だと、常に信じて言い聞かせてきた俺が、初めて本当の地獄、這い上がることもできないようなどん底から足元が抜けたさらに下を味わいました。

 

自ら命を絶つことは前提として、身辺整理の手間とか連絡の手段とかタイミングとか、そんな些細なことを考える、奇妙な時間を過ごしました。

 

 

それでも、今俺はこうして生きて、文字を打ち込めています。

 

人間死ぬ気になれば何でもできるとか、死にたいと思っているうちは死なないとか、生きていればいいことはあるとか、時間が解決してくれるとか、遺された人の気持ちを考えてとか、そんな月並みな言葉は、踏みとどまるのに一切役には立ちませんでした。

 

俺と同じ境遇の人、似た苦しみを味わっていて共感してくれる人なんて、一人も見つかりませんでした。

 

ただ、見るに堪えないような、流れてくるだけで気分が悪くなるような俺の悲鳴の文字列を見て、それでも目を背けずに何か伝えようと、精一杯傷つけないように言葉を選んで、声をかけてくれた人たちがいました。

 

フォロワーも、大学の友人や先輩後輩も、年齢性別を問わず、祈りにも似た気持ちをくれた人たちが、俺の周りにいました。

 

そんな人たちのおかげで、そこまで急いで死ぬこともないかな、と少しずつ思えました。

 

それに、話をしてみたら、何もかけられる言葉がなかったけど心配でした、とか、またお話しできてよかったです、とか、そんな風に言ってくれる人もいました。

 

そんな人たちのことを、俺を見捨てずにいてくれた人たちを、愛することができるようになって、そうして俺は、抉られた心臓でもなんとか息をできるようになりました。

 

もともと恩義を感じやすい性格ではあるものの、本当に文字通りの命の恩人ができたのは、今年が初めてだったかもしれません。少なくとも、去年以上の絶望の中から引き上げてもらったことは、絶対に忘れません。

 

 

お会いしたことがなくても、長い間お話をできていなくても、画面の向こうにいるフォロワーのあなたを、灰色は愛しています。

 

喪失したものの代わりのように考えてしまうことは、心から申し訳なく思っています。

 

大げさで重たい言葉ばかりで、付き合いきれないような負担を感じさせてしまうであろうことも、想像がつきます。

 

それに、本当の意味での無償の愛を贈ることなんて、俺にはどうしても無理です。

 

欲しいものはただ一つ、言葉にして想いを伝えさせてくれること。その相手からは何の言葉も返ってこなくても、ただ俺の想いを伝えるのを許してくれること。

 

それが俺にとっての最大の見返りで、どうしてもそれを求めてしまうから、俺は無償の愛なんて高潔なものには程遠いのだろうと思います。

 

 

けれど、それでも、どうか今年のうちに、この言葉だけは伝えさせてください。

 

 

どこかのあなたへ。

 

愛させてくれて、ありがとう。