灰色の殴り書き

昔の言葉で言うならチラシの裏です

絶縁リビングデッド

縁、ご縁、ゆかり、えにし、絆、つながり、情、関係。

 

自分はそういうものに特別恵まれていて、いつも周りの誰かに感謝せずにはいられない。バカの一つ覚えでなく、もっとこのありがたさや嬉しさを表す言葉を身につけないと、とすら最近は思う。

 

ただ、心が弱っているときや、それとも過去を想起させるような何かに遭ったとき、他にもほんの些細なきっかけがあると、全く逆のことをひたすらに思う。

 

いったいどれ程の縁を、自分は断ち切って生きてきたのだったっけ。

 

どれほどの人との繋がりを、引きちぎってきたのだっけ。

 

人生で一番大きくて、一番大切だったはずの縁を、真っ二つに裂こうとしている今、そういうことを思う。

 

昔のことばかりを思い出す。

 

俺の方から連絡しなかったら、そのまま何もなくなったんだっけ?

 

いつの間にか俺は呼ばれなくなったんだっけ?

 

それならそれで、最初から俺はいらなかったのかな?途中からいらなくなったのかな?

 

それとも、それはただの個人の特性ってやつで、声さえかけ続けていれば、好きだったあの人も、ひさしぶりに再会できたあの人も、今でも仲良くしてくれているのかな?

 

もっともっと昔のことも思い出す。

 

俺が一方的に断ち切ったこともあった気がする。

 

面倒がって顔を出さなくなって、それっきりになった人もいたかもしれない。

 

後々になって、今はこんな風らしいとか、元気だといいなとか、そういう話題になる共通の知人もいれば、名前さえ知らないネット上の友人も、山ほどいた。

 

そういう人たちは、今何をしているんだろう。

 

20年前に多分俺よりずっと歳上だったあの人は、もういくつになっただろう。

 

ちょっとだけ上で、だからこそ憧れてたあの人は、華やかに生きてるのかな。

 

それとも、俺みたいに何とか中年をやってんのかな。

 

そういうことも、思い出す。

 

そのときにもっと、最後に話したときにもっと、気を遣えばよかったのに。

 

それかいっそ、強引にでも自分の思いを伝えておけばよかったかもしれないのに。

 

何度も何度も、そうやって居場所を探して、歩き回って、寄っかかれたと思ったら壊して、数え切れないくらい、そういうことをしてきた。

 

みんなそうだよ、普通気にしないよ、と言われるのかもしれない。

 

格好つけて振り返ることでもないし、当たり前に忘れていくことかもしれない。

 

だけど、どうしても、年に何度か、固有名詞つきで思い出す。切り取った特定のシーン、何行かの文字のやりとり、嬉しかったのに上手く返せなかった言葉、返せなかった恩、もっと上手く伝えたかった気持ち、今でも言いたいお礼、そういう実際にあった過去の言葉と、一生伝えられない未来の言葉がごちゃまぜになって、頭に浮かんでくる。

 

そういう思いに取り憑かれると、根無し草でどこにも馴染めず、こっちでも気が合わない、あっちでも気が合わないと繰り返してきた自分が、一人だけ異常だっただけなんじゃないかと、そう思える。

 

恋人。同期。家族。友達。

 

みんなが普通に友情を深めている。みんなが普通に恋をしている。みんなが普通に楽しんでいる。みんなが普通にかけがえのない時を過ごしている。

 

その間何十年もずっと、どこからかやってきて、水はありますか、食べ物はありますか、と尋ねてきては、誰にも気に留められないうちに去っていくようなやつがいる。

 

上手に生き物のフリをしているつもりの屍が一つ、陽気な顔をしてずっと歩き回っている。