灰色の殴り書き

昔の言葉で言うならチラシの裏です

自慢できることなんて一つだけ

今日はずっと行きたかったスパに行って、サウナでコロナ以来減りっぱなしだった最大HPを回復してきた。MPの方はフォロワーや友人(後輩)とのおしゃべりでケアできており、本当にありがたい限りだ。

 

スパに行くのは、人と遊ぶのよりも怖かった。家でゲームをずっとしている方がはるかに気楽だった。風呂に入ってるときにはスマホを手放さないといけないし、当然音楽を聴くことも本を読むこともできない。そうすると必然、頭は考えごとをせんとフル回転を始めてしまう。

 

今の自分が考えごとをし始めたら、それは即座に例の苦痛が戻ってくることを意味する。別居を始めたばかりの頃にも同じスパには行ったが、結婚式のスピーチの内容だとかで頭が一杯だったこともあり、今ほど追い詰められてはいなかった。

 

汗を流して、体の血行を良くして、回復したい。ただ、何もしないでいることが怖かったし、心の苦痛がひどくてとても癒されるとは思えなかったので、必然的に選択肢から外していた。

 

だったのだが今日は、実に7時間も(メシとかゲームとかあったが)ゆっくり過ごすことができた。今こうして書いていても心は穏やかで、自分でも驚いている。むしろ、すごくいい息抜きになった。

 

自分の境遇を忘れたわけじゃない。悲しさ、憤り、虚しさ、羅列すればキリがないほどのネガティブな感情はすぐ側にある。それでも今日は静かに過ごせたのはなんでだろう。

 

一番大きいのは多分、滋賀・関西遠征の予定が入ったことだろう。思った以上にワクワクしている自分がいて、10年ぶりの兄貴の歌声、MC、選曲構成、パフォーマンス、何よりあの太陽のような圧倒的な存在感。それを2日も続けて浴びられる。夢のようだ。思い切って申し込んで良かった。

 

しかもそれだけじゃなく、関西フォロワーがご飯に付き合ってくれたりするらしい。厳密には初めましてじゃないのだけど、それがむしろ尚のこと楽しみだ。もくりで喋りまくってるけど、それでも何を話そうかなとか、何を食べようかなとか、おすすめの酒とか、そういうことを考え出したら、時間がいくらあっても足りない。新大阪駅の立ち食い串カツと、どっか美味い店のたこ焼きも食べたいし、りくおじのチーズケーキと551の肉まんを買って帰りたい。大阪は美味しいものばっかりだ。酒飲みには特に。

 

というよりも究極的には、こんな不吉の化身のような輩がやってくるというだけなのにわざわざ予定を空けてくれる現地の友人がいる、そのこと自体がたまらなく嬉しい。

 

そういうことを考えていると今度は思考が跳ねていって、そもそも今の自分の友人関係がどれほど恵まれているかということを、何十回目か分からないけれどもまた反芻していた。

 

明るくて、面白くて、優しくて、賢くて、語彙力豊かで、謙虚で、素直で、豪快で、時々しょうもなくて、同じ倫理の軸や方向性を持っていられて、しかも多分俺のことが嫌いじゃない、もしかしたら好きでいてくれているかもしれない、そんな友人たちがたくさんいる。少なくとも、両手の指じゃとても足りないくらい。最近じゃブログの感想をわざわざ送ってくれる人までいる。すごいだろ?

 

みんなが同じ距離感じゃないし、みんなが器用な言い回しで気遣ってくれるわけじゃないけど、それでも折に触れて心配してくれたり、自分なりのやり方で元気づけようとしてくれたり、気にしていることを伝えてくれたり。そういうことの全てに毎日救われている。

 

今の俺はこれまでの人生で比べたらぶっちぎりに最悪のどん底にいて、全く同じ境遇の人なんて見つかりそうになくて、そういう狭い意味では一人ぼっちだ。でも、友人の全員に見捨てられたかというと、どうやら全然そうではないらしい。

 

それが灰色さんの人徳ですよ、人望ですよ、と言ってくれる人もいるんだけど、それもあまりピンと来ない。俺がみんなにしてこれたことなんてほんの僅かで、それに対してみんながくれたもの、今くれているものは途方もなく大きくて、現時点じゃとても釣り合いが取れてない気がするからだ。

 

そういう勘定抜きの感情の付き合いが人望だろうと言われてしまうともう堂々巡りなのだが、自分の振る舞いにおいては恩返し至上主義である俺としては、どうしても俺には人徳人望がある!と胸を張って言える気にはなれないというか、とてもそんな器じゃないだろうというのが正直な気持ちだ。器があるとしても小さい椀の端に材質の違う粘土を足しては伸ばし、ヒビが入れば適当に糊で埋め、せいぜいがそんなもんだ。

 

人望があるわけじゃない。ただ、それとは別に自慢できることならあるかもな、と思う。

 

いじめられたから、仲間に入れなかったから、みんなと違ったから、上手くやれなかったから、気持ちを裏切られたから、いなくなったから、さみしいから、やりきれないから……そうやってショボくれて、周りに誰も味方がいないような気分になったことなら、数え切れないほどあった。俺はバカなくせに悪い方にばかり想像力が働くから、もうそれだけで全部終わりのように思い詰めることも多かった。

 

でも今思えば、それで本当にひとりぼっちになったことは、一度もなかった。

 

ほとんどの場合、それは自分にとってのサードプレイス・フォースプレイスだったネットでの友人だったのだけど、それ以外、大学での交友関係も含めて、いつも誰かがいてくれた。

 

俺自身が直面している問題の中身を話す話さないに関わらず、ただ愚痴を聞いてくれるのでも、くだらない話の相手になってくれるのでも、眠くなるまでモンハンに付き合ってくれるのでも、とにかくそこには誰かがいてくれた。弱みにつけ込んで何かに利用しようとしたり、攻撃してくるやつ、気持ち悪がって離れていくやつは、一人もいなかった。それを今になって思い出した。

 

もちろん、完全に忘れていたわけじゃない。いつも何となく、俺は幸運だ、ありがたい、助けられた、とは思っていたし、可能な限り本人に自分で伝えるようにもしていた。ただそれだけじゃなく、ふと今日まとめて20年と少しくらいを振り返ってみたら、俺の心に大小の傷がついたとき、いつもそこには誰かがいてくれて、すぐに力になってくれていたことに気付いた。

 

それに気付いて、茫然自失……というのは使い方を間違っていそうだけど、ずっとそこにあった事実、巨大すぎて気付かなかった自分の人生の根底の真実に、ひたすら圧倒された。空を見ながら、そういうことだったんだな、と間抜けな面をして口を開けていた。ついでに言うとサウナに入って外気浴中だったので全裸で。

 

この有り難み、幸運を言い表す言葉を、俺は持っていない。何万字、何日を費やしても、多分感謝の気持ちだけでも書ききれない。

 

書くだけ書いて投げて忘れるタチなので、多分また同じような記事を無数に書いては投稿を繰り返すだろう。それに、自分の家庭の問題、そこにある無限に続きそうな苦痛は、まだ何も解決していない。ここ数日体調が良くて、少しだけ気持ちが上塗りされているだけだ。

 

だから、まだこの反復横跳びが終わるまでにはしばらくかかると思う。喚いて死にたがって、誰にも俺の気持ちは分からないと泣きじゃくって、それが落ち着いたら友達の話をして、ゲームの話をして、誰か酒を飲もうなんて声をかけて、そういうみっともない振る舞いを、まだしばらくは続けると思う。

 

それが全部落ち着いて、まともな人間に戻れるのかは分からない。俺と周りに何が起きているのかも予想なんてできない。だから、現時点で俺の人生を助けてくれた全ての人とそのときの経験を総括して一言、なんてことはやめておく。

 

だから、どうしても今ここで言っておきたいことは一つだけだ。

 

俺は空っぽ人間だ、自慢できることなんて何もない、といつだかの記事で書いたのを覚えている。その通りで、俺自身には何の魅力もない、ただ下手なりに言葉をなんとか磨こうとして、それで一人でも多くの人を喜ばせたい、それだけの生き物だ。

 

ただ、一つだけ。一つだけ自慢できることがあるとすれば、それは友達のことだけだ。

 

しんどいときに助けてくれる友達がたくさんいる。それもとびきり面白かったり頭が良かったり変わり者だったり賑やかだったり不思議だったり、全員が全員どっかしらすげえやつだ。特別じゃないやつなんて一人もいない。全員がすごくて、俺なんか敵わないことばっかり、尊敬できることだらけで、誰にどんなときに助けてもらってどれだけ嬉しかったか、全部ハッキリ覚えてる。離れていった人のことも、今仲良くしてくれている人のことも。

 

そういう人たちがみんな、今も見捨てずに俺の友達でいてくれること。今までもたくさん助けてくれたし、多分これからも何かあったらその人たちなりの方法で助けてくれるであろうこと。

 

無理にたとえて言えば、友人関係という巨大すぎて気付かないほどの幸運の上に、今の自分が立っていること。あったかくて柔らかい幸運の台座の上に自分が立っていて、そのおかげでなんとか転んでも大怪我したりせずに、奈落の底まで落ちずにやっていけていること。

 

しんどいときに助けてくれる素敵な友人たちがいるという、俺なんかには分不相応なほどの幸運。

 

俺が他人に自慢できることなんて、その一つだけだ。