灰色の殴り書き

昔の言葉で言うならチラシの裏です

書き投げ日記 2/28月曜日

おはようございます。

 

昨日はなんかもう訳わかんなくなって0時半くらいまで起きてました。早く寝ろと思いつつ。ダメすぎます。

 

朝は7時前にむすこコールで起床して順番に朝ごはん。今日もこの子は元気。父は頭が痛いです。

 

セブンのポンデケージョ三つ、肉まん一個、飲む鉄分ヨーグルトと今日もヘビーな朝ごはんで元気をつけようとしてみる。

 

室内で遊んだりしてから公園。今日は小さい子ばっかりで和む。疲れてるけど気候が暖かいのが救いでだいぶ楽。

 

帰宅して昼を買いに行く。唐揚げ屋のテイクアウト。座って待っている間、疲れが出てきて目が痛いので閉じて休む。しばらくかかってほしいけどすぐに出てくる。

 

帰宅。残っているわずかな頭痛と目の痛みがだるい。食欲はあるけど眠くなるから昼ごはんを食べるのが怖い、と書いていていかに自分が追い詰められているかを実感する。こういう状態だと明るいことを考えようとしても難しい。

 

と言いつつ弁当を食べる。照り焼きチキンと唐揚げの合体。うまい。凄まじいカロリーパワーを感じる。

 

妻に少しでも気晴らしをしてもらいたいと思い、2時間少しだけ一人で子と遊ぶことに。動画を見たがったりしつつもブロックで遊んだりして、隙を見てウルトラマンソング英才教育をスタート。まずは初代と帰マンの曲が気に入ったようで、終わると「もっかい?」と何回かリクエストしていた。いいぞいいぞ……。

 

とかやってたが、さすがに体力が本気でキツくなってきた。よく考えたら、先々週の金曜以来良くも悪くもほぼずっとフル稼働で全然ゆっくりしてなかった。気持ちの余裕もなくなってるのを実感するので、明日から少しの間は改めて休もう。

 

妻が帰宅、少しして入れ替わりで家の買い物&通院のため外出。頭が痛くてボーッとする。気圧?花粉?気温の急上昇?

 

時間調整のために立ち寄った本屋でいつものように棚をいろいろ眺めていたところ、「音楽の聴き方」という新書が目に入った。めくってみると、どうやら専門的な内容というよりも自分のように音楽を聴いても語る言葉が出てこない、押さえておくべき点みたいなものが分からない、という人に向けて書かれている?ようだ。「自分なりの言葉を好きな音楽につけてみよう」というような一文をたまたま見つけて気に入ったので、これも一期一会と思い購入する。

 

音楽を聴くこと自体は人並みに好きなのだが、そもそもの教養もなければ好みも偏っているし、最新のヒット曲を押さえているわけでもない。だいたいが「好きな曲」単位で、熱狂的にハマり続けているアーティストとかはほとんどいない。LIVEに行くこともなければ、好きだと言っているアニソンもふた昔以上前のものばっかりで、カラオケ大好きなくせに人と行ったら選曲に困る始末だ。あと特定の方向性が無理でメガヒットソングの中にも蕁麻疹出るレベルにダメなやつがゴロゴロある。というかラブソングの10曲に9曲はキツい。そんな有様なので、果たして俺が読んでどうなのかという気もする。

 

ただ一方で、音楽に明るい友人たちのように語る言葉を持ちたい、好きなものの解像度(聴くものだけど)を上げたい、という思いはたびたび抱いていた。むしろそれが一番強い動機だ。そんなわけで、ある意味では渡りに船な本を見つけた気もするので、何かピンと来る内容があればいいなと思う。

 

本を買ったのがどうというわけではないが、最近金遣いがどんどん荒くなっている。というより、生活費分をがっつり口座に移動して、その直後に放浪からの別居が決まって、家契約して生活必需品買って、と続きに続いたことで感覚が麻痺しているのが大きい。あと自炊しなくなった分の食費と、人と会うことが少しあったのでその分とかだろうか。派手な浪費はしてないと思うが、もうよく分からなくなってきた。

 

労働せずに傷病手当をもらっている身なのでこんなことを言ったらバチが当たるというものかもしれないが、さすがに二重家賃はキツい。別居はもう入院みたいなものと割り切って出費は覚悟していたつもりだったが、だからといって何も感じずにいるというのも無理な話だ。結局のところ夫婦間で諸費の負担に著しい差があるという話に戻ってきてしまい、なんというか、鬱々とする。

 

そういう現実とか将来のこととかを忘れるために、細かい出費にはできるだけ無神経になろうとしている自分もいる。結婚式のときとか、出産前後からこれまでもそんな風に努めていたが、今回はもう純粋に自分のための出費だ。

 

ただ、最終的には自分の金でしかないのに何をしているんだ、という自分もいる。これまでのあれこれは何だったんだ、と過去を引きずり出そうとする自分もいる。いっそ破滅的に浪費してしまえという自分もいる。さっさと縁を切れば楽だという自分もいる。まるで一生奴隷だと泣いている自分もいるし、それを悲壮感たっぷりに語って同情を引こうとする自分もいる。このこと一つをとっても、自分が何重にも分裂していって、そいつらと付き合ったりかき消したりするのに疲れる。

 

とりあえず、まだ身を持ち崩すほど浪費しているわけではないし、酒もほどほどに抑えるようにしているから、よしということにして考えるのをやめる。酒はクリニックの主治医からは止められていて全く飲んでいないことになっているが。考えるのをやめるというのは嘘で、考えないようにするということを考えている、って言い回しは夢枕獏の小説でよく出てくるよね。今がそれだ。

 

コンビニで夕飯を買って、家に帰って、子供の世話をしなければいけない。明日何事もなく登園させられることだけを願う。

 

そういえばポケモンの完全新作が出るらしい。サンムーンを途中で投げ出し、剣盾には触らずに来たが、今回は是非とも買いたい。オープンワールドポケモンがどれだけワクワクするかはアルセウスでもこれ以上ないほど感じたので、さらなる進化に期待。個人的な話では、SM・剣盾・新作で実質三世代分のポケモンが初見になるのも新鮮で楽しそうだ。XY世代のやつもこの前図鑑見たらかなり忘れてたくらいだし。新御三家は見た目がかわいいので多分草にします。ちなみにダイパ〜XYまでは全部火でした。

 

発売は2022年冬予定。年内に出るんかすごいなと思う反面、その頃の俺はいったいどうなっているんだろう、と怖くもなる。去年、スパロボが出る頃にはちょうど復職かなとか考えていたけど、結局ここまで来てしまった。単行本出る間隔の長い漫画の次巻発売予定とか、映画の公開日とかを見るたびに、見て見ぬ振りを続けてきた巨大な不安が顔を出す。叫び出しそうになる。数ヶ月先を楽しみにするということが、全くできなくなってしまった。

 

今日は二月最終日。最初に家を出たのが一月上旬、別居が決まったのが一月最終日。年が明けてからでもこれだけ色々あった。それで結局緊急事態ということで帰宅して水木金土日月と家族三人で過ごして疲弊している。なんかもう、本当に疲れたな、という言葉しか出てこない。せっかく諸々を振り切って、大金を払って、みんなに心配かけて応援してもらって、ようやくお膳立てが済んで持ち直していけるかと思ったところでこれだ。この疲れが取れるまでにどれだけかかるんだろう。辛い。仕方がないことなんだけど、疲れた。

 

際限なく疲れやすく、回復しにくくなっていく。時間が進んで周りがどんどん変わっていくのに、何もかも上手くいっていたと思った自分だけが泥沼に落ちてその中でずっともがいていて、出られてもその頃には手足が腐り落ちていて二度と元には戻らないんじゃないかと、そんな想像に囚われている。それでも、まだこうやって回りくどいことを書いていられるうちは平気だろう。本当に何のたとえも言い回しも俺から出てこなくなったら、多分間もなく心にも終わりが来ると思う。

 

ファミマで適当にオムライスを買って帰る。ファミチキを除くフードのほとんどはセブンの劣化だろうという偏った思想に取り憑かれている上、ファミマ特有のカロリー大爆発系が今はちょっと食べられそうにないので、昔から安定感を発揮してくれているオムライスにした。量は少ないけどこれはうまい。あと冷凍の汁なし坦々麺もよかったな。

 

帰宅したら疲れがどっと出た。疲れを表面に出すと妻の気に障るので子供にも細心の注意を払って接する。あと2、3時間で今日も終わる。それまでの辛抱。

 

目の裏がずっと痛くて重い。目が開けていられないくらい疲れている。

 

療養って何なんだろう、と去年から何度となく思っている。うつ病治療の基本、何もせずに休むこと、自分を責めないこと、家族のサポート。それと逆の状況に発症から一年近くもいた。その間は働きもせずに好きなことばかりをしていたくせに、結局前進したか分からないまま時が過ぎて、今では家族の形を保つのも難しいような有様になった。過去が丸ごと否定されて、自分が何者かよく分からなくなってしまった。

 

もう療養どころではない。というか、俺の場合はごく個人的な妻と自分の問題だけの話であって、もはやうつ病がどうとかいう話ではなく、休職扱いにしてもらうのもおかしいんじゃないかとも思う。

 

育児の本を読んでいると気が遠くなる。完璧な子育て、何の問題もない家族などないとは分かっていても、これを読み始めた頃、苦しくても完璧で幸せだった頃のことを思い出してしまう。いつからおかしくなったのだろうと思っても分からない。おかしかったのが誰なのかも分からない。俺が悪かったのだろうか。

 

心が疲れている。誰かに頼りたいし甘えたい。誰かに少しだけでも支えてほしい。自分をどこまでも追い詰めてくる妻以外の誰かに。そう思うことも地獄行き確定の悪行なのだろうかとどうしようもないことを思う。

 

ブログを書くことに救われている。なんとかこれのおかげで人間の心の形を保っている気がする。毎日更新したら100くらいのアクセス数があって、単純換算はできないにしても何十人かの人が見てくれているのかもしれない。これほどありがたいことはない。恥ずかしいという気持ちはもうとうに消滅した。

 

子供とお風呂終わり。彼は知らないことだが、次に父が夕飯や風呂のとき一緒にいてあげられるのは日曜日だ。しばらく側にいると、なんだか自分が何をしているのか分からなくなり、優先順位を間違えているという気がしてならなくなる。

 

自分の数ある悪癖の中でも特にひどいものの一つが、いったん考え出したらひたすらそれに囚われることだ。だいたいの場合、我慢に対する回答、結論のようなものだったり、あるいは提示された意見に対する反論だったりを見つけるまで、休まずに高速で考え続けてしまう。しかも、片付いたことにしていた問題を掘り返すこともある。輪をかけてタチが悪いことに、今回は過去に人からもらった言葉を否定する反論が急に頭の中に湧いてきてしまい、止まらなくなった。その人も100%善意から言ってくれただろうし、こんなことはお互いにとって不幸でしかないのに。

 

そうこうしているうち、人から言われて嫌だったこと、嫌だと伝えられなかったことが山のように湧いてきて、止まらない。普段から最も忌避していることのはずなのに、どうやってもそこから逃げられない。ポジティブなこと、好きなことを考える気力がなくなっている。

 

妻と日常会話を無難にこなしていると、ここ最近のことが何もなかったかのように錯覚する。今も普通の家庭を普通の夫婦がやっている気がする。そのたびに別居の決め手になった一連のことを思い出すけど、それも自傷行為だし、何も生んでいない。何もかもが分からなくなってきた。

 

そうこう書いていたら子供がようやく寝たようだ。どうやら今日も終わりっぽい。何とかなったんだろうか。疲れた。明日何もありませんように。しばらく何もありませんように。そう祈ります。