灰色の殴り書き

昔の言葉で言うならチラシの裏です

書き投げ日記 10/26水曜日

おはようございます灰色です。現在8時半。昨晩少し寝るのが遅かったのですが、今日も7時に起きられました。元気元気。

 

今朝のラヴィット!では15分経過したところで盛山はピザちゃんになっており、リリーはヘアカットのためにぬりかべになっており、小田は先生になっており、串と皿に「小田用」と書いてあって明らかに何かが仕込まれた焼き鳥皿でまた試食勝負を挑んで大声で「マグロ!」と叫んだものの普通に美味しい胸肉だったという、相変わらずの混沌の水曜日です。

 

しかし今日は最後までラヴィット!する時間はないので、OPトークが終わったところで家を出ます。今日も今日とて映画なのですが、公開終了間近で昼11時の回しか残っていなかったので……。

 

ということで今日は岡田准一主演作「ヘルドッグス」を観てきました。これが大当たり!すごく好みでした。緩むシーンがほとんどなく緊張感が続く作りなので好みは分かれるかなとも思いますが、孤狼の血を思いきりアクションに振った感じ……とでも言いましょうか。ベタな部分もありつつも、振り切った作りでとても好感が持てます。ここまでやってくれると本当に満足ですね。

 

やっぱり暴力邦画もっと増えてほしいな……でも本作も暴力だけじゃなく、坂口健太郎とMIYAVIを筆頭に各々が語らずとも感情やその変化を表す演技がとてもよかったですね。一箇所ものすごく聞き取りづらいところがあったけど、あれは多分わざとなんだろうなー。そこだけ字幕で見たいですね。

 

さて、いい感じのテンションになったので、付近のタリーズで軽食……と言いつつビーフストロガノフ&ライスを食べてから読書タイムです。タリーズのランチ、美味しいけどとにかく少ないんだもの……

 

ちなみにバトグラも二戦だけまた並行してやってしまいました。テス→ピラマでどちらも帳簿の改竄を取って、6位と1位。6位はライスポ発見したけどダメージもらいすぎました。1位は5C時にコインナーガキープ・盤面タッドから20枚手札に加えるを引いて、マロの体力を育ててライフ守りつつ大急ぎで達成。中盤に猛毒をやりつつ、毒同士の殴り合いに備えて即戦力で雇った錆とかハジキ+超電磁と差し替え、最後は起源の杖のメカだったんでバロン献身、トリプル待ちしてたナーガ戦士(60/60×3)、リロイあたりで〆ました。バロンのサイズが42/48とかになって中型になったトークンを張り倒すのは愉快ですね。というわけで一位取ったらその日のバトグラは終わりです。

 

最終的に今日は2冊本を読むことができました。久々にちゃんと読み終えられたのは嬉しいです。

 

一冊目はずっと取っ組み合ってた三中信宏「読書とは何か 知を捕らえる15の技術」です。章ごとに筆者の専門書や大著の読書記録が例として挙げられるのですが、その部分を正面から読みすぎた結果噛み砕くのに時間がかかってしまった感があります。

 

一方、今の自分にそれを実践するだけの体力がないとはいえ、パワーを要する読書を登攀や狩猟としてイメージして攻略していくという骨子自体はとても分かりやすい話でした。また、後述するもう一冊とも偶然重なりますが、自分の興味の境界線の外側にあるものを楽しんでみる、という姿勢は、読書以外の分野も含めて特に大事だなと最近思うことが多いですね。

 

もう一冊は「地上最強の哲学」でおなじみ、飲茶の「体験の哲学」です。こちらは過去の本から事前に予想していた通り、大変読みやすい本でした。どちらかというと哲学用語を多少交えつつも、人生そのものをもっとピュアに、鮮やかで解像度高く楽しむための本とも言えるかもしれません。

 

と言いつつも、カフェでサラサラ読みすぎた結果、この読書自体が筆者の語る「純粋体験」から程遠いものになってしまった感は否めませんが……しかし巻末の「体験チェックリスト」はとにかく圧巻。これだけでも世の中に未知のものや、ぼやけた印象しか持ってないものが多いことに驚かされますし、ワクワクしてきます。

 

それと、「すぐに言語化しない」というのが自分にはクリティカルでしたね。思えば近頃は……というかいつからか、常に誰かに向けて発信・アウトプットすることを意識しているからか、何を見ても瞬時に自分の引き出しから表現する言葉を持ってきて、キャッチコピーを付けるような、もっと言えば感想を文章で語れるような状態がずっと続いている気がします。

 

このこと自体は無意識とはいえそれなりの時間をかけて習得したもので、おそらく直感で印象を受けてからそれを言語化するまでのスピードが割と速いから起こる現象だと思われますが、もう少し「言葉を失う」ほどに圧倒される体験、我を忘れて夢中になるほどの体験について、その瞬間そのものを大切にした方がいいのかもしれません。

 

とはいえ、それ自体はなかなか狙って味わおうと思っても味わえるものではありません。そこで逆に、自分のこれまでを振り返って劇的なインパクトを残した作品、瞬間的に脳へ焼きつくほど鮮烈だった体験、そうしたものを振り返ってみてはどうかと思い立ちました。いわば言語化の遡りですね。

 

普段は極力「すごい」「ヤバい」だけ言うようなことは避けていますが、今回はむしろ逆に、何かに対して直感で「すごい」「ヤバい」と感動した瞬間に注目し直そうと思います。そうすることで、改めてそれの何が自分にとって群を抜いて特別だったのかを分析でき、その共通点を探れるのではないか、そこからまた新たな語りのネタが見つかるのではないか、というのが狙いです。

 

ここまで書いてから、一つ思いつきました。たまにこのブログでも「殿堂入り」という言葉を使っていますが、自分の脳のど真ん中には四半世紀以上を通じて蓄積された、偏愛と思い出に彩られて今でも鮮烈に思い出せる作品群・体験をぶちこんだ「灰色の殿堂」と呼ぶスペースがあります。

 

上野の国宝大公開ではないですが、この機会に記憶の糸をはるか昔まで手繰り寄せていき、殿堂に保存しているものを一つ一つ記事にしてみたいな、ということを思いつきました。布教というよりは、現段階で身につけた言葉を用いて自分自身の愛を確認し、強化し、再定義するために。どれほどの時間がかかるかは分かりませんが、それが全て終わったときに何が残っているのか、その先をふと確かめたくなりました。

 

件の殿堂ですが、別の言い方をすれば「大好き」の自分史とでも言えるでしょうか。根っからの純粋培養のオタク(という言葉が差別用語だった頃が懐かしいくらい)かつ、インターネットキッズだったので、とても人に共感されるようなものではないですが、だからこそ時間とやる気があるときに勇気と気合で着手したいな、と思います。とかく何でも思いつくだけ思いついては投げ出すタチなので、本当にやるか、完結できるかは全く未定ですが……やる場合は多分noteを使うと思います。

 

結構長くなりましたし、今日はこのへんで。それではまた明日。