アウトプット偏重人生を振り返って
学生時代に打ち込んだことは、コミュニケーションです。
と書くと、控えめに言っても相当ダメな学生の就職面接自己PRのようだ。
また、一昔前には、
学生時代に打ち込んだものはキーボードです。
というのも流行っていた。今はスマホ全盛になって久しいので、もう廃れていると思うが。
何の話だよという感じであるが、このところ自分の過去、これまでの人生を振り返ることが多く、その中で結局俺にはこれしかないのではないかと行き当たったのが、こんなところであった。
また一方で、最近とても嬉しいことにフォロワーの何人かから「言語化能力が高い」というお褒めの言葉をいただき、自分にとっては最上級の賛辞として踊りながら喜んだのであるが、あらためた考えたとき、そもそも自分の言語化能力のルーツは何なのだろうということに疑問を持った。別の言い方をするならば、自分の言語化能力が比較的高いと仮定したときに、その訓練を自分はどこで積んできたのかを明らかにしたい、ということだ。
この二点、これまでの人生と言語化能力について思索を続けるうちに、何となく自分の中で納得のいく形に結びついた気がするので、今日はそれについて思いつくままに書いていきたい。長くなりそうだ。
まず、もうこれ以上フォロワーに向けて格好付けることもないと思うので端的に言うと、自分はもともと運動神経が悪かった。身体は比較的大きくてとても健康だったのだが、とにかく基本的に体育がダメだったし、足も遅かった。そのせいか、基本的に球技をはじめとしたスポーツというものに(やる方も観る方も)興味がなく、また体育会系的価値観にもアレルギーを強めていった。いわゆる典型的な運動音痴かつ体育嫌いなやつの出来上がりである。特に競い合う系とかチームスポーツがてんでダメだったのだが、例外としてプールや海で泳ぐのとかは好きだったし、今も好きだ。(下手なりに)
ちなみに、中学でハマって以来格闘技だけは別格だった。PRIDEの大晦日男祭りでヒョードルvsノゲイラを観たのがきっかけだったと思うが、そこから格闘技にハマり、格闘漫画や格闘・武道小説を読み漁り、K1からさらにはMMA(総合格闘技)に傾倒し、UFCをWOWOWで堪能し、ボクシングもテレビ中継があればちょいちょい観た。就職して以来試合を見ることは減り、今ではUFCのランカーも世代交代でほとんど分からなくなってしまったが、それでも今なお格闘技は大好きだ。(ここから先しばらく脱線してK1の話を書いていたのだが、我に返って別記事へと隔離した)
ただ、その頃には既に極度の近眼だったこともあって、自分で格闘技を習うのは割と最初から諦めていた。大学の授業でボクシングとか合気道は取ったし、今思えばやりようもあったとは思うのだが。ちなみにすごく興味があったシステマは一度大学の近くに体験に行ったらめちゃくちゃキツくて音を上げてしまった。ごめんなさい。
いい加減に話を戻そう。というわけで、未だに体育会的な体質とか、年功序列とか、スポーツ全体主義・スポーツナショナリズム的なものとかはすごく苦手だし、共感できないことが多い。ボクシングの日本人チャンプやチャレンジャーの試合はめちゃくちゃ熱を入れて応援するけど、W杯の日本代表とかは試合も見ないし特に…というテンションだ。もちろん、職場とかでは話を合わせる必要があるが。
とにかく、こうしてスポーツがてんでダメだった自分は、当然ながら部活動で青春を燃やすような学生生活はしていなかった。中学は卓球部だったが幽霊部員だったし、高校は放送部だ。大学では登山サークルに入るのだが、これについては後述する。
では何をしていたかというと、インターネットキッズとしてPCとずっと向き合っていた。はっきり言ってしまうと小4くらいからゲーム系の掲示板をROM(注:見るだけで書き込まないこと)していたし、小5か6くらいで自分も参加するようになった。チャットにものめり込んだ。中学〜高校の頃はそれこそ巨大掲示板の端っこで日々を過ごしていたし、PS2のモンハンでもワイバーンを狩るよりチャットで喋っている時間の方が長かったと思う。
また脱線するが、当時のモンハンのチャットは本当にひどく、一文は短いわ変換はろくにされないわという有様だったが、そんな中でリオレウスが振り向くまでの間に文章を打ち込んだりしてたので、タイピングは病的に早くなった。また、MH2のオオナズチにはブレスでスタミナをゼロにすると同時にチャットをできなくするという技(P2以降効果削除)があり、誰かに灰色殺しだと言われたような記憶がある。
話を戻さないといけない。とにかく、家に帰ったら夜中までひたすらインターネットに潜る、お世辞にも爽やかとは言えない思春期を送っていたのだが、最近ではこの時期が功を奏して自分の今に繋がっているのではないか、と思うようになってきた。
まだオタクが被差別階級で、2ちゃんが犯罪者の巣窟だと思われていた時代、個人情報をオープンに出すのは基本的にタブー中のタブーだった。住所は論外、顔写真ももってのほか。年齢も好ましくないとされた。(特に未成年にとっては) このあたり、最近のネット事情は本当に変わったな…と思うことしきりだ。
そういう中だったので、自分はいつも必死に背伸びして書き込みをしていた。なるべく子供っぽく見えないように、思慮深そうに、冷静に、という感じだ。今思うとそれでもボロは出まくっていただろうし、かえって恥ずかしいことこの上ないのだが。ただ、大抵の場合はどこのコミュニティでも自分は最年少で、かつそれを明かさずに他のメンバーと張り合うように必死で話をしていたので、それが結果として自分の言語力を成長させたのではないかと考えている。
顔や身分などの属性が出ていなかったのも大きかったかもしれない。純粋に文章だけで面白いことを言わないといけないし、対面の表情や空気感のようなものもないので、必然的に書く言語に特化した歪な進化をしていったのだろう。Skype通話とかの文化が登場したのはもっとずっと後だ。
とにかく、何でもかんでも喋りまくった。話さずにはいられなかった。その欲求を全て画面の向こうに投げつけていた。どこのチャットでも、自分は一番口数が多かったと思う。(16年来の付き合いのモンハン友達と話すと未だにそうだ) 言い換えれば、ひたすら書き言葉のアウトプットを続けていた。何についてでも、ひたすら自分の意見や感想を話すようになった。好きなもの一つずつについて、ひたすら隅から隅まで喋るようになった。このあたりから、自分のアウトプット>>>インプット生活、アウトプット偏重人生がスタートした気がする。高校に入ると多少人間性を取り戻し、オフライン(リアルという言葉が好きじゃないのでこう書く)の友人関係も良好だったのだが、それでもネット大好き生活は留まることがなく、クソスレを巡回したり、毎週末はMH2のチャットでドラマを実況したりしていた。(途中からろくに狩りをしていなかったが、MH2の総プレイ時間は2000時間超えだった。俺と友人はそのときのことを振り返って「狩りができる有料チャットソフト」と呼ぶ)
まともな話をすると、高校時代は友人たちに自分なりの方法論を含めて受験勉強(主に英語)を教えたりもしていたので、これもかなり自分のためになったと思う。人に教えるには自分が十二分に理解した上で、要点を噛み砕いて相手に伝わる形で伝えなければいけないからだ。人に教えることは何より自分にとって貴重な機会なのだ。(だからといって、最近話題のアドバイスおじさんにならないようには本当に気をつけなければいけない)
ここまでの怒涛のインターネットキッズ自分語り古傷見せびらかしムーブで、相当ドン引きされているフォロワーも多いかと思う。というかここまで読んでくれている人がいるかもわからない。が、もう少しだけ続くんじゃよ。(亀仙人)
大学に入ると、さすがにキッズ時代からのネット熱も少しずつ冷めてきた。ちょうど巨大掲示板の全盛期が翳りを見せ、ニコニコ動画が隆盛を誇ったり、mixiのクローズドコミュニティが盛り上がったりしていた頃だったと思う。ここでは奇縁に恵まれ、登山サークルに入ることになった。
詳細は省くが、最終的に自分にとって登山が楽しかったのは、山で人と喋るのが楽しかったから、に集約されると思う。山行行程中、食事中、テントの中、下山後の温泉や打ち上げの居酒屋、とにかくたくさん人と喋る機会があり、それが何より楽しかった。当然のように、普通の酒席も控えめに言って大好きだった。縦走中、キツい登りや長い下りでも一秒たりとて黙らない自分はさぞ鬱陶しかったことだろうと今は反省している。ちょうど有吉の毒舌が流行っていた頃だったので、必然的におしゃべりクソ野郎(略しておしゃクソ)と呼ばれた。
一人で山に登るのもそれはそれで考え事ができたりして好きだったが、技術的に極めようとは思わなかった。せいぜいが夜行バスに乗って剱岳に登りに行ったくらいだ。雪山はやらなかったし、体力的にも登山部のようなガチの人々とは比べるべくもないエンジョイ勢だった。それでも妙に元気だけはあったので、食料と酒を満載した35kgのザックを背負って合戦尾根を登ったり、蛭ヶ岳を目指して塔ノ岳のバカ尾根を80分で登ったり、縦走中に真空パックしてきたローストビーフを幕場で食ったり、しばしば奇行は繰り返していたが、それは別の話だ。
とにかく、大学時代も詰まるところは「人と喋るのが楽しい」で構成されていた。お喋りをアウトプットと定義していいならば、本も大して読まなかった自分はこの時期も明らかにアウトプット偏重人間だった。ただし、大学では先輩・後輩ができたこともあり、人の話を聞く重要性を知り、少しずつでも軌道修正を試み始めたことは書いておきたい。それがないと本当にヤバい奴のままで終わってしまうと悟ったからでもある。
そのうち、Twitterを始めると、140字の世界に特化した生き物としてさらに特異な方向に進化が進んでいく。元々まとまった量の文章を書くよりも掲示板やチャットなどの短文に特化していたので、Twitterに放流された自分はまさに水を得た魚だった。言いたいことをギチギチに詰め込むのは大得意だし、息をするように連投もする。
ここまで、「中高のネットでも大学のサークルでもずっとお喋りだった」ということを伝えるのに凄まじい文字数を要してきたが、まとめるとそういうことだ。とにかく、常に誰かに・どこかに向けて喋りかけることができたので、なんでも思うことは言葉にするようになった。たとえ実際に発さなくても、脳内であらゆる思考を言語化する癖が自然と付いていったのだと思う。最近はこの言語プロセッサがオーバーヒートしたことで不具合を起こしているというわけだ。
大学を卒業し、就職して2年目以降は営業に配属され、次第にバックオフィス系の仕事からフロント対応に移っていった。そこでは製造業のルート営業(しかもかなり特殊な業界)という性質上、差別化された製品の特性をアピールして案件をゲット!ノルマ達成!というような仕事ではなく、ごく限られた相手と繰り返しコミュニケーションを取ったり、市場の現況について説明したり、情報収集したりして関係を維持したり深めていく、というのが主な役割だった。
仕事をするうち、詰まるところこの業務の大部分は言語コミュニケーションであり、また他人と差別化して相手から好印象を獲得するにも基本的にはその点しかない、ということに気付き始めた。一方で、上司や同僚を見渡しても素のキャラクター性以上のレベルで言語力を上達させようと努めている者は見当たらず、営業でありながらその重要性を認識してもいないように思えた。そもそも、話すこと、書くことについて、「礼儀正しく」だの「分かりやすく簡潔に」だのという以上の深さで理論立てて考えている人間がゼロに等しかった。これにはひどく衝撃を受けた。
このままではダメだと思った。幸い、どこまでがお世辞か分からないにしても、社内外を問わず話が分かりやすいとはよく言ってもらえる方だ。ならば、それをもっと伸ばさないといけない。加えて、かつて人に「言葉を磨け」と言われたのを思い出したこともあって(別エントリ「褒め上手になりたい」参照)、近年は特に、技術的・理論的に「喋ること」を磨きたいと思っている。理想的には、誰にでもある程度応用できる形にまとめたい。逆に言えば、外見も良くなく目立つ実績もなく具体的な技術にも乏しい文系崩れの自分には、それしかないのだ。言葉しかないのだ。
自分に誇れるような学生時代の成果は特になく、スポーツマンのような華々しい思い出とは無縁で、中高のネット生活と現在の自分とは繋がっていないように思っていた。だが、今改めて振り返ると、あの頃狂ったようにチャットや掲示板にのめり込み、ずっと年上の人間の相談に乗って一緒に悩んだり、仲良くなったり離れたりを繰り返した経験が、全て今の自分の土壌になっていたのだと感じる。そうして、今までの自分をトータルで肯定してやれるようになったのは、シンプルにすごく嬉しいことだ。突き詰めて突き詰めて考えたら、自分のルーツの結晶は「人と喋るのが好き」ということ、それだけで、それはどうやら20年以上変わらなかったようだ。
だから、自分の言葉で誰かを元気付けられたり、笑わせられたり、関心を持ってもらえたりするのが、何より幸せだ。相手の話を聞いて、それに適切な返しをできることが、すごく嬉しい。とんでもないボケに対して、ニューロンから即座にツッコミを繰り出すのが、最高の快感だ。伝わりそうで伝わらないギリギリの例え話をして上手くいくと、ガッツポーズをしたくなる。自分にとって「話が面白い」「言語化力が高い」と言ってもらえるのは、飾っているインターハイのトロフィーを褒められたり、「すごい筋肉ですね!何かされてるんですか?」と言われたりするのと同じだ。頑張っていること、ずっとやってきたことを褒められるから嬉しいのだ。
つくづくどこまで行っても子供じみているが、これが今までの自分の全てだ。
では、これからはどうしていくのか。自分自身では、そろそろ話のネタを使い回すにも限界があるのかな、と折に触れて感じている。面白くなるために、もっともっと、話の引き出しを増やさなくてはいけない。そのためには、アウトプット偏重だった人生を軌道修正して、インプットの量を増やしていかないといけない。興味範囲を広げて、知らなかったものに手を出して、本を読んで、人の話を聞こう。近頃はそう思っている。
だからフォロワーの皆様には、これからもたくさん面白いものを教えてほしいし、その感想を聞いてほしい。もしこの異常長文を最後まで読んでくれた人がいたら、そうお願いして、締めくくりたいと思う。どうぞよろしくお願いします。