灰色の殴り書き

昔の言葉で言うならチラシの裏です

諦めについて

ここ最近、少し調子がよくなってきた。疲れづらいし、子供が純粋にかわいく思えて、たくさん遊んであげたくなる。

 

理由は三つほどあって、一つ目は安定剤系の薬を増量したこと。恐らくこれが最大の理由。

 

二つ目は、読書とゲームにのめり込んでいること。特に、新本格ミステリーにハマってからというもの、取り憑かれたように毎日一冊以上読破しており、これが実に楽しい。

 

三つ目は、ネガティブなことになるが、諦めたからだ。

 

妻に期待することをやめた。

 

何か気に食わないことがあっても、それについて怒るよりも先に、頭の中で自分を落ち着けるようにしている。

 

あの人は、おかしいから仕方がない。

 

そうやって自分に繰り返し言い聞かせる。妻は普通ではないから、何かあっても仕方ない。むしろ、それでもやってくれていることだけを評価しよう。それ以上のこと、世間のお母さんのようなことは、期待しないようにしよう。

 

メンタルの病気に理解がなくても、感謝や労いの言葉がなくても、機嫌の波が激しくても、休日なのに休まずにかえって疲れても、先々の家計のことを考えられなくても、子供の目の前でTwitterや漫画を延々見ていても、時間制限のあるオンラインゲームをしていても、生活費のほとんどを負担させられても、仕方がない。

 

そうして、苛立ちを落ち着けるようにしている。

 

こんなことを書けば、夫として失格だと言われるだろうし、妻が可哀想だという非難を受けることは容易に想像がつく。

 

からしばらくは胸の内に留めていたのだが、それでも、訳あって書かずにはいられなかった。

 

ここで話は変わるが、自分の現状について書く。

 

クリニックの主治医から、休職期間を使い切ってしまうと復職できなかったときにそのまま退職となってしまうリスクがあるため、猶予があるうちに一回復職してみた方がいい、というアドバイスをもらった。

 

特にうちの場合、問題になるのは復職した際に妻の家事育児負担が増えることだ。それでも、このままでは半端に家事育児を続けて、ずるずると休職期間を使い切るまでうつから回復せず、収入が途絶える、ということが予想されたので、とにかくまず仕事に戻ってみて、妻にその生活に慣れさせるしかない、というのが最大の目的だ。

 

逆に言えば、子供が産まれてから1年3ヶ月の間、療養中であろうとほとんど毎日夫婦二人で分担してやってきており、妻はそれに慣れきっている。ただし、その状態を永遠に続けるわけにはいかない、ということだ。

 

妻は論理的な説得が通用しない人なので難しそう、と話したが、もし何か問題があっても、期間が残っていれば、再休職もできるから、と説得され、それならばと自分も同意した。

 

このことを産業医に話したところ、内容は理解されたものの、やはり手続き的なところが気になるのか、また産業医としての立場が問題なのか、少し難色を示された。

 

そこで、まずは会社に復職する前に、家庭内のみでトライアル的に生活のシミュレーションをしてみてはどうか、と提案された。実際には仕事をしないが、定時で通勤している体で、朝〜夕まで今自分が負担している・手伝っている家事を妻に任せる。そこで問題がなければ、正式に手続きに移る。問題があれば、事前に発見できる。という具合だ。

 

これならばすぐに始められるし、何かあったら軌道修正できて良さそうだ。そういうわけで、11月から早速始めることにした。案の定妻は反発し難色を示したが、とにかくいつまでもこの生活は続けられない、いつかは復職しなければいけない、と言ってなんとか説得した。

 

結果的に自分が週休0日(週5勤務と土日)、妻が水曜と土曜の週休2日(こちらは仕事といっても週4で10時〜3時か4時までのバイトのため)なら、と言っていたが、そこについては先々要調整ということで棚上げにした。

 

それで、いきなり週5は大変だろうということで、今週の水曜日からまずは3日やってみようということになった。

 

結果から先に言うが、妻は3日でほとんど限界のようだった。

 

疲れた、腰が痛い、イライラする。今日は朝から剣呑な雰囲気を漂わせ、何かにつけて噛み付いてくる。

 

いつかはこうなると思ったが、あまりにも早くて流石に驚いた。この調子では、復職など夢のまた夢だ。

 

今日は向こうも休みたいと言ったし、こちらも休んでほしかったので、昼間にうちの母に来てもらい、3時間ばかり自由にしてもらうことにした。しかし、どこにも行く場所がないと言い出し、まるで俺が追い出したかのような態度で家を出ていった。自由時間を楽しむ術も持たなければ、休み方も知らない、それでいて他人と交流もしない人を、どうすればいいのだろうか。これでは手の打ちようがない。

 

時短勤務にすれば、と妻は軽々しく言う。2時間も時短すれば、減収分であなたのバイト代を超えてしまうのだけど。そもそも、何の調整もなく容易に時短に切り替えられると思っているのがどうなのだろう。

 

もう忘れているかもしれないが、こっちは2ヶ月の育休を取るのにも必死で苦労したのに。復職後もワンオペにさせまいと、仕事を途中で抜けて子供を風呂に入れ、夕飯を作り、妻の食事やらお茶の間はゆっくり遊んでやり、それからデスクに戻って23時前まで海外とオンライン会議をしたり、残業してから夜勤を代わって少しでも寝る時間を作ったり、そういうことをしていたのも忘れてしまいましたか。世間の育休取得割合を知っていますか。そのほとんどが一週間程度で、一ヶ月以上は未だにごく少数なのを知っていますか。この会社で二週間より長い育休を取ったのは、正式に制度を使ったのは全社で俺が初めてだと言ったのは、覚えていますか。それもこれも、全て慣れてしまって当たり前になりましたか。

 

そうして、今朝決定的なことが起きた。

 

妻が噛みついてきたのをきっかけに、つい「俺はうつ病でも家事してきたけどね」と言ってしまった。そしたら妻は言った。

 

「そりゃあなたは毎日遊んでられるからいいよね」

 

そうか。この人にとっては、俺の休職理由などどうでもよくて、うつ病というものの大変さなどどうでもよくて、俺はただ毎日好きなだけ遊びながら便利に家事をするだけの存在だったのか。

 

ただ不思議と、そこまで腹は立たなかった。

 

やっぱりそうか、と思った。

 

まだ休職したばかりで体調が悪かったとき、妻に言われた言葉を忘れていない。

 

「かえって良かったんじゃない?」

 

何が良かったのだろう。俺が家事に専念できるから、自分が楽をできることか。

 

子供と一緒にいる時間が増えたのは、そりゃ今だからありがたいと言える。ただ、休職したときの俺は限界だった。それでも、妻は一度たりとも心配してくれたことはなく、「無理しないで」と言ってくれたこともなかった。投げ捨てるように「疲れた?休めば?」というのが最大の優しさだったと思う。

 

かえって良かったんじゃない?という言葉は、自分の中に大きなしこりを残した。

 

それでも、何とかやってきた。自分が結婚した相手だし、この子の母親は一人しかいないのだから、たとえ自分をうつ病に落とした人間だとしても、いつまでも憎んではいられない、と。

 

だから表面では最大限に仲良くして、機嫌を取って、症状がひどいときでも家族の前では取り繕って、明るくするように努めてきた。その分、Twitterやブログで生き恥を晒しながら汚物を吐き散らかして、色んな人に優しくしてもらって、何とか生きてきた。最近、「おかしい人だから仕方ない」と頭の中で繰り返すことにも、少しの罪悪感があった。

 

でも、やっぱりあの人の本音はそうだったのだ。

 

ひどい妻であるかのように書き立てて、離れたいと思っていても、心の中ではまだ少し信じている、信じたい気持ちがあった。本当は気遣ってくれている部分もあるのではないか、休んで楽をしていると思われているというのは悪い方に考えすぎじゃないか、悪いように書きすぎではないか、と思っていた。それで自分を責めて、ツイートやブログを書いては消した。

 

でも、やっぱり最初からダメだった。休職して好きなだけ遊んで楽をしている夫。手伝うのが当たり前なのに、そのくせ疲れやすくて完璧な家事育児ができない夫。一方では誰にも頼れず誰よりも苦労している自分。私はあなたと違って辛い。あなたは楽でいいよね。そういう図が最初から彼女にはあった。

 

不思議と、そこまで腹は立たなかった。ただ、冷たい気持ちになった。

 

やっぱりそうだったのか。俺は期待しすぎていた。信じすぎていた。もう少しマシな人間だと思っていた。でも、やっぱり違った。

 

むしろ納得感があったし、かえって清々しい気持ちになった。もう、あの人に何も期待しなくていい。何も気兼ねしなくていい。申し訳なく思わなくていい。

 

あの人も明らかに普通より頑張っている点は一つあって、それは子供がとにかく寝ないことに原因がある。一才を過ぎても夜1時間おきに起きるので、その都度授乳して寝かしつけている。最初からずっと、授乳しないと寝ない。そのことがずっと気がかりで、あの人はとにかく頑張っているから、他のことは何があっても仕方ない、俺が頑張ろう、とやってきた。逆に、子供が寝ないことでこの家庭は全ておかしくなったのかもしれない、とは思うことがある。

 

でも、もういいや。

 

「毎日遊んでいられるからいいよね」とまで言われた相手に、もうこれ以上気遣うことはない。

 

俺は否定された。先が見えなくて死にたくなったことも、地べたに這いつくばって苦しんだことも、少し良くなってきたと思ったら身体が動かなくて絶望したことも、それでも必死で家事育児をやっていたことも、薬を変えては効かない、増やしては効かないと繰り返していたことも、毎日毎日症状の悪化に怯えていることも、全てを否定された。いや、最初から何も認識されていなかった。

 

ずっとわずかな期待を持って耐えてきたけれど、もう自分を許そうと思う。あの人を嫌うこと、憎むこと、自分をどん底に落とした元凶だと断定することを、許してやろうと思う。

 

今の俺が気兼ねするのは、申し訳なく思うのは、この子に対してだけだ。あの人はどうでもいいけれど、この子を放り出すわけにはいかないと思う。この母親と二人では、およそまともに暮らしていけるとは思えない。(決して母子家庭そのものを否定するものではありません。念のため)

 

あの人は社交的ではなく、自分が面倒だからと子供と他人の交流をも避けているが、そういったことも含めて、自分が教えてあげたいと思う。あの人は楽しいことを見つける能力がなくて、友達も一人か二人だけで、何かにつけて物事の悪いところだけに注目して、その母親もまたロクでもなくて、自分から進んで不幸を感じにいくような人だけど、子供にはそうはなってほしくない。だから、自分が精一杯いろんなことを教えてあげたい。

 

離婚。これまでは使わないようにしていた言葉、考えないようにしていた選択肢。今はとても現実的に感じるけれど、同時に遠いものでもある。

 

すぐには決断しない。それは子供がいるから、この子を見捨てられないから、それだけだ。

 

ただ、恐らくもうあの人に対して俺が心を開くことはない。もう、全てを諦めた。

 

あの人は何気ない一言、悪意のない行動、そういったものを最大限悪い方に解釈して、事あるごとに思い出して、恨みを一生持ち続ける性質だ。それならば、俺もそうしてやろう。今日のことは絶対に忘れない。

 

この夫婦はいずれ離婚することになるだろう。ただ、それはすぐではない。この子が中学を出たときか、高校を出たときか、それとも成人したときか。それは分からない。結局面倒で踏み切らないかもしれない。

 

ただ、もう俺は全てを諦めた。生きていることを否定されたのだから。そんな相手に、もう心を許すことはない。

 

残酷、無理解、傲慢、短気、何とでも言ってもらって構わない。