灰色の殴り書き

昔の言葉で言うならチラシの裏です

聞いてくれよ、ここにいるから(自分語り・前編)

いつも「どんな話でも聞きたいです!」と言ってくれる心優しいフォロワーの言葉を120%間に受けて甘えた結果、ここから3回にわたってヤバいくらい気色悪い自分語りを展開します。現在進行形で病みが進行してるわけではないので、心配はご無用です。ただ内容は本気でひどいので、引き返すなら今のうちです。ではどうぞ。

 

 

 

 

常識はずれのおしゃべり。うるさい奴。興味を持ったら何にでも口を挟む。知ってることなら意見を言わずにはいられない。

 

いつからか分からないが、人生のほとんどをこういう人間として生きてきている。恐らくこの性格は変わらないし、喉を失えば文字で、それも失えばテレパシーで、多分一生やかましく過ごしていくだろう。

 

人の話を聞くのが嫌なわけじゃない。相槌を打つだけじゃなく、話を振ったり引き出したり広げたり、そういうことも人並み以上にはできるつもりだ。それに、相手の話をはなから否定したりすることは絶対に避けているし、いつも俺なんかに話してくれて嬉しい、と思っている。

 

ただ、その場で俺の言えることがあれば、すぐに口を開かずにはいられない。もうそういう生き方しかできなくなっている。

 

さて、果たしてこの病気はいつからのことだろう。幼児期からずっとしゃべるのが好きな子供ではあったらしい。正月に実家に寄った際、齢31にして初めて実家の母から明かされたのだが、俺はやたら言語の発達が早く、一歳の頃?にコップで水を飲む練習をさせようとしたら「僕は哺乳瓶の方がいいなあ」とか言ったらしい。

 

いや流石にそれは盛りすぎだろう、目の前の孫のケースと比べて飛躍しすぎだ、冗談にも程があるぞ、とドン引きしたのだが、父はゆっくりと口を開き、一言「本当だよ」と言った。マジかよ。気持ち悪いを通り越してただ怖いわ。

 

そういうわけで、物心つく前からとにかく口を閉じないマシンガントークボーイだったらしい。その代わりに美しさや愛嬌や誠実さ、運動神経に器用さに情緒の安定、思慮深さと分別と忍耐強さ、それから視力のほとんどを置いてきたのだろう。神様お決まりの等価交換にしては、いささか悪趣味に過ぎる気がするが。

 

だから、俺のおしゃべり自体は生来の気質で、そこは今も昔も変わってはいない。

 

ただ、後からそこに加わったものがある。それが、何かにつけてその場で意見を言わずにはいられない、という体質だ。では、これが染み付いたのはいつ頃のことだろうか?

 

過去に過去にと記憶を探っていくと、多分それは小学校後半あたりから中学の頃だ。思春期からうっすらとゆっくりと、しかし確実に定着していった思想。

 

黙っている自分に価値はない。誰も見向きはしない。

 

これが、俺が黙っていられない理由だ。この生き方を強いるセルフ呪いだ。

 

生きているだけで尊い。みんなそれぞれ価値がある。あなたはあなたでいい。そういう言葉の意味を本当に理解したのは、つい最近のような気がする。それまでは耳にしても、自分とは別の世界のノイズだと思っていた。ここで中二病と言ってしまえばそこで終わりなのだが、例によって寛容な精神で最後まで聞いてほしい。

 

俺はごく普通の市立小学校、大層治安の悪い市立中学、偏差値も高くないくせに独裁国家と呼ばれるほど校則の厳しい県立高校、あとテラフォーマーズの如く世のそこかしこに卒業生がしぶとく蠢いてる大学、という具合に進学して、ごく狭い業界で昔からふんぞり返ってるような昭和イズムが支配する会社の営業雑兵になった。詰まるところ、とにかく語ることのない普通の人生ルートだ。多様性も国際性もだいたい無縁の世界だった。

 

どこにいても、積極的に手を挙げるやつ、意見を言うやつはその場のごく一部だった。俺一人が申し訳なさを感じながら物申すだけだったこともあるし、英語の授業で周りがしばらく反応しないのを確認してから手を挙げたり、ゼミで誰も感想を言わないから助手ぶって全員の発表の興味を引いたところを掘ってみたりもした。最近ではコミュニケーションに支障のある上司に先回りしまくって、これで問題ないですか、特にないよ、ということも多かった。

 

少なくとも会社に入る前までは、俺は俺なりにやかましすぎないように、周りを威圧しないようにと振る舞っていたのだが、それでも側から見たら、普通の学生たちから見たら俺はさぞかし異様な目立ちたがりのエイリアンに映ったことだろう。それは大変申し訳ない。ただすまんけど許してくれ。俺にはこれしかないんだ。

 

特別な才能はない、顔も良くない、運動神経も良くない、習い事もしてなければ金をばら撒けるわけもない。そういう人間にとっては、俺にとっては、いつも言葉が唯一残された拠り所なのだ。

 

黙ってしまえば、みんなの中に埋もれてしまう。その他大勢というのは見下した響きかもしれないが、その中でもさらに下の方へ下の方へと埋もれていき、誰にも構われず、好かれず、価値を見出されずに終わる。

 

誰もお前のことなど見ないし、気にかけることはない。だって、いないから。見るべきところがなく、黙っている人間は、そこにいないのも同然なのだ。この思い込みを跳ね返すほどの自己肯定感や人間関係の安全地帯を俺は持っていなくて、だからいつでも虚勢とハッタリで飾り立てたそれっぽい言葉を振りかざすしかなかった。

 

勿論当たり前だが、この基準で他人をジャッジすることは絶対にない。黙っていたら死んでいるのも同じ、なんて考えを向けているのは自分一人に対してだけだ。万が一誤解されてしまうと悲しすぎるので、改めて明言しておく。これは全て自分一人の話だ。

 

ネットの文字を介したコミュニケーションに傾倒するようになったことも、この思い込みを強化する方向に働いたかもしれない。自分がいっとき住み着いていた、ゴミ溜めみたいな匿名掲示板の、さらに腐敗ガスを出してるようなエリアでは、現実世界で好かれず、尊重されず、蔑ろにされてきた男たちが、四六時中怨嗟の声を呻きながら転がっていた。

 

若いフォロワーには想像が難しいかもしれないが、当時まだオタクはメディアでバカにされる謎の生物だったし、草食系男子なんて言葉もなく、童貞・男女交際未経験者は最下層の被差別階級であった。岩を持ち上げたら出てきて気持ち悪がられて踏み潰されるダンゴムシだった。

 

幸いなことに、その怨念に心まで染まったわけではない。面白いところだけを摂取するようにしていたし、同時に入り浸っていた別の場所には心が和むようなあたたかみがあったし、名無しでなくハンドルネームで交流することもあった。かのモンスターハンターが発売されると、受験勉強も放り出してオンラインモードに数千時間を費やした。

 

ただ、ネット上にあった居場所の全てに共通していたのは、カメラ通話や電話などをすることはなく、文字のやりとりだけが気持ちを伝える唯一の手段だったことだ。

 

そこでは顔が見えない。顔写真や本名、住所などの個人情報を出すのは論外というのが常識だった時代だ。そうなると、何か言葉を発さなければ、本当にそこにいないのと変わりないのだ。もちろん、他人のやりとりや興味深い意見を眺めるだけで楽しい、という人も昔から沢山いただろうが、自分にとってこれはやはり耐え難いことだった。

 

何かを言わなければ、それこそ匿名の集団に埋もれてしまう。チャットをしていても、いないのも同然だ。協力プレイのゲームをしたって、NPCのようなものだ。

 

俺はここにいる。だから、俺の話を聞いてくれ。

 

心の中でいつもそう叫んでいた。

 

少なくともその頃は、構ってくれ、と言ったことはない。そんなことを口にしたら愛想を尽かされるのが分かっていたからだ。ただ、何か人とちょっと違うこと、面白そうなこと、相手の興味のありそうなこと、あるいは自分の得意な分野のこと、とにかく口を出せそうな流れがあれば、すかさず割り込んだ。

 

そうして、返信が来ると嬉しくて、名前を覚えて挨拶してもらえると嬉しくて、またオンライン上で会えるだけで舞い上がって、それが俺の人生にとって唯一最大の報酬だった。

 

部活動の連帯感も、誕生日プレゼントも、バレンタインのチョコレートも、裸で抱き合って幸せに夢を見ることも無縁の生き物だった。ただ、見知らぬどこかの誰かと一瞬でも心が通ったような気がすることが嬉しくて、どんなドラマより感動的で、どんどん画面の中にのめり込んでいった。夢の中に沈み込んでいった。

 

それでも何とか大学は人並みに受験して合格でき、サークルでは愉快な先輩後輩にも恵まれ、俺には勿体ないくらい楽しい時間を過ごさせてもらった。今でも繋がっている人たちもいるし、慕ってくれる後輩や話を聞いてくれる同期もいる。本当にありがたいことだ。

 

ただ、呪いはずっと解けていない。俺は本質的に無価値で、何もできなくなれば、何も言えなくなれば、即ち死んでいるのと変わらない。それを誰に認識されることもなく、忘れられる。

 

お前がお前の無価値さを忘れるためには、喋り続けて、他人の気を惹き続けるしかない。それで少しでも人を笑わせて、人の役に立って、それを続けることだけが、自分の存在意義という泥人形を立たせ続ける手段だ。

 

頭の中に、そうやって囁きを反響させてくるやつがいる。多分、あいつだろう。あのときの俺。ネットにしか居場所がないくせに、そこで出会った稀有な友人のはずだったのに、些細なことで縁を切ったり、疎遠になってしまった俺。尊敬できる友人や恩人だったはずの人との連絡を途切れさせた俺。彼ら彼女らからその後に何の反応もなければ、誰でも良くあることだ、自分は悪くないと主張し、その人たちがいかに自分にとって大切だったかを忘れることにだけ注力してきた俺。

 

そいつが耳障りな声で言ってくる。その人たちが離れていったのは、愛想を尽かしたのは、お前に何の魅力もなかったからだ。人を惹きつけるものがなかったからだ。そのくせ、言葉で興味を引くこと、役に立つことを怠ったから、みんな当然いなくなったのだ。

 

全くもってその通りだ。本質的に魅力のない人間が、それでも人間関係を維持したい、素晴らしい人たちと関わりを持ちたいと思うなら、そのために絶えず努力しなければいけない。俺はそうしなければ、必然的に独りになる人間なのだ。

 

その人たちに申し訳ないと思うのなら、同じ思いをしたくないと後悔しているのなら、しょっちゅう夢に出るのをやめてほしいのなら。もう立ち止まらず、欲をかかず、無限の誠実さを追い求めながら生きることだ。そのための手段は、俺にとっては言葉しかない。どんなに空っぽでも、上手いこと飾り立てた、それっぽく響く言葉しかない。

 

今の俺と親しくしてくれている人に、できる限り誠実でありたい。言葉で相手を楽しませて、喜ばせて、助けて、僅かでも役に立ちたい。それは本心だ。嘘つきの俺でも、これだけは偽りのない願いだ。そのためにはどんな努力でもしたいと思う。仕事で出世することなんかより、今となっては妻に尽くすことより、よっぽど大切な、人生で最優先の目標だ。そう断言できる。

 

あれ?おかしなことになった。呪いだなんだとさも大袈裟に書き立てていたはずが、いつの間にか心からの願いということになってしまった。どこまでが昔からの病気で、どこからが今の自分の希望なんだ?

 

そういうことだ。最初から全部同じことだった。

 

自分の本質が無価値であることの理解。それを紛らわせるための薄っぺらい言葉。心の交流を希求し、親愛を受けるために渇くこと。いっとき自分の無価値を忘れたために、調子に乗ったために、努力を怠ったために離れていった好きな人たち。それを忘れるための薄っぺらい言葉。忘れないための薄っぺらい決意。今の人間関係。自分を助けてくれた人への恩返し。身に余るほどの好意。忘れられることへの恐怖。自分で言語化した呪い。ずっと縋っている願い。本質。

 

全部同じことだった。

 

俺はおしゃべりだ。何か言いたくて仕方ない。だから、ちょっと話を聞いてくれ。

 

ここにいるから。生きてるから。

 

気付いてくれ。忘れないでくれ。