もう全部やめさせてくれ
コロナ陽性隔離中にこんなこと言わなくても、と思うし、一人で自宅療養で随分楽させてもらってるとも思うんだけど、やっぱりダメみたいです。
久々にストレートに死にたいです。
消えたいって方が正しいのかな。
多分火曜くらいからずっとメンタルの薬切らして飲めてないのもあると思います。効いてたんですね。
ボーッとテレビ観てたんですが、ふとした表紙に子供のことを思い出してしまい、すぐに感情的な限界が来ました。
前みたいに苦しくて動けないとか、何も考えられないとか、そういうわけではないです。こうしてまともに文章を書けているので、仮病と言われればそれまでです。
子供が産まれたときのことを思い出しました。そうしたら本当に辛くなって、何もかも意味がなくなってしまいました。
寂しすぎます。
生きる気力というやつも全く湧いてきません。空っぽです。
消えて無くなるか、そうでなければ記憶喪失になるか、どっちかがいいです。
結構頑張ってたと思うんですけどね、家事も育児も。
どうも、子供が産まれるずっと前から積もり積もった恨みは何をしても消えることがなかったと、それだけのことのようです。
だから別に俺が育休だのなんだの必死にやる必要もなかったし、頑張る必要も別になかったんですね。
つまりはいずれ破綻するのが必然だったということです。
逆に言えば、子供が産まれてからのことでもっとああしてればとか、そういう後悔みたいなものが無意味ということでもありますね。
自分は自分なりにベストを尽くしてきて、後悔することがないようにしてきたのですが、その逆で何もかも無意味だったから反省も後悔も必要ないということでした。
だから子供が産まれた幸せだといって舞い上がっていたのとか、成長が見られて嬉しいかわいいとか、そういう風に感じていたのも間違いというか、無駄だったわけですね。
無駄どころか、そういう風に感じていた分だけ傷が大きくなったので、どうせ破綻することが決まっていたなら、完全にあれはなんだったんだろう、というものでしかないですよね。
今までも疲れた、疲れたと言ってきましたが、もう本当に終わりだなと。
将来に何も期待することはできません。この苦しみをもって生きていくのはもう一日たりともごめんだとしか思いません。
これ以上何に耐えればいいんでしょうか。
物語やテレビの中で仲睦まじい親子を見かけたり、赤ちゃんの画像を見たりするだけで死にたくなるんです。
なんで自分は違うんだろうと思って死にたくなるんです。
こんな苦痛を一生味わい続けることには多分耐えられません。
耐えられないし、耐える必要もないんじゃないですかね。もう。
これ以上何すればいいんですか。
疲れましたよ。もう。
これ以上何も俺に強制しないでください。
客観的に見ても、自分の状況がもう手の施しようのない状態なのも理解しています。
育児と仕事を両立しようとしたらメンタルを壊して休職しました。
それでも何もせずにいるのは申し訳ないからと身を削って家事育児をしていたらいつまで経っても治らず復帰できそうにありませんでした。
それでも復職のために動き始めたらすぐに妻がいっそう攻撃的になりました。たまらず逃げました。
月曜日、妻は俺が被害者ぶって育児を押し付けて勝手にいなくなったとなじりました。
コロナ陽性になりました。
それを連絡しました。
もう週末に子供に会いに帰ってこなくていいと言われました。
すごいですよね。
ここまでの転落はちょっと誰にも共感できないでしょうし、理解できないでしょう。
皆さんにとっても腫れ物も腫れ物、もう手の差し伸べようがない、声のかけようがない状態だと思います。
だからもう、本当にいいです。
誰かに覚えていてほしい、誰かのために何かをしたいと思っていましたが、もうどうでも良くなってきました。
何をしてももう無意味です。
映画を見ても酒を飲んでも一瞬の空き時間に子供の顔が頭に浮かんできてそこで終わりです。こんな人間に気分転換もクソもありません。
今もつけっぱなしにしていたテレビでドラマが始まって新生児が映って吐きそうになりました。
街を歩いてベビーカーを見るだけでも気が狂いそうな人間が、どうしてこれから生きていけるでしょうか。
本当に、この苦痛から解放されたいです。でも生きている限りかわいい子供の記憶は消えないので、死ぬしかないです。
もう、それしか頭には浮かびません。
前はまだ、SOSを書いて誰かに気付いてもらいたい、声をかけてもらいたい、孤独感を紛らわせてほしいという欲がありました。
今はもう、そういうものも何もないです。
構われたところで、俺もどんな風に人と接したらいいかもう分かりません。
生きていてほしいと言われても、苦痛なんです。
子供の写真で溢れているフォルダのサムネイルを見るだけで首を吊りたくなるんです。
子供の顔が頭から離れません。
子供の声が耳から離れません。
去年もさんざん苦しんでいましたが、そういえば泣くことは多分一度もありませんでした。
今は初めてブログを書きながら泣いています。不思議なものですね。
陽性になってすぐ、高熱を出して一人で寝ていたら、初めて母が夢に出てきました。
お疲れ様、よく我慢したね、もう十分だよ、と言われました。悲しくて、異常な呻き声をあげたらその音で目が覚めて、夢だと分かりました。そういう母性的なイメージとは最も程遠い母なんですけどね。
他人に見られても困るし困らせるだけですが、いつまで生きているか全く分からなくなったので、いつ何があってもいいようにこうしてブログを書いておくことにします。
形だけ婚姻を維持するか、離婚しても極力頻繁に子供と会えるようにするか、そういうイメージトレーニングをして気持ちを慣らしていければいいんでしょうかね。
分かってるんですけど、そういうことを考えていくと、もう全てが戻らないことを否応なしにまた実感させられるので、それもすごくしんどいんですよね。
離婚しても父親ではいられる、とか、子供にとっては必要、とか、離婚しても立派に育ってる子供はいくらでもいる、とか、そういうのも全部頭では分かってるんですけどね。何も終わりじゃないとか、とにかく死んだらダメだとか、そういうのも理屈では分かるんですけどね。
なんでしょうね。子供が産まれたときに願った幸せな家族の将来というものが二度と手に入らないとようやく理解したからでしょうか。ほれとも、そんなものが元から実現しようがなかったことを理解したからでしょうか。
自分が妻のためにやってきたことが無駄だったというだけなら別にいいんです。ただ、それよりも子供のことが頭から離れなくて、それが辛くてしんどいので、もう耐えられないです。
何だったんでしょうね。
全て。