灰色の殴り書き

昔の言葉で言うならチラシの裏です

あなたの三番目になりたい

ずっと誰かの一番になりたかった。

 

親しい人、好きな人、大切な人にとっての一番に。特別な人に。

 

いつからか自分の中にずっとあったそれは、独占欲というほど大人びたものじゃない。承認欲求というほど複雑なものでもない。もっと幼稚な何かだ。その幼稚な何かに突き動かされて生きてきた。

 

どこまで掘り下げても、本当に単純で幼稚な生物。厄介なことに、この生物はもっと高度で複雑なものの真似をすることを早々に覚えてしまい、一見それっぽいことや納得させやすいことを言う術だけをどんどん発達させていった。その単純で幼稚な欲求のために、いつでも目の前の相手を喜ばせたくて、満足させたかったけれど、それに相応しい能力も魅力も持ち合わせていなかった。だから、綺麗に取り繕った助言のような応援のような何かを飾り立ててみたり、最もらしいことを言って相手以上に自分を満足させて終わったり、そんなことを繰り返した。

 

生物はずっと顔の見えない文字とデータの世界に住んでいたので、手を握るとか、楽しいところに出かけていって贈り物をするとか、そういうこととはどこまでも無縁だった。ただ、昔はデータ通信の世界では自分の周りには歳上ばかりで、話し相手を探している人、悩んでいる人ばかりだったので、そういう人たちと接するうちに、だんだんとそれっぽいことを言うのが上手くなった。痛みが分かるようなフリをする術が身についた。大学生の彼氏が悩み相談に乗った女の子を慰めるために抱いたのが許せないと言われても、住む世界が違いすぎて何も理解できなかったけど、共感性がある優しい人間というものになりたくて、あなたの味方だよと話を聞いていた。

 

人より優れた能力も才能もなく、当然外見がいいわけでもなく、そんな生物にとって唯一の拠り所は、言葉でのコミュニケーションでつながる人間関係だけだった。自己というものは初めからなかった。ただ、誰かに優しくして、喜ばせて、その人にとっての一番になりたかった。そうすることでだけ、自分の存在が認められると信じ込んでいたし、いつかそれが叶うという夢に縋っていた。

 

それでも、オフラインでの人付き合いが活発になるようにって、自分のそんなどうしようもない習性が表に出てくることが少し減っていったような気もする。本質的な欲望はずっと変わらなかったけど、そこから目を背けていても日々を楽しく過ごすことはできたし、夢中で何かをすることもできた。

 

就職して、あれが嫌だこれが嫌だと言いながらも転職もせずにそれなりの仕事を続けて部下ができて、卒業する頃から交際していた女性と結婚して、子供が産まれた。そうやっているうちに、いつの間にか自分がまともな生物になった気がしていた。

 

一方ではタチが悪いことに、それっぽいことを言う能力、最もらしい理屈をツギハギする技術だけはずっと成長を続けていたようで、それと人気ジャンルへの便乗とかが重なった結果、身の丈以上にたくさんの人とまたネット上で交流できるようになった。とても嬉しかった。そうやっているうちに、いつの間にか自分がまともな人間の仲間入りをした気がしていた。かつて己の中にあった幼稚な本能は一過性のもので、もうすっかり消え失せて、自分が真っ当に生きられていると錯覚した。

 

メンタルが壊れて、まともぶった外面も壊れた。中から出てきたのは13歳くらいから成長していない幼稚な生物だった。周りのと同じに見える蛹の中から、変態しそこなった何かがドロドロのまま出てきてしまったみたいだ。

 

自分にとっての一番であるべき人と結婚して、その人にとっての一番になって、それで夢が叶ったように思っていた。でも、どうも違ったようだ。その人はこの頃、自分のことを攻撃したくて仕方がないみたいだ。俺は殺されてしまわないように、書き置きをして逃げ出した。家に帰ってきた今も、現実や将来と向き合うことが怖くて仕方がない。

 

ただの感傷に時間をかけるべきではなくて、もっと優先しなければいけない現実の問題が山積みだと分かっているのに、そういうことに頭を巡らせれば巡らせるほど、俺は誰にとっての一番でもなくなってしまったんだな、という思いが浮かんでくる。

 

一番になりたかった。そのために何もかも出来ることはしたかったし、してきたつもりだった。その熱量を受け止めてもらえていると思っていた。何年越しか分からないけど、それが勘違いの思い上がりだったことが分かった。

 

俺は何をしてきたんだろうな、という笑いが出た。

 

いわゆる一般的な幸せというもの、家族というものに、奇跡的に上手く軌道修正して収まったと思っていた。勿論それが最も価値あるものだとは全く思わないけれど、自分には十分すぎるほどの生活だと感じていた。穏やかになっていくことを少しだけ惜しく思いつつも、それが普通だ、望んだって手に入らないものだ、周りもどんどんそうなっている、と自分を納得させていた。

 

そういうものたちが、バラバラに崩れた。それなりに頑丈に見えていたのは自分だけで、小さい砂のお城に雨が降っただけかもしれないけれど。

 

空っぽのゼロになってしまった。

 

そこに結局、あの幼稚な欲望だけがまた芽を出してきた。

 

誰かの特別でありたい。誰かの一番になりたい。そうであると感じることの喜び、自己満足を知ったから、もうなりふり構わずそれを渇望せずにはいられない。

 

誰からも丁度いい距離感で、程々の人付き合いで、自立して一人で楽しくやっていく、というのは、自分のような未熟なままの生物、羽化できなかったものには無理なのだ。

 

でも、さすがにどれほど頭が悪くたって、それが無理なことくらいは分かっている。もう随分前から理解していたはずだ。人間はそう簡単に誰かにとって特別な存在にはなれないし、まして一番にはなれっこない。歳を取れば取るだけ、それはもっと不可能になっていく。当然のことだ。人にはそれぞれ、生きてきた時間がある。その中で積み重なってきた出会い、経験、考えがある。そこに割って入って特別扱いしてもらおうなんて、洗脳に長けた宗教家でもなければ不可能だ。

 

昔から不可能なことは分かっているから、こんなことは絶対に口に出せなかった。まして酔ってもいないのに本音だと言ってネットで書けば、不特定多数の人々にどれほど気持ち悪いやつだと嫌われるか。想像するだけで恐ろしかったから、ひた隠しにしてきた。だから、今こうして延々と語っているのは、沈殿を続けてきた澱を汲み上げているような行為だ。自暴自棄の延長戦でもある。赤く切られた手首や、一気飲みしたウイスキー瓶と向精神薬の空き容器を撮影してTwitterにアップするのと、ほとんど変わりはないだろう。たとえ鍵アカウントだろうと、SNSではこういう輩が一番唾棄される人種とされていることは、当然理解しているつもりでいた。それでも、一度開き直ってしまったらこうしてスマホを叩くのが止められない。吐き気が来るよりも先にできるだけ理性を捨ててしまえと、喉元まで強い酒を詰め込んでいるのと同類の愚行だ。

 

止められない渇望と、不可能な現実とを、何とか繋ぎ合わせようと考えていた。そうしたら、一つの結論に行き当たった。

 

親しい人、好きな人、大切な人にとっての、三番になりたい。

 

一番は、絶対に無理だろう。そこは恋人か、家族か、あるいはずっと付き合ってきた親友の席だ。そんな人と比べてくれなんて、烏滸がましいにも程がある。

 

きっと、その次に来る人が二番だろう。一番が家族なら、二番が親友かな。それとも、尊敬する上司だろうか。まだ、とても勝てなさそうだ。

 

だから、同率で何とか三位に滑り込めないかな。まだ厳しそうだけど、そこを何とかできたらいいな。あなたを笑わせて楽しませるために、精一杯に言葉を考えて貼り合わせるから。根っからの口先野郎だけど、できる限り想像力を巡らせて、嘘はつかずに、少しでもあなたの苦しみを軽くするために尽くすから。だから、あなたの三番目くらいに、何とか入れてもらえないかな。

 

大切な人たちのうち、何人かにとっての三番目になれたら、それで今度こそ満足するから。まともな人間のフリをまた始めて、そのまま何とかやれるところまでやってみるからさ。

 

ああ、見苦しいな。