灰色の殴り書き

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立ち止まって考える、加速の時代の現在地と処方箋〜トーマス・フリードマン「遅刻してくれて、ありがとう」感想

きっかけは、たまたま書店でタイトルが目についたからだった。

 

「遅刻してくれて、ありがとう。ーー常識が通じない時代の生き方」。遅刻してくれてありがとうとは、変わったタイトルだ。その後帰宅してちょっと検索したら、どうも面白そうだ。というわけで、読んでみた。400ページ超×上下巻2冊の、馴染みのないジャンルの本を読むのは、読書筋(本を読む筋肉)のない自分にとってはなかなか容易ではなかったが、読み始めるとあまりの面白さに引き込まれ、結局上巻を2日、下巻を1日の計3日で走り抜けてしまった。

 

まず結論から言うと、今読んでよかった、という言葉に尽きる。本書は5年前にオリジナルのハードカバー版が米国で出版され、その後加筆を含むペーパーバック版が出版。邦訳はその加筆ペーパーバック版をベースに2018年に出たものになる。したがって、完全に最新の世相を反映しているかというと、必ずしもそうでない部分があるのは事実だ。テクノロジーのトレンドは、まさに本書で語られた「幾何級数的な加速の曲線によって」進化しているだろうし、また分かりやすいところで言えば、ドナルド・トランプは一期でその暴力的な統治(に似せた何か)を終えている……。というような点はあるものの、全体としては07年の米国を起点に同時多発的に起きたテクノロジーとビジネス形態の超進化に着目し、その流れを2015〜16年まで追う、というのがメインであるので、よほど各分野に精通しているスペシャリストでなければ、さほど現在とのギャップに困惑することはないだろう。むしろ、詳しくは後ほど説明するが、現代において押さえておきたいテクノロジー、グローバリゼーション、環境、その他のトレンドを簡潔にまとめてチェックするという意味では、本書ほど適切な教科書もないと言える。 

 

さて、まずは「遅刻してくれて、ありがとう」という言葉の意味するところを明らかにしておこう。現代に生きる我々は、常に時間に追われて生きており、ビジネスの場面などでは分刻みのスケジュールで人と打ち合わせを持つこともしばしばだ。そのような生活をしていると、改めてゆっくりと何かについて思いを巡らせたり、じっくりと考える時間を取ることは、大変に困難である。だから、「遅刻してくれて、ありがとう」だ。あなたが遅刻してくれたこの十分程度の間、生まれた空白の時間を使って、私はゆっくり立ち止まって考えることができましたよ、ということである。

 

そう、本書は私たち読者が「立ち止まって考える」ための本だ。導入部では、筆者は駐車場係の男性に「あなたの記事を読んでいます」と呼び止められ、「立ち止まる」。そして、彼が母国のための政治オピニオンをブログに載せているという話をきっかけに交流が始まる。現代は、全てが加速する時代であり、そこではあらゆるものの変化の速度が、個人および人類全体の適応の速度を上回ると筆者は語る。そんな「加速の時代」について、あえて今一度「立ち止まって考え」てみよう……という流れで、いよいよ本編に入っていく。

 

自分が何よりも引き込まれたのは、「立ち止まって考える」というコンセプトそのものが、自分の今の境遇と重なったからだ。自分は今、8年勤めていた仕事を体調不良で休職し、「立ち止まっている」。これは全く筆者の意図したところではないだろうが、そんな自分の状況がまさに、「立ち止まって考える」のにピッタリの機会だと感じたのだ。

 

そして、本の内容そのものも自分のニーズにドンピシャだった。まずは筆者の言葉を借りよう。「進歩のことは聞いていても、そういった発展が私たちをどこへ連れていくかは見当もつかない」……このような感覚は、覚えがある人も多いのではないだろうか。新しいビジネスの勃興。テクノロジーの進化。クラウドの登場。グローバリゼーションの反動。難民問題。社会運動の旋風とその末路。テロリズム。気候変動。中流階級の崩壊。分断。ポピュリスト・ナショナリストの台頭と扇動……。

 

何か、色々と大変なことが起きているのは、なんとなく知っている。あれもこれも、どこかで聞いたことはある。ポジティブなことも、ネガティブなことも、希望の持てる話も、深刻な問題も、色々あるらしい。それはなんとなく知っている。ただ、詳しくは知らない。そうして気がついたら、周りはみんな何もかもを知っているように見えて、サボっていた自分は置いてけぼりを食らったような気分だけど、今更人に聞くのも気が引ける……。

 

そんな人はいないだろうか、と壁に向かって語りかけるまでもなく、これは自分自身のことだ。ここから先は完全に自分語りになってしまうが、自分は本当にものを知らない。もはや軽いコンプレックスになっていると言ってもいい。古典がからっきしだ。教養がない。かといって、最新のトレンドにもめっきり弱い。技術的な話は特にダメダメだ。せいぜいが仕事で必要に駆られて覚えた、ニッチな世界の付け焼き刃の知識くらいだ。物知り顔をしていながら、実際は聞き齧りの話の切り貼りとハッタリで切り抜けるだけで、知性の地金とでもいうべきもの、この歳に必要な最低限の知識がごっそり欠けている。そんな人間が自分だと思っている。

 

だから、逆にこの休職期間はある意味では幸運なタイミングではないか、と最近は思うようになってきた。志がない上に性根がどこまでも享楽主義なので、せっかくの大学時代にも御多分に洩れずロクに勉強をしていなかったくせに、就職後も業務の範囲以上のことには手を出してこなかった。銀行員のように資格試験を受けたこともなければ(せいぜいが一年目に取った簿記三級と、後はTOEICを無勉で受けたくらいだ)、SEのように技術的な自己研鑽を積むこともなく、社外の勉強会など参加したこともないし、転職のために己の市場価値を測ったことすらない。さすがに書いてて悲しくなってきたが、ともかくそういう人間だったので、漫画以外には本も数えるほどしか読んでこなかった。子供が産まれてからは尚のこと、生活を全て支配されるようになったので、自分のことを考える余裕もほとんどなくなった。

 

と、そんな中でメンタルを崩し、休職することになったわけだが、幸いにして深刻な状態に陥る手前で休職できたためか、子供が保育園に行っている平日は少し気持ちの余裕がある日も増えてきた。エンタメもまた楽しめるようになってきた。そこで、全く本を読んでいなかった反省から、読書をするための筋肉を付けよう、と思い立った。頭の筋トレだ。今ほどそれに向いたタイミングはない。

 

最初は読みやすいものからということで、大学時代に好きだった作家(今野敏)の再読から始めた。次に、極めて読みやすそうだという理由で、齋藤孝の本を目についたものから数冊読んでみた。という具合に、読者のレベルを上げてきて、満を持して本書にチャレンジした。そうしたら、「立ち止まって考えよう」というメッセージが真っ先に出てきて、今まさに自分がしていることではないか、と無性に嬉しくなった。そしてまた、本の内容自体も、無知な自分がいつかまとめて学びたい、と思っていたことにピッタリ一致していたので、これはもう実に幸運な出会いだったと言える。

 

読み始めて早々、これは筆者トーマス・フリードマンと自分のタイマンだな、と勝手に気合を入れ直し、カフェで読むのを一旦やめて帰宅してしまった。居心地が悪かったり、騒がしい客が隣にやってきたりしたわけではない。ペンとメモを持ってきていなかったからだ。ページをめくるたび、書き留めておきたいようなインパクトのあるフレーズの数々が目に飛び込んできて、とてもペンとメモなしでは受け止めきれないと悟ったからだった。まるで受験生が自分だけのノートを作りながら参考書を読むような有り様で、これまた初めての読書体験ではあったが、結果として大いに脳を刺激されたと感じている。もちろん、このメモはブログに感想を書く下地としての意味合いも大きかった。

 

一部では引っかかる記述があったり、また新たな疑問が生じたりもしたのだが、それも含めて非常に有意義な時間だったと思う。大学時代のゼミの恩師が言っていた、「どんな本を読んだときも、ここはちょっとおかしい、気に食わない、というところを見つけなさい」という言葉を思い出した。

 

とにかくそういうわけで、本のメッセージも内容も、今の自分が求めていたものにピッタリだったのである。こいつマジで前置きが長いな……。

 

ここからは、本編の簡単な解説を交えながらの感想を綴っていきたい。まず、パート1「熟考」では前述した通り、筆者と駐車場係との出会いをきっかけとして、「立ち止まって考える」旅への導入が綴られている。そして、コラムを書くことーーもっと幅広く言えば、己の意見表明で化学反応を起こすことーーのために必要なものは、①「自分の価値体系(『自分がもっとも憂えている事柄と、もっとも実現してほしいと思っている事柄』」、②経済の仕組みについての自分の考え方、③経済が動くときに人や文化がどのような影響を受け、またそれらの反応が経済にどのような影響を及ぼすか、という三つの基本的要素が必要だと語っている。そして、この時代に経済を考えるためには、「徹底的に一切合財をひっくるめる」やり方を取ると述べる。駐車場係との出会いのエピソード自体も面白いし、彼へのブログ執筆法指南という体をとって、早速筆者流の教えが飛び出している。

 

続くパート2「加速」では、現在の経済の働きをより具体的に見ていく。2007年に起きた数々の革新的な出来事を紹介した後、各種テクノロジーの急激な倍速進化、クラウドの登場によるあらゆるフローの加速、主にSNSの発達によるグローバリゼーションの更なる拡大と変容、そして「母なる自然」=地球の気候変動の現状を、凄まじいまでの密度と誠実さで、しかしながら極めて分かりやすく語っていく。自分のように、「なんとなく世の中のトレンドをつかみたい」と思っている人にとっては、うってつけの章だろう。ここから興味を持った分野が見つかったら、改めて個別の分野の勉強に移っていってもいい。とにかく、膨大なインタビュー・取材調査量に裏付けられたこのパートの情報量とスピード感は圧巻だ。個々のトピックについては、もしかしたら詳しい人が読むと当たり前のような内容もあるのかもしれないが、それでも2007年からの10年間を改めておさらいすることは、多くの読者にとって非常に有意義であろう。テクノロジーについては一貫してポジティブな展望が語られており、作者の楽観主義とも結びついて明るく読み進められるが、グローバリゼーションや環境問題については全く楽観的なことは書かれておらず、特に気候変動の深刻さは改めて読むと想像を絶するものがある。これらの項までを読むと、本書はあくまでも俯瞰的に、執筆時点でのデータと現実を語っているのだ、と気付かされる。超速進化する未来のテクノロジーも、グローバリゼーションが引き起こした分断や痛みも、融けゆく氷床が招く水面上昇や旱魃による飢餓も、全てが止まらず現実に起こっていることだ。

 

そして、上下巻にまたがり、最もページ数を割かれているパート3「イノベーティング」は、本書のメインディッシュだ。全てが幾何級数的に、倍々ゲームのごとく加速する世界で、どのようなイノベーションが問題を解決する手助けになるかを模索していく。個人的にありがたかった構成上のポイントは、このパートの最初に設定された、ごく短いチャプター7だ。タイトルからして「とにかく速すぎる」と銘打たれたこのチャプターでは、改めて思うけど何もかもが今は早すぎるよね、ちょっとついていけないよね、ということを、一度「立ち止まって」語りかけてくる。とはいえ、直後からまた怒涛のように情報が流れ来ることは変わりないのだが。それでも、このチャプターが「何もかもが早すぎると思わないか?」そして「減速の見込みがないのなら、我々はどう順応すればいいのか?」と問いかけてくれることは、自分のような読者にとって非常にありがたいのは間違いない。我々も改めて加速の時代という現実と向き合い、それを生き抜くヒントを探す道のりに再出発できるというわけだ。

 

「AIと人間って共存できるの?仕事を奪われるの?」「SNSっていいものなの?悪いものなの?」「今のテロリズムって何が厄介なの?」「具体的にどういう政治が望ましいの?」「これからの教育の役割は?」常々からこうした疑問を持ちつつ、納得のいくような答えに辿り着けないでいる人にとっては、本書のパート3は得るものがとても多いことだろう。

 

また、本の構成としては同じパート3になっていながら、実際にはその中でもさらに前後に分かれているような作りであることも、ここで言及しておきたい。前半の主題はまさに上記したようなことだが、チャプター12以降の後半ではガラッとトーンが変わり、舞台をミネソタ州の町、セントルイスパークに移すことになる。そこには1950年代からユダヤ系のコミュニティがあり、筆者の他にも映画監督のコーエン兄弟や、「これからの正義の話をしよう」のマイケル・サンデルなど、各界の知の巨匠を産んだ土地だ。本書で最も力を入れて書かれたと思われる当該部分は「旅」と作中で呼ばれているが、何も古き良き時代のノスタルジーに浸るためにこの章があるわけではない。筆者は、自らを含む多種多様な俊英を輩出したセントルイスパークのコミュニティに、多様性を受容し、民主的な精神と自主性を育み、公平性のもとで信頼を醸成する土壌があったことに着目した。そして、加速の時代を我々が生き抜くヒントは中央の強権ではなく地方のコミュニティにあるという持論を確かなものにするために、自らが同所で過ごした高校時代までを回想し、またその現状を見るために再訪している。

 

この「旅」の部分は最も力点を置かれてはいるものの、ここまで読み進めてきた読者の目には異色に映るのも事実だ。かくいう自分も、読んだ当初は結構面食らった。もちろん示唆に富んではいるのだが、いささか牧歌的な思い出語りの色が濃く、より普遍的な内容に進むまでが長く感じられたというのが正直なところだ。ベストセラーになった本国の人にとってはどうか分からないが、ミネソタになど縁もゆかりもない日本人の身では尚更だ。逆に、もしこのブログを読んでから本書を手に取る人がいたら、このチャプターについてはそれまでのように気合十分で読み込もうとするのではなく、それこそ「古き良き」アメリカの風景に思いを馳せるように、肩の力を抜いて「ミネソタへの旅」を楽しむくらいの気持ちで読んでもらえれば、と思う。

 

また、やや前後するが、自分にとって本書で数少ない引っ掛かりポイントとなったのもパート3の中の一節であった。筆者は、1945年8月6日の広島への原爆投下以降、世界は一国がその他全ての国を滅ぼしうる核保有時代に入った、と語る。続いて、もはや強大な力を国家が持つことは避けがたく、だからこそその国家がアメリカであることに筆者は安心を覚える、と述べている。この一連の記述には、少なくとも米国が広島に原爆を投下したこと自体についての是非といった意見は含まれていない。そしてそのまま、「米国が強者であり続けられることに安堵する」と語っている。この点が、反核ナショナリズムを叫ぶわけではないが、やはり日本人としては引っ掛からざるを得ない。続くチャプターの中で、オバマ元大統領の広島訪問時の演説なども紹介されてはいるが、それも含めてやはり、ヒロイックなアメリカの視点からの語りだな、という印象を覚えざるを得なかった。本書自体が現代のアメリカ人に向けたエールの体を取っており、そこに広島原爆への後ろ向きな言及などが求められるわけもないことは承知しているが、他の部分が実に骨太だった分、どうしても気になってしまった。この点と筆者の「楽観主義」の組み合わせが、人によってはイノセントすぎるようにも思え、気になってしまう可能性はあるだろう。この点について、悩みはしたが折角なのでここに書き留めておくこととする。

 

最終パートでは、セントルイスパーク以外のコミュニティを巡る旅の記録を綴り、同署は素晴らしいケースであるが唯一無二ではなく、地理を問わず同様にコミュニティが活性化している例はある、と語っている。セントルイスパークは、特別だが特例ではない、ということだ。それこそが、アメリカにとっての希望になると筆者は語る。そして、パート3の後半から繰り返し語られている、加速の時代への処方箋は……「信頼」だ。

 

信頼。何も特別なことではない。想像もつかないような特効薬でも、逆転の秘策でもない。ただ、地域コミュニティ発の相互的な信頼、多様性を受容して分断ではなく多元的共存を選ぶような信頼が、人々の最も安定した足場となり、加速した物事が吹き荒れ渦を巻く中で、台風の目になる、という。これだけ読めば、拍子抜けだと言われるかもしれない。ただし、本書を中盤まで読んだ人ならば、この途方もない混沌の時代に道はあるのか、と打ちひしがれるであろうから、それに対する筆者の答えが人間存在の根本に立ち返るようなものであることも、納得がいくのではないだろうか。

 

以上が、本書の概要である。最終パート以降で特筆すべきは、2016年にハードカバー版が出版された直後、イギリスのEU離脱可決とトランプの大統領当選という大事件を受けて、筆者が早速加筆の準備を進め、本書(17年出版のペーパーバック版)ではそれらに対する持論をも取り入れたことだろう。つくづく、加速の時代に本を書くというのがいかに難しいことかを感じさせる。取材執筆には3年を要したそうだが、筆者は恐らくその最中ずっと、加速に執筆内容が取り残されて陳腐化しないか、現実に引き離されはしないか、という恐れと戦っていたのではないだろうか。それに目を瞑らず、時間をおいての複数回取材などでギリギリまで内容のアップデートを続けたというから、本当に天晴れな姿勢だ。

 

そして、本書を読み終えた直後ーー正確には読んでいる最中から、頭に浮かんで仕方がなかった三つの点もここで挙げたい。これは筆者へ投げかけたい問いであり、また自らに課したい思考テストでもある。

 

一つ目は、GAFAに代表されるような、現代の市場における超巨大な支配的プレイヤーの振る舞いとあるべき姿について、筆者はどう考えているのか、ということだ。プラットフォーマーと言い換えてもいいだろう。多角化・巨大化を極めたプラットフォーマーは、何にどれだけの手数料を課すか、何を配信し何を停止するか、といった権限によって、実質的に生活や文化をコントロールする立場にある、という議論が最近は見られるようになってきた。また、労働者の権利問題、サプライチェーンの巨人としての振る舞いをはじめとした、個々の会社自体の体質についても、疑問符が付くところがあるかもしれない。そうした現実については、楽観主義で流れに任せるだけでよいのか、という疑問を是非とも投げかけたい。

 

二つ目は、コロナ時代において筆者の持論にアップデートはあるのか、ということだ。最も分かりやすい例として、本書において信頼を醸成するベース、イノベーションの起点として期待されている地域の昔ながらなコミュニティは、対面コミュニケーションを破壊する感染症によって、危機に瀕していることが想像できる。加えて、更に深刻な問題として、感染拡大に際しての危機感の有無、行動を変容させる必要性の是非、ワクチンに対する考え方、職業への影響、何よりも実際に親しい家族友人を亡くす経験をしたかどうか、などの違いにより、地球上のあらゆる土地で過去とは異質の分断が起きている。この分断が本格的に露呈してくるのは、もしかしたらこれからかもしれない。ノーマスクで酒を飲み音楽フェスに通い詰めていた人間と、大切な相手を感染拡大で失った人間との間に「信頼」を築くことは、果たして可能なのだろうか?これ以上の例えを挙げるのは控えるが、この潜在的な分断を過小評価することは極めて危険だと考える。これについても、是非筆者の意見を聞きたい。

 

三つ目は、シンプルに本書の理論がどこまで日本に当てはめられるか、活用できるか、ということだ。正直な気持ちとして、多彩な技術イノベーションの最先端として語られるのを見ると、やっぱりアメリカは凄いな、日本とは違うな、という気持ちを抱くことはある。またそれ以上に、本書で地域コミュニティの活性化や、旧来と異なる開かれたスタイルの候補者への投票、という話が出るたび、自国のことを思って暗澹たる気分になった。究極的には、本書に匹敵するような日本発の一冊が見当たらないことも、言ってしまえば残念だ。とはいえ、全てを遠い海の向こうの話、で片づけてしまうのはあまりに勿体ない。たとえば、生涯学習を続けなければミドルクラスに居続けることすら困難になる、そしてそのためにはモチベーションと集中力の格差が問題になる、という提言は日本にも当てはまるだろう。他にも、本書の事例を日本ならどうか、と想像することで、非常に重要な手がかりを見つけていけるものと思う。目下最大の問題は、「加速の時代」に正しい危機感と使命感を持っているように見える大人がほとんど見当たらないことだとも思われるが、ひとまずはそのことを嘆くより、自分への再読時の宿題としておきたい。

 

最後に、本書で何より印象的だったのは、全編を通じての筆者の言葉選びや言い回しの巧みさだ。これには、訳者のセンスも大いに関係していることと思うが、それを含めてもとにかくメモに書き留めたいキラーフレーズや引用したい言葉が目白押しだった。以下では、そのごく一部をメモも兼ねて紹介したい。

 

「"混乱"は、自分や自分の会社が時代遅れに思えるような賢いことをだれかがやったときに起きる。それに対し、環境そのものが突然変わってしまい、追いつけないとみんなが感じることを、”常態の崩壊”と呼ぶ」

 

「急流で安定を高めるには、急流とおなじ速さか、あるいはもっと速く進むことが重要です」

 

デジタルディバイドから、モチベーションディバイドへ」「集中力とやる気の格差」

 

「中国の崩壊は中国の勃興よりもアメリカを大きく脅かすだろう」「力の管理から、弱さの管理と操縦へ」

 

「~(支配)からの自由は確保されても、~(政治参加等)をやる自由はまだない国々」「自由の不平等」

 

「独裁者を倒すために使ったツールが、その後、私たちをバラバラに分裂させたんです」

 

SNSの5つの弱点……①噂、②反響の増幅、③暴徒化、④意見を変えることの困難さ、⑤対話でなく一方的に喋ることに優れている点

 

「未来のテクノロジーと過去の敵意が組み合わさった新種のグローバリゼーション」「組織ではなく運動としてのテロリズム」「民主主義国家と独裁の非対称性」

 

アメリカが重要な役割を担うADD……増強amplify(教育機会、生活基盤)、抑止deter(ロシアや中国といった超大国への対応)、衰退化degrade(破壊者を衰退させる手伝い……最後は村人の手が必要)

 

三つの柱の崩壊……①期待の崩壊とミドルクラスを維持することの困難化、②多元的共存への広範なコミットメント:スキルの高低を問わず流入を歓迎すること、③都市部と田園地帯が経済的にどちらもミドルでいられるという期待の崩壊(格差化)

 

生涯学習を続けることで、「何とかミドルクラスに居続けられる」

 

 

……いかがだろうか。もしも気になる言葉があれば、是非とも本書を手に取り、一緒に「立ち止まって考え」てみることを、強くオススメしたい。

 

最後に、本書の中で最も印象に残った言葉を挙げて、本記事の締めくくりとしよう。

 

 

「自分が日陰を利用できないとわかっていながら老人が木を植えると、社会は偉大になる」--ギリシャの諺、作者不明